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宗教とわたし [和道 Wha-Dho 哲学]

モト彼はアメリカのNYに住んでいる。私たちは遠距離恋愛をしていた。夏は彼が数か月日本で過ごし、冬は私がNYで過ごす、ということが数年続いた。

彼は宗教を知りたがりの無神論者で、しかも応用数学(Applied Math)博士なゆえ、頭の中はデータによって作り上げられている。すべての宗教を頭でのみ理解している。ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』を同時に読んで、ディスカッションしたことがあったが、お互いのとらえ方の違いにかなり驚いた。

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宗教学者じゃない者は、宗教を学問にする必要はないと思っている。お寺で計20年(濃い15年+悩みの5年)を過ごして、宗教は頭で理解できないとわかってる。朝晩のお勤め、食事、生活、奉仕、規則・・・祖父母、両親、姉妹、檀家のみんなが、お寺を中心にまわっていく。生活しながらこれを頭で理解しようものなら、混乱に陥る。

そう、宗教は勉強するからわからなくなる。宗教は信念に沿って、実践するものだ。人生に応用していくものだ。(数学を応用するより、自分の人生に応用する方が力強い気がする…。)その過程で勉強することはいいだろうが、宗教を勉強するのではない。自分の人生を生きていくために、その方法を学んでいくのだ。

日本に仏教が流れて来てから多くの開祖が新しい宗教を生み出した。その当時に新興宗教だった宗教も、今では新興宗教とは呼ばれていない。開眼した開祖は、わたしたちと同じ人間。救いを求めて悟りを開き、仏教を実践して広めていった人だ。

宗教は、自分を実現していくために実践できる、ツールである。だから、宗教のために戦争やマインドコントロールが行われるのはおかしい。一人ひとりが違う人生を、違う目的に沿って生きている。最高の教えを誰かに主張する必要もない。

日本の仏教は特殊だと感じているが、ブッダの教えはこの星に生まれた人間に対して真理を伝えている。アプローチは違っても、キリストも同じことをしてる。

私は仏様が近くにいる環境で育ちながら、仏教を本当の意味で実践していなかった。実践していないのに、生活になっていたから混乱していた。その後、悩みの時期を過ごして、私はすっかりわからなくなってしまった。

仏教とは何なんだ?

この時から 「生きる」 という課題に向き合っていたのかもしれない。

日本仏教に迷ったら、まずダンマパダを読もう。私たちと同じ「人」が2500年前に書いたベストセラー[ぴかぴか(新しい)]

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