神話の根底にあるものとは [おすすめ本]
その(どの!!)、『宇宙意識 ~神話的アプローチ~』についてです。
原題は、"The Inner Reaches of Outer Space"
素敵なタイトル
この世にはたくさんの神話や創世記というようなものがあるけれど、
それらはどのようにつながっているんだろう、という疑問があって、この本を手に取った。
著者は神話学者のジョーゼフ・キャンベル氏(1904-1987)で、
12年かけてインド哲学や神話を中心とするシリーズ4巻を執筆するなど膨大な文献を残された。
この書は、彼がこの世を去る数年前に書かれた論文を中心に構成されたもので、
彼の人生をかけた研究がここに集約されているといっても過言ではない、と訳者が書いている。
多くの人が「私たちは神を信頼する」という格言の「神」が
キリスト教の「神」をさすと思っているほどです。
しかし、それは違います。
・・・
神の観念は、最初から人間の精神に内在しています。
・・・その根源的基盤と究極的な意味において、
あらゆる宗教は一つ
―ちょうど人類が一つであるのと同じように―
だからです。
この文章を読んだとき、この難しい本を最後まで読んでよかったと思った。
この文章を、彼の言葉で読めて、本当に良かった!
===さて、実際に本を読もうと思う方は、以下は読まないで===
神話や感覚を語ることは極めて難しい。
・・・ゆえに、かなりの単語とその意味(歴史)がわからない。
これまで学んだ英文学、物理学、美術など、できることなら再度短時間で復習したい。
だけど、すっかりお手上げ状態じゃなくて、内容を理解できてしまうのは、
きっと私たちが既に持っている何かを説いているからなんだろう。
キャンベル氏は、世界各地で誕生した歴史上の神話をひもといていく。
ひもといていく・・・なぜなら、神話は隠喩で語られているからだ。
(原題のサブタイトル: Metaphor as Myth and as Religion)
インダス文明、シュメールやアステカの神話の共通性をあげ、
一ドル紙幣のピラミッドや鷲の絵、ナバホ族の絵などの隠喩を説く。
ユング派の彼が研究するところには、心理学の三から四の移行が、
第三チャクラから第四チャクラへの移行と一致するなど、非常に興味をそそられるが、
まだよく意味がわかりません(あら)。
世界中に存在する、大小さまざまな部族(グル―プ)が伝える神話は、
年代、地域、地理的環境、習慣の違いで神話の内容は異なるとしても、
根底にあるものは同じものなのだそうだ。
その神話の根底にあるものを、「モナド」と定義し、それは神話に隠喩的に影響するのだそうです。
さて神話は、いつも隠喩で語られるがゆえに、それを正しく理解しない大馬鹿ものがいる!
と、さすがに研究者、言葉が激しく厳しい。
そして、神話の「モナド」から起源をたどるっていくと・・・チャクラにたどり着く。
私としては、「なんと、チャクラにたどり着く」と書きたいくらい。
この本、半分以上はインド神話とチャクラに関するものだった。
チャクラについては知識としては少しだけれど、この本から出会うとは思ってなかった。
神話学者的観点で、ビッグバンや銀河系を半永久的な数字の羅列(目が回る)で説明した後、
この地球は、「宇宙のフケ」ほど微小だと言い放つ。
それほどちっさい地球上の、それはちっさい一人の人間にも神が宿っているとは、
神様とはなんと寛大なのだろうと感動する。
神が、ふって息を吹いただけで(←隠喩)、きっと地球はすぐ氷河期になる。
万物に生死をもたらせるのは、この偉大なる神しかいないんだから。
この莫大な宇宙と、宇宙意識の中で、生命の神聖さを感じる。
だからいうも感謝と愛をもち、今を生きていたい。
まわる世界の静止点。肉でも肉でないものでもなく。
そこからでもなく、そこへでもなく、その静止点に踊りがある。
しかし停止でもなく、運動でもない。それを固定制と呼んではいけない。
そこに過去と未来が集まる。そこからの運動でもなく、そこへの運動でもなく、
登りでも、降りでもない。静止点、その点がなければ
踊りはないのだ、あるのはただ踊りだけだ。
わたしたちは、そこへ行ってきたといえるだけで、何処へとはいえない。
どのくらい長くともいえない、そんなことをいえば、
時間のなかに、それを置くことになるからだ。
実際的な欲望からときはなたれた内面的な自由、
行為と苦しみから解放され、内面的と外面的な
強制から解放されながら、しかも恩寵感につつまれて
静止しながら動く白い影・・・
洋書カバー、画がすてき!
原題は、"The Inner Reaches of Outer Space"
素敵なタイトル
この世にはたくさんの神話や創世記というようなものがあるけれど、
それらはどのようにつながっているんだろう、という疑問があって、この本を手に取った。
著者は神話学者のジョーゼフ・キャンベル氏(1904-1987)で、
12年かけてインド哲学や神話を中心とするシリーズ4巻を執筆するなど膨大な文献を残された。
この書は、彼がこの世を去る数年前に書かれた論文を中心に構成されたもので、
彼の人生をかけた研究がここに集約されているといっても過言ではない、と訳者が書いている。
多くの人が「私たちは神を信頼する」という格言の「神」が
キリスト教の「神」をさすと思っているほどです。
しかし、それは違います。
・・・
神の観念は、最初から人間の精神に内在しています。
・・・その根源的基盤と究極的な意味において、
あらゆる宗教は一つ
―ちょうど人類が一つであるのと同じように―
だからです。
この文章を読んだとき、この難しい本を最後まで読んでよかったと思った。
この文章を、彼の言葉で読めて、本当に良かった!
===さて、実際に本を読もうと思う方は、以下は読まないで===
神話や感覚を語ることは極めて難しい。
・・・ゆえに、かなりの単語とその意味(歴史)がわからない。
これまで学んだ英文学、物理学、美術など、できることなら再度短時間で復習したい。
だけど、すっかりお手上げ状態じゃなくて、内容を理解できてしまうのは、
きっと私たちが既に持っている何かを説いているからなんだろう。
キャンベル氏は、世界各地で誕生した歴史上の神話をひもといていく。
ひもといていく・・・なぜなら、神話は隠喩で語られているからだ。
(原題のサブタイトル: Metaphor as Myth and as Religion)
インダス文明、シュメールやアステカの神話の共通性をあげ、
一ドル紙幣のピラミッドや鷲の絵、ナバホ族の絵などの隠喩を説く。
ユング派の彼が研究するところには、心理学の三から四の移行が、
第三チャクラから第四チャクラへの移行と一致するなど、非常に興味をそそられるが、
まだよく意味がわかりません(あら)。
世界中に存在する、大小さまざまな部族(グル―プ)が伝える神話は、
年代、地域、地理的環境、習慣の違いで神話の内容は異なるとしても、
根底にあるものは同じものなのだそうだ。
その神話の根底にあるものを、「モナド」と定義し、それは神話に隠喩的に影響するのだそうです。
さて神話は、いつも隠喩で語られるがゆえに、それを正しく理解しない大馬鹿ものがいる!
と、さすがに研究者、言葉が激しく厳しい。
そして、神話の「モナド」から起源をたどるっていくと・・・チャクラにたどり着く。
私としては、「なんと、チャクラにたどり着く」と書きたいくらい。
この本、半分以上はインド神話とチャクラに関するものだった。
チャクラについては知識としては少しだけれど、この本から出会うとは思ってなかった。
神話学者的観点で、ビッグバンや銀河系を半永久的な数字の羅列(目が回る)で説明した後、
この地球は、「宇宙のフケ」ほど微小だと言い放つ。
それほどちっさい地球上の、それはちっさい一人の人間にも神が宿っているとは、
神様とはなんと寛大なのだろうと感動する。
神が、ふって息を吹いただけで(←隠喩)、きっと地球はすぐ氷河期になる。
万物に生死をもたらせるのは、この偉大なる神しかいないんだから。
この莫大な宇宙と、宇宙意識の中で、生命の神聖さを感じる。
だからいうも感謝と愛をもち、今を生きていたい。
まわる世界の静止点。肉でも肉でないものでもなく。
そこからでもなく、そこへでもなく、その静止点に踊りがある。
しかし停止でもなく、運動でもない。それを固定制と呼んではいけない。
そこに過去と未来が集まる。そこからの運動でもなく、そこへの運動でもなく、
登りでも、降りでもない。静止点、その点がなければ
踊りはないのだ、あるのはただ踊りだけだ。
わたしたちは、そこへ行ってきたといえるだけで、何処へとはいえない。
どのくらい長くともいえない、そんなことをいえば、
時間のなかに、それを置くことになるからだ。
実際的な欲望からときはなたれた内面的な自由、
行為と苦しみから解放され、内面的と外面的な
強制から解放されながら、しかも恩寵感につつまれて
静止しながら動く白い影・・・
(cf. buddhacarita 2-10 ブッダの言葉)
洋書カバー、画がすてき!
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