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打たれない杭 [和道 Wha-Dho 哲学]

先日、生徒さんのお母様と、子育てついて話していました。

子育て環境にもいつも悩み種はあります。家庭での方針、教育制度、PTA、社会の子育て環境、進路・・・悩めることは様々、そして溢れる情報、物質主義な社会・・・。どの情報を子どもに適応させてよいのか、不安になることもあるでしょう。親であれば、自身の言動や価値観はダイレクトに子に影響しますが、子を持つ親じゃなくてもそれは同じことです。自分自身の思考は、自分が思う以上に影響力があります。特に自分への影響力は大きいでしょう。

本当は自分が何をしたいのか、基準となるものは何なのか、それがわかれば、様々なことの判断がしやすくなります。それは、必要なことを、必要な時に、必要なだけ得る、または得ないということなのです。ただ、これは本に書いてあることではありません。自分に合う基準は自分の心に書いてありますので、そこに得に行くしか方法はありません。


世界には、社会の目や、見えないルールというのが強く存在している国や集団がいくつもあります。例えば、日本で働く外国育ちの友人たち(元同僚)は、日本は場の空気を正確に読んだり、「行間」読むことを期待されると言います。また、公共の場にいる子どもたちのお行儀が良いことにも感嘆しています。団体として行動するときも統制されていて、団体で力が出しやすい特徴もあると思います。

さて、こういう日本の特徴にあって、「出る杭は打たれる」という諺がありますが、先程のお母様が学生の時、ある先生がこう言われたそうです...

「出すぎる杭は打たれない。だから出ちゃいなさい」、と。

極めて才能の高い子たちが通う専門的なスクールや、「飛び級」を選択することが容易な環境(社会)であればよいのですが、できるだけ横一直線に足並みをそろえて成長しましょうという価値観が強い土地などでは、今まさに出ようとしている杭は打たれやすいように思います。外部の環境をいろいろと比較検討していると、出ようとしている間に上から打たれる、ということもあるのでしょう。

しかし、個人の特性を自由に解放して伸ばせる環境があれば、とりあえず周りと足並みを揃えなきゃとはいう考えは影をひそめます。学校の成績だけでは表現しきれない、一人ひとりの輝きがあります。これは、今暮らしている社会習慣や国際社会がどうだというのとは関係のない輝きです。杭を感じて生きる、自由に解放されて生きる・・・どの生き方を選ぶのかは個人の自由です。人は互いに協力して生きていく動物ですが、出る杭を打ったところで、強調性が促進されるわけではありません。これが「杭」と呼ばれることも興味深いですが、これがたくさん出るのは創造性豊かなしるしだと思います。

最近よく、個性を伸ばせる教育現場が、社会を多様化させ、経済を繁栄させるというビジョンを見ますが、最も印象深いのは、人々の生き生きとした笑顔です。



実際のところ、水のように生きるのが一番なのでしょうね。水のように柔らかく、抵抗せず、流れに身を任せて・・・[かわいい]







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