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父はアルツハイマー [和道 Wha-Dho 哲学]

父が喉頭ガンで声を失ったのは、もう5年か6年前のこと。

小さい頃からずっとパパっ子で、両親が離婚して母とは正反対の継母がお寺に来てからも、私は残って、お寺と父の世話をしていくつもりでいた。東京に引っ越しても、いつか京都のお寺に戻るつもりで・・・20代中盤まで。父の近くで父をサポートしたいと思っていた。

なんて傲慢だったんだろうと気づいたのは30歳前。父も必死に生きていただろうし、どうして私が一人の命を「救った」り、「助けた」りできるのだろう。だけどあの頃はお寺と父を何とかしたかった。何かに引き離されて東京に引っ越してきたのに、それでもやれること以上のことをやり続けた。

家族に相談し、檀家に応援を求め、本山へ出向き、大奥の応接間でその時を待ち・・・。そして、できることをすべてやりつくした時、お寺を継ぐことをあきらめた。それは私の使命じゃなかったんだと。自分の人生がお寺にない事を、神さまは私に教えてくれていたのに、長い間無視し続けたから心が苦しんでいたのだと思う。お寺は私の人生から去った、お寺でできること以上の事を、現世ですればいいと思った。

だけど、父との関係は終わっていない。

そう、5年か6年前に、風の便りで父のガンを知り、声帯摘出の手術を知った。
声がなくなる前に父に会いに行きなさいと誰かに言われて、ある日東京から新幹線で京都へ向かった。京大病院の病室へ行くと、父がお客さんを迎えるような顔でこちらを向いた。

「こんにちは。」

「こんにちは、久しぶりの再会ですね。元気でしたか?」

私が父に会いに行った目的は、やはり父が好きだったからだと思う。小さい時に一緒に遊んだこととか、いろんな場所に連れて行ってくれたこととか、やっぱり私は「お父さんの子」って思いたかったんだと思う。

他人みたいな会話をしてから、父が私に手紙を書きたいと言って紙とペンを持ったので、父に私の住所を告げた。

その後、彼は訊いた、

「名前は?」

父は私の名前を覚えていなかった。
涙をこらえるのに、少し震えた。


名付けてくれたはずの父が、私の名前も漢字も覚えてなかった。
父は、きっと手術のショックか検査や麻酔で、疲れているのかと思った。



今年、2011年7月、大阪へ出張ついでにお休みもらって、お墓参りへ行こうと思った。お墓参りはいつもするけれど、今回は何故かこのタイミングでお寺の中に入るしかないと不思議な感じがあった。去年、父が養子をとったと聞いていたので、私の6人目の初の男兄弟に挨拶してもいいかと思ったのもあるし、裏庭を見ながらゆっくり瞑想でもしてみたかったのかもしれない。

山門を入ってから感じたのは、雰囲気がまるで幽霊寺。小さい頃に感じた清らかなエネルギーを、もう全く感じられなかった。エネルギーが淀んで暗い。


お寺の玄関を入ると、継母に続いて父が出てきた。
彼はぺこぺこぺこぺこしていて、私のことを見てにこにこ笑っている。
私は久しぶりなので、近くに行って「こんにちは」といって目を見た。

でも、目の中の私は他人だった。彼は敬礼をしていて、私もなすすべがなく、ひたすらお辞儀をするしかなかった。



今回、父が声を失ったのは、もう心を外に出さないことが現実化してしまったように感じるし、記憶を失ったのは、彼が辛い人生を忘れたいと願ったからかもしれない。幼い頃に父が経験した孤独と寂しさを、きっとずっと一人で抱え込んだのかもしれないし、人がコントロールすることのできない何かが、彼の記憶を消し去ったのかもしれないと思う。わからない。でも、父は彼にしかできない方法で私にいろんなことを教えてくれたし、父が居たからこそ私は産まれてきたのだから、私は父に穏やかに感謝している。

不調や病気の原因は、確かに日常生活の乱れや栄養の不摂生が関係あるけれど、悲しみや孤独も立派に病気の原因になる。精神的な悩みは、いずれ積み重なって必ず表面化してくる。


私がお寺を立て直したい、父の人生を立ち直らせたいと思っていたのはエゴで、見直すべきだったのは私の心だった。それまでの私は、途上国支援や貧しい人の援助ばかりをしていて、自分の心を無視できるのなら、いくらでも人のお世話をした。人、場所、国、時代が持つカルマは大きすぎて、一人の力ではなんともできないのに。


過去世で、私と父は何度も近い場所で人生を共にしたかもしれない。今を生きる上で、彼とのカルマを昇華させなければならなかったのだと思う。長い時間がかかったけれど、私はこれで、本当の意味で、過去のカルマを終え、今回の人生のカルマに向き合えると感じる。


瞑想をすることで、様々な真実に気づく。
瞑想するだけではなく、実際に行動することで自分の人生が見えてくる。


-生まれてきた意味

-生きる目的

-与えられた人生の使命

-歩くべき道

-共に歩むパートナー


天を敬い、人を愛し、地面にしっかり足をつけて生きていれば、必要なこと与えられる。
だから私も、今に専心して生きていたいと思う。

心を無視してむやみに生きることはもうない。
執着もしない。不器用かもしれないけど真正面を向いて生きていく。
感謝と喜びを感じる「今」の連続が、真の幸せを運んでくるのがわかったから。





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素子

貴女は本当に愛に溢れた人だ。

またいつか、公園でお茶しながら、沢山沢山しゃべりたいなあ。。。
by 素子 (2011-10-30 19:52) 

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