『ブッダ』 ディーパック・チョプラ著 [おすすめ本]
ディーパック・チョプラ師についても、リトリート中に Funky Masters から紹介してもらった。
最初に、『迷った時は運命を信じなさい』を読んで、言葉にしにくいはずの言葉が、
体系的にわかりやすく書かれていて、ビックリしたものです。
が、もっとびっくりしたことは、
リトリートが終わって帰国してから、日本でもう一度読むと、
全然ページが進まないのです。どういうことか?
それは、書かれていることの意味が、既に全身(全体)で理解できているから、
安易に文字だけを追うということができなくなってしまった、ということです。
…えぇ。
それで、ブッダの本はないかとまた探していたら、彼の書いた小説を発見。
『ブッダ』
~BUDDHA: A Story of Enlightment~
446ページのなかなかの厚みと読み応えで、お値段以上(ニトリ)の素晴らしい作品でした。
一つ前の『シッダールタ』(ヘルマン・ヘッセ)が、美しく優しい感じで進んでいくのであれば、
これは私の心を、まっすぐに突き刺してくるような、そんな手ごたえのある本です。
物語って、こんなに前後左右(天国・地獄?宇宙全体!)に揺さぶられるものでしょうか!
シッダールタ王子が生まれる章では、新しい生命を授かる母を想い、
弱者を見捨ててまでも国を繁栄させていくシュッドーダナ王には、わが子と理解しあえない孤独な父を想う。
消したくても消えないマーラ(悪魔)が存在し、それが見せる世の果ての地獄に恐れ、
しかし、犯罪を犯すものにも苦しみとカルマが存在することを知り、
ゴータマとして旅を続けるその姿に、一人で重荷を背負う現代人の姿を重ね、
そしてブッダが悟りを得た瞬間、一緒にその輝く光を感じることができる。
マーラ(悪魔)は言う。
「現実などもろいものであり、想像力と思いこみという目に見えない手によって、
簡単にでっちあげられる。」
マーラは、心の中の忘れられたトラウマや、小さな恐怖心のすき間にたやすく忍び込む。
マーラが吹きかける、ほんの小さな風さえあれば、小さな怒りから火が生まれる。
すると、その人の持つ恐怖心が、その火をひとりでに激しく燃え立たせる。
托鉢僧のガナカは言う。
「…私たちを陥れる経験はすべてこの世の中が与えるものだ。
この世の中は魅惑的で、その本当の姿を理解するのは難しい。
しかしまた、この世界はまさに欲望そのものであり、
わたしたちはあらゆる欲望を追い求めてしまう。
…
欲望は幻影であり、その影に死神のほくそ笑みを隠している。」
だから、「現実の世の中から学べ」、そして「分別を働かせろ」と。
修行僧アララは言う。
「この世は幻想であり、幻想を作り出しているのは我々の心なのだ。
心が生み出した幻想を取り除けるのは、心だけなんだ。」
修行中のゴーダマは執着を持つなと言う。
「あらゆる事柄に関心を持たない態度は、カルマの偉大な治療薬となる。」
ブッダが幼いころから、姿かたちを変えて現れ続けたマーラ。
消そうとするためにもがき苦しんだブッダに、マーラは力を増していった。
しかし悟りを開いたブッダは、もはや何の関心もない。
彼はそのまま、菩提樹の下にとどまることができたけれど、
それでもわたしたちのところへ戻ってきたのは、
「過去のさまざまな自分の集合として生きることができると伝えるためだ。
・・・
修行の道などない。善と悪の戦いもない。罪も救いもない。
そのどれもが、あなたにとっては意味のないものばかりだ。
ところが、偽のあなた、
つまり今生きている自分を自分のすべてだと信じている者にとっては、
それらは非常に重要なのだ。」
悩みと心配事ばかりの人生は、自分が創りだした幻想に足をとられているようなもんだ。
Funky Masters もいつも言う Non Attachment.
幻想だと気づけば、人生をかけてまでその幻想と闘う必要はない。
執着しなければ、幻想は消え去るのだから。
この本の最大の魅力は、ブッダの生涯とともに自分自身の心も読めてしまうこと。
最初に、『迷った時は運命を信じなさい』を読んで、言葉にしにくいはずの言葉が、
体系的にわかりやすく書かれていて、ビックリしたものです。
が、もっとびっくりしたことは、
リトリートが終わって帰国してから、日本でもう一度読むと、
全然ページが進まないのです。どういうことか?
それは、書かれていることの意味が、既に全身(全体)で理解できているから、
安易に文字だけを追うということができなくなってしまった、ということです。
…えぇ。
それで、ブッダの本はないかとまた探していたら、彼の書いた小説を発見。
『ブッダ』
~BUDDHA: A Story of Enlightment~
446ページのなかなかの厚みと読み応えで、お値段以上(ニトリ)の素晴らしい作品でした。
一つ前の『シッダールタ』(ヘルマン・ヘッセ)が、美しく優しい感じで進んでいくのであれば、
これは私の心を、まっすぐに突き刺してくるような、そんな手ごたえのある本です。
物語って、こんなに前後左右(天国・地獄?宇宙全体!)に揺さぶられるものでしょうか!
シッダールタ王子が生まれる章では、新しい生命を授かる母を想い、
弱者を見捨ててまでも国を繁栄させていくシュッドーダナ王には、わが子と理解しあえない孤独な父を想う。
消したくても消えないマーラ(悪魔)が存在し、それが見せる世の果ての地獄に恐れ、
しかし、犯罪を犯すものにも苦しみとカルマが存在することを知り、
ゴータマとして旅を続けるその姿に、一人で重荷を背負う現代人の姿を重ね、
そしてブッダが悟りを得た瞬間、一緒にその輝く光を感じることができる。
マーラ(悪魔)は言う。
「現実などもろいものであり、想像力と思いこみという目に見えない手によって、
簡単にでっちあげられる。」
マーラは、心の中の忘れられたトラウマや、小さな恐怖心のすき間にたやすく忍び込む。
マーラが吹きかける、ほんの小さな風さえあれば、小さな怒りから火が生まれる。
すると、その人の持つ恐怖心が、その火をひとりでに激しく燃え立たせる。
托鉢僧のガナカは言う。
「…私たちを陥れる経験はすべてこの世の中が与えるものだ。
この世の中は魅惑的で、その本当の姿を理解するのは難しい。
しかしまた、この世界はまさに欲望そのものであり、
わたしたちはあらゆる欲望を追い求めてしまう。
…
欲望は幻影であり、その影に死神のほくそ笑みを隠している。」
だから、「現実の世の中から学べ」、そして「分別を働かせろ」と。
修行僧アララは言う。
「この世は幻想であり、幻想を作り出しているのは我々の心なのだ。
心が生み出した幻想を取り除けるのは、心だけなんだ。」
修行中のゴーダマは執着を持つなと言う。
「あらゆる事柄に関心を持たない態度は、カルマの偉大な治療薬となる。」
ブッダが幼いころから、姿かたちを変えて現れ続けたマーラ。
消そうとするためにもがき苦しんだブッダに、マーラは力を増していった。
しかし悟りを開いたブッダは、もはや何の関心もない。
彼はそのまま、菩提樹の下にとどまることができたけれど、
それでもわたしたちのところへ戻ってきたのは、
「過去のさまざまな自分の集合として生きることができると伝えるためだ。
・・・
修行の道などない。善と悪の戦いもない。罪も救いもない。
そのどれもが、あなたにとっては意味のないものばかりだ。
ところが、偽のあなた、
つまり今生きている自分を自分のすべてだと信じている者にとっては、
それらは非常に重要なのだ。」
悩みと心配事ばかりの人生は、自分が創りだした幻想に足をとられているようなもんだ。
Funky Masters もいつも言う Non Attachment.
幻想だと気づけば、人生をかけてまでその幻想と闘う必要はない。
執着しなければ、幻想は消え去るのだから。
この本の最大の魅力は、ブッダの生涯とともに自分自身の心も読めてしまうこと。
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