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ここからのスタート [和道 Wha-Dho 哲学]

スピリチュアルや精神社会に関する知識はほぼゼロ。しかも、スタート直後に本を読むことを控えるようにアドバイスされる。頭で理解することに慣れているから、知識は入れないように、との理由で。本好きなので少し残念に思うが、後で読めばいいから気にしない。

そんな状態で、スピリチュアル・プログラムが始まった。

私の中で、宗教とスピリチュアルは全く関係のない位置にある、とさえ思ってる。仏教の知識は、幼い頃からの実体験で心身に刻まれており、スピリチュアルなことは、大人になってから本などで得た少しの知識だけが英語で入っている。

チャクラ、も聞いたことがあるくらいで、それが何なのかはよく知らない。生物学上、遺伝子が「遺伝でガン」以上の役割を果たすことも知らなかった。(DNAの間には無駄とも思える空間があることも知らなかった。この空間は、忙しい人間の「休息」に値するのじゃないかな?)

言語上でも別のものだった。
Transform や Wisdom を理解できても、日本語にすると意味がわからない。単語が理解できても、実際にそれを体験したことがないから説明さえできない。英語のSpiritual と、カタカナのスピリチュアル、だけでも感覚が変わる。映画 『千と千尋の神隠し』の英語タイトルは "Spirited Away"。日本語と英語で観るのとでは、得る感覚さえ違う。

そういう意味では、Funky Master の2人が英・日の両言語で話されるという事が、自分を統合していくプロセス上、パーフェクトだったとさえ感じる。

1週間のリトリートで少しずつ本を読み始め、その多くの本に私が経験したことが書かれていた。もし先に読んでいたら、知識が先行して自然に体験できなかったはず。すべての人に、ピッタリ合うような、そんな準備とプロセスが用意されているのね[揺れるハート]


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