オーストラリア(アデレード)滞在記【前編】アデレードの持続可能な暮らし [オーストラリア☆エコ・ビレッジ通信]
2013年2月、スチュアートの故郷であるアデレードに行ってきました。今回の目的は、彼の里帰り。
渡豪前、私たちがこれからどこで家庭を築くのか、東京にこれからもずっと長く住むのか、という結婚した二人にとっての「人生の目的」を見直す時間がありました。自分たちの暮らしをきちんと見つめることで、何かが変わり始め、当初オーストラリアに行く予定はなかったものの、急きょ予定を立ててオーストラリアに飛びました。
もちろん、これは私たちの遺伝子に描かれている青写真の一部であろうと思います。そして、今日現在(2013年6月)また私たちの歴史が変わってきています
では最初に、スチュアートが育った故郷 アデレード について、ちょっと。
世界地図を目の前に置いてみると、アデレードは、オーストラリア大陸の南側中央の、ちょっとへこんだところの東側にあります。京都市と同じくらいの人口(約100万人強)で、リニアシティと言って、南北にのびる街です。西側は海、東側は山。海と山に挟まれた、冬は過ごしやすく、夏は激しく暑いです。私は人に説明するとき、京都と同じ夏の暑さと人口規模、地理は神戸市のような感じ、と言います。なんとなく、わかってもらえるかな?
シドニーは、イギリスが囚人を送ったところから教科書の歴史が始まりますが、アデレードに最初に来たのはドイツ人。このドイツ人が、ブドウの木をたくさん持ち込んだことで、現在も世界でも有数のワイナリーががたくさんあります。「アデレード」という名前も、実はドイツ語で「貴婦人」という意味。美しいでしょ
そして、フェスティバルが非常に多い街なんですよ。もともとBBQ大好きな国民ですが、アデレードはそれに輪をかけてフェスティバルが年間を通じてた~くさんあります!アート、芸術、スポーツ、統合医療、スピリチュアルなどなど。もちろんファーマーズマーケットも、常にあらゆるところで開催されています。
この辺りの情報は、スチュアートや彼の家族、友達が教えてくれました。自分のホームの歴史に誇りを持っている・・・少し京都人に似ていると感じました。
そして私が強く感じたのは、ここアデレードは、「持続可能な暮らし」を実践できる場所だということ。アデレード中心街はそんなに大きなエリアではありませんが、中心街には「世界初のソーラー電池バス」が走っています。街のド真ん中には、エネルギースタンド(電池充電場所)も。
驚きのジェスチャーとともにどうぞ
↓
それもそのはず、市役所は天井のソーラーパネルで発電しているのです。市が率先して行っているから、家の屋根もソーラーパネルばかり。太陽の光が強い特性を利用して、市街地ではソーラーパネルがポピュラーです。
一方、海沿いの半島に行くと、風力発電も使われます。75本の電気風車が、その半島にある町の数千世帯の電気を支えているとのこと。
(風力発電の写真は後ほどアップします♪)
また、夏は乾燥し、45度の猛暑日が続くオーストラリアにとって、水は大きな問題です。各家庭は、このようなウォータータンクを1台は置いて、雨が降った時に大量に貯水します。
この雨水は、そのまま庭に捲かれたり、濾過して生活用水として使われます。
家庭の生活排水は、この地下タンクで酵素分解され、土に戻っていきます。スチュアートの家にも、お友達の家にも普通にありました。匂いも、もちろんしません!
同じものが、世田谷区の等々力渓谷の日本庭園にもあるんですよ!見つけれる人いるかな??
また、キッチンから出たいわゆる「資源」(野菜の皮や材料の端っこ)は醗酵され、ハーブや野菜を作る土壌に還元されていきます。
春と秋にはお花が咲き誇ります。夏の終わりは、最もグリーンなシーズン。
美しい一輪のバラも、母なる大地の、命のつながりから生まれてくる。
自然界からの恩恵である、熱(電気)、水はフリーであるはず、と考えている人が多い。京都と東京で暮らした私には最初はなかった感覚。そして、私が訪れた2月(オーストラリアの夏の終わり)は、冬に雨が多かったこともあり、電気代も水道代もかからないということでした。
スチュアートにとって、小さい時から今に至るまで、普通に実践している自然に沿った、持続可能でオーガニックな暮らし。東京では、近くの有機農園をお手伝いしたり、家で細々とハーブを作っていたけれど、やっぱり本当にしたいことが出来ていなかったんだなと、自分の心の声を実聴しました。
オーストラリア(アデレード)滞在記【後編】
『結婚祝賀パーティとコレクティブ・コミュニティ』に続く...
渡豪前、私たちがこれからどこで家庭を築くのか、東京にこれからもずっと長く住むのか、という結婚した二人にとっての「人生の目的」を見直す時間がありました。自分たちの暮らしをきちんと見つめることで、何かが変わり始め、当初オーストラリアに行く予定はなかったものの、急きょ予定を立ててオーストラリアに飛びました。
もちろん、これは私たちの遺伝子に描かれている青写真の一部であろうと思います。そして、今日現在(2013年6月)また私たちの歴史が変わってきています
では最初に、スチュアートが育った故郷 アデレード について、ちょっと。
世界地図を目の前に置いてみると、アデレードは、オーストラリア大陸の南側中央の、ちょっとへこんだところの東側にあります。京都市と同じくらいの人口(約100万人強)で、リニアシティと言って、南北にのびる街です。西側は海、東側は山。海と山に挟まれた、冬は過ごしやすく、夏は激しく暑いです。私は人に説明するとき、京都と同じ夏の暑さと人口規模、地理は神戸市のような感じ、と言います。なんとなく、わかってもらえるかな?
シドニーは、イギリスが囚人を送ったところから教科書の歴史が始まりますが、アデレードに最初に来たのはドイツ人。このドイツ人が、ブドウの木をたくさん持ち込んだことで、現在も世界でも有数のワイナリーががたくさんあります。「アデレード」という名前も、実はドイツ語で「貴婦人」という意味。美しいでしょ
そして、フェスティバルが非常に多い街なんですよ。もともとBBQ大好きな国民ですが、アデレードはそれに輪をかけてフェスティバルが年間を通じてた~くさんあります!アート、芸術、スポーツ、統合医療、スピリチュアルなどなど。もちろんファーマーズマーケットも、常にあらゆるところで開催されています。
この辺りの情報は、スチュアートや彼の家族、友達が教えてくれました。自分のホームの歴史に誇りを持っている・・・少し京都人に似ていると感じました。
そして私が強く感じたのは、ここアデレードは、「持続可能な暮らし」を実践できる場所だということ。アデレード中心街はそんなに大きなエリアではありませんが、中心街には「世界初のソーラー電池バス」が走っています。街のド真ん中には、エネルギースタンド(電池充電場所)も。
驚きのジェスチャーとともにどうぞ
↓
それもそのはず、市役所は天井のソーラーパネルで発電しているのです。市が率先して行っているから、家の屋根もソーラーパネルばかり。太陽の光が強い特性を利用して、市街地ではソーラーパネルがポピュラーです。
一方、海沿いの半島に行くと、風力発電も使われます。75本の電気風車が、その半島にある町の数千世帯の電気を支えているとのこと。
(風力発電の写真は後ほどアップします♪)
また、夏は乾燥し、45度の猛暑日が続くオーストラリアにとって、水は大きな問題です。各家庭は、このようなウォータータンクを1台は置いて、雨が降った時に大量に貯水します。
この雨水は、そのまま庭に捲かれたり、濾過して生活用水として使われます。
家庭の生活排水は、この地下タンクで酵素分解され、土に戻っていきます。スチュアートの家にも、お友達の家にも普通にありました。匂いも、もちろんしません!
同じものが、世田谷区の等々力渓谷の日本庭園にもあるんですよ!見つけれる人いるかな??
また、キッチンから出たいわゆる「資源」(野菜の皮や材料の端っこ)は醗酵され、ハーブや野菜を作る土壌に還元されていきます。
春と秋にはお花が咲き誇ります。夏の終わりは、最もグリーンなシーズン。
美しい一輪のバラも、母なる大地の、命のつながりから生まれてくる。
自然界からの恩恵である、熱(電気)、水はフリーであるはず、と考えている人が多い。京都と東京で暮らした私には最初はなかった感覚。そして、私が訪れた2月(オーストラリアの夏の終わり)は、冬に雨が多かったこともあり、電気代も水道代もかからないということでした。
スチュアートにとって、小さい時から今に至るまで、普通に実践している自然に沿った、持続可能でオーガニックな暮らし。東京では、近くの有機農園をお手伝いしたり、家で細々とハーブを作っていたけれど、やっぱり本当にしたいことが出来ていなかったんだなと、自分の心の声を実聴しました。
オーストラリア(アデレード)滞在記【後編】
『結婚祝賀パーティとコレクティブ・コミュニティ』に続く...
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