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第一章から第二章へ、ブログお引越のお知らせ(2014年10月) [ブログ引越のご挨拶]

いつもブログにお立ち寄りいただきまして、ありがとうございます。

この度、この第一章の続編としてのブログ『第二章オーストラリアで無我を生きる』をスタートさせました。

2009年10月に開始したこのブログ第一章は、ネット上(SNSミクシ)を通して、志野・デスーザ氏と出逢い、オハイオにいる志野さんとご主人のポール・デスーザ氏を訪ねたところからスタートしました。最初のタイトルは、『スピリチュアルジャーニー〜ファンキーマスターとゆく〜』でした。今でもこのタイトルはベストヒットだったと自画自賛です。

第一章はまさに、ポール氏の和道を実践した魂の成長記。ファンキーマスターに光りを照らしてもらいながらのスピリチュアルジャーニー。決して多くはありませんが、5年間で273記事を書き、50万人近くの方に訪れていただきました。ありがとうございました!

オーストラリアへの移住が決定した2013年中旬の記事から、第一章と第二章を同時並行で継続していましたが(記事重複させています)、2014年10月より第二章のみにアップしていくことになりました。第二章『オーストラリアで無我を生きる』は、画面左側のリンクからもお越しいただけけます。

第二章のテーマも第一章から大きく変わりませんが、より深い内容で「今を生きる」について綴っていきます。和道で身につけた力で、己で切り開いていく人生。無我に生きるということが、光悦や至福が長く続く状態だったり、痛みから完全解放されることではないと感じる私にとっては、もはやそれらがゴールでもありません。幸せになる力をより確かなものにし、日々をその方向へ微調整させながら、善き選択と行動をしていく、、、そんな日常を書いていきます。


[ふくろ]ブログ引越の経緯メモ:
この度、お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、過去記事内の写真が多数消失してしまい、復旧できない状態になっています。これも何かのきっかけ。新しいブログでメモリもリフレッシュさせ、新しい章としてスタートすることにいたしました。長めの文章(毎度お付き合い頂き、御礼申上げます)を、たくさんの写真とともに、心置きなくアップしていきます。

ご挨拶すら長くなる私のブログですが、人生について深く考えたくなるような折には、どうぞ第一章そして第二章へお立ち寄りくださいませ。今後ともよろしくお願いいたします[晴れ]



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〜ご参考まで〜
[かわいい]このブログ、第一章のあらすじ:
(これを読んで、ピンと来たかたはぜひカテゴリーをたどって、ブログをお楽しみください[本]

スピリチュアルと宗教はまったくの別物だと信じきっていた、趣味に仕事にストレスも愚痴もいっぱいだった東京生活からのスタートでした。ポール氏と出会った当初は、彼の言語をまったく理解することができなかったのですが、様々な新しい目線での経験や気づきを通して『魂の言葉(スピリチュアル用語)』を理解していきました。ポール氏のアドバイスには、今まで十分してきた言い訳や躊躇を、一切御免で取り入れていきます。このブログに書いているようなアドバイスを次々と実践していくことで、身動きできなかった身体を回復させ、より直感を強めて、瞑想の技術をつけ、幸せに生きる力をつけていきました。

修行開始直後には【読書禁止令】が施行されましたが、ポール氏との濃い数ヶ月の修行を過ごした後に手に取った本には、自分が経験したことばかりが書かれていました。お勧め本も第一章にたくさん掲載していますので、ご参考にしてください。

一番の懸念材料であった身体と心の痛みの解放は、まず『気づくこと』から始まりました。最も大きな気づきは、子どもの頃に経験した深い心の傷(トラウマ)が、己を無意識に「檻の中の犠牲者」につくりあげ、それを長年引きずっていたこと。何をしても不満足で今を生きられず、何か恐ろしいモンスターに追われているような恐怖感を持って生きていました。同背景の彼と出会っては別れの繰り返し、仕事生活において経験した度重なる身体の痛みは、魂の目覚めに向けての天からの通知であったことに気づけたのは、本当に大きな一歩でした。
先は見えなくとも信念を持ち、ポール・デスーザ氏の言葉とヒーリング(それこそが『和道』です)を勇気をもって実践したことによって、心の奥底にあった深い痛みの原因を理解して、受け止め、解放させていきました。同時に、究極の寂しさ、嫉妬、怒り、そしてそれら発生する持続可能な競争心や「がむしゃら精神」も、理解し、受け止め、手放していく力をつけました。

この魂の成長期を通して、美しいものを(エゴフィルターにかけずに)美しいものとして捉える技術もつきました。尊敬するブッダの本を再読しては、その伝えようとしたことを理解し、同じくトラウマから逃げさせてくれたマイケル・ジャクソンの歌詞を再読し、愛という存在の理解も一段と深めました。ギーダーの世界、有機農業のボランティア、ヨガや太極拳など、新しく取り入れ始めたものを趣味レベルを超え、生活における充足感もアップしていきました。

その時々の「今」に出来ることを実践しながらも、トラウマの記憶からの急な発作(パニック)は続きました。「もう手放した」「もうヒーリングは必要ない」と言い聞かせ、もうトラウマはないと信じても、もうすっかり忘れたような頃にパニックが大噴火[どんっ(衝撃)]、が繰り返されます。「然るべきタイミングがきたとき、それを手放すことができる。心の中にずっと存在してきたなにものかは決して悪者ではなく、何か大切なことを教えてくれた尊いもの」そうわかっていながら、それを無理矢理に心からこそぎ落としたかった「欲」がずっとあったのでした...

和道生としてポール氏に執拗にまとわりつき、和道ワークショップやリトリートへ参加し、通訳として運営側にまわってからも、和道インストラクターとして闇を手放せないことにジレンマを感じていました。己を全体で受け入れることができていない者が、どうして人を導くことができようか...。悩んでいた頃、今の主人と出会い、結婚し、そしてオーストラリアへ移住し、第二章へと続いていきます。


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期待を手放す@オーストラリア【環境が変わっても穏やかな幸せを】 [和道 Wha-Dho 哲学]

オーストラリアへ引越して10ヶ月が経ちました。パートナービザがおりた今も、『己を知る』旅は続いています。

引越し後、こちらで時間ができたので念願のズンバとテニスを始めました。しかし、直後に身体が悲鳴をあげすぐに止めました。それから数ヶ月は半日の外出も難しく、菜園で働くのは30分が限界、1時間動くと翌日寝込みます。肩から指まで常に痺れ、胃腸は不調、眠れない夜が続きました。鍼灸治療を始めました。

身体の痛みは、精神の状態が顕在化したものです。ここで、この状態からどうすれば穏やかな幸せを感じることができるか、またもや自らの人生で人体実験してみることにしました。


++―――++―――++―――++―――++―――○o。 ○o。


東京から大自然エコビレッジへの移住で、考えられる何もかもが一転し、移住直後は「(自分にとっての)普通な生活」ができませんでした。いちばん馴れないのは南半球生活。四季が逆転し、太陽と月の軌道が変化したことで、胎内時計が今も狂っています。
例えば昨日、寒い夜にジャズを聴き、ロウソクの光でローストチキンを食べながら、あれ今日はいつだっけ?7月です。カレンダーをじっくり見ても、今日の日付がしっくりきません。

慣れ親しんだ時間の流れ方、ライフスタイル、文化、精神性、便利さは、日常にもうありません。期待するような返答が相手から帰ってくることは皆無。「空気読めへんのかっ」とひとり暖簾に腕押しすぎて疲労。言葉の壁で知りたいことはわからない、伝えたいことは伝わらない。日本ならすぐ手に入るものが手に入らない。日本の都市部の世界観と、オートラリアの田舎のそれとの間で宙ぶらり。便利さをお金で得る暮らしから、便利さは自然から借りてくる生活。太陽や月の軌道でさえ、慣れ親しんだ線を描かない。東京では週末ようやく神経がほぐれるかどうかのビリビリした精神状態が、今はひたすら雲や木の音を聴いて過ごす生活。静寂を獲得するために常に戦い続けた「バトル」も消滅。「働く」という概念が今まで生きてきた国とまったく違う。ホリデーではない、これが日常。これら一切が疲労につながり、移住後はいつも眠く、そして持病から痛みまですべてどっと吹き出てきました。

これはずばり、期待をしすぎていることが原因で、不調になっています。過去の私をオーストラリアに一緒につれてきて、期待している心地のよい道を行けると決めていたのです。

ぐるぐるまわる「期待」を自らまわし続けて、イライラしていました。イライラするから身体が痛いのか、身体が痛むから落胆するのか、負のスパイラル。...に突入する前に、意識のリセットです[手(パー)]


まず、期待を手放しました。どうやって手放すかのアイデアをいくつか書いてみました。

1.ジャッジ(善悪の判断を自ら)しない

以前慣れ親しんだ生活のことを本気で恋しがったり、悔やんだりしない。ここにないものはない、なら良い意味であきらめる。新しい習慣、新しい生活、やりなおし(別居後の)新婚生活、あるがままをあるがままに受け入れる。ひとつひとつの物事に対して、好きも嫌いもありません。ただ、それをそれとして受け入れるだけです。物事はそこにあり(起こり)、そこに今「私」はここに居るだけだということです。人付き合いもそう、日々のできごとに対してもそう。好きも嫌いもなく、ものごとが起こっていくだけ。判断をしないで、心地よいと感じるものを自然に選んでいく。


2.過去の自分を話さない

ある日、ご近所さんと話していた時、私は自分が過去に存在していることに気づきました。過去の自分や昔の仕事のことばかり話していたのです。そして感情も(もれなく)セットでくっついていました。新しい場所では、誰もあなたが何者であるかを知りません。自分が何者かを伝えるために、履歴書に書いてあることや、過去の自分を話しがちです。すると、「今の自分」は消えていきます。今の自分は、過去には存在せず、過去の自分は、未来にも存在しないのに、です。
過去は過去でいいのです。今は「今を生きる」ことに集中したいからこそ、過去に執着しないということです。また心を「過去」に戻さないのと同時に、今の状況から逃げるための「未来」についても話しません。今をせいいっぱい生きるだけです。


3.今を受け入れ、どっぷりと浸かる

今の環境をそのままで受け入れる。例えば、あれがないこれがないと言わない。食にしても、食材を求めて探す事をやめました。今あるものや旬のものを使う、というよりもはや究極で菜園にあるものを使っています。頭でひねり出した英語が通じなくても、もういいやと思うようになりました。言語で失敗しても、ハグしたり目から伝えられることには失敗がありません。今にどっぷりと居ることで、自然と楽しさを感じれるようになるのは素敵な効能です。


4.感情をコントロールする

イライラすると、一人になる。外へ出て、新鮮な空気を吸う。コントロールできないレベルの感情の淵に落ちてしまうと知っているならば、その前に周りに相談して、自分で感情をコントロールできるような環境作りを事前に整備する。この項目は今は少し易しくなりましたが、長くとても辛い「修行」でした。

以前は、思うように行かない毎日、思うように生きていない自分に対して心の奥底で怒り続けていました。だから小さなイライラが起こると、心の奥底の怒りが連鎖して、自分の内から大噴火していました。数年前から「今」を受け入れる努力を続けたことで、人生から要らない(過去の)ものがそぎ落とされ、(今の人生に)必要な物がどんどん流れ込んできて、人生の基盤を築きなおしたことで、心の奥底にあった怒りの層はどんどん消えつつあります。感情がアップダウンすることがあるならば、これは心の奥底に積み上げられた何らかの感情に原因があるかもしれません。


4.感謝する

ありがとう、ありがとうと、言うことです。目の前にいる人、私がここまでやってくるために出会った人、家族。自然、植物、生き物、なにもかも。みんなに感謝し、生命に祈る時間をきちんと持つことです。

今いる場所がどこであっても、今、自分が存在する場面に登場するものすべて、感情もふくめてすべてをただ見つめてそこに居る(在る)だけです。感情はなくなったのではありません、感情を感じている自分もしっかりと見つめるのです。この連続が、不思議と感じるかもしれませんが、とても穏やかで幸せな状態へと導いていきます。これは心の訓練次第で、誰にでもできることです。


++―――++―――++―――++―――++―――○o。 ○o。


さて、不思議な事に、過去の傷を癒すことやヒーリングと呼ばれるものは、日々に専心することで起こるように思います。いつもよりさらに意識的に「今を生きる」を実践して二ヶ月も経たない頃、通っている中国医療の先生で鍼灸治療をした際、ハートチャクラの胸側と背中側から大きく出血しました。体内の血の巡りが悪いことは現代人によくありがちな症状ですが、先生曰く「出血は稀だけれど、若い頃にうけた衝撃の記憶が、血とともにハートに澱んでいるケース」と。その治療はリチュアル(儀式)のようになり、たくさん泣いた後には、身体の痛みからどんどん解放されていきました。私の内にある一枚の「記憶の画」とそこに癒着する「感情」が、今を生きることに集中することで薄まりました。


移住した国で母国のように暮らすまで、かなりの時間がかかることは承知しています。穏やかに今の環境へ適応できる理由の一つに、日常に瞑想があるとも言えます。瞑想をしたからといって、魔法のように人生から困難が消えることは決してありません。エゴにより動く自分ではなく、心の奥底から声を発する「本当の自分(高次のセルフ)」とつながることで、苦しみや痛み、そして光悦や仮の喜びを、その高次の眼でみることができます。

また瞑想は、生きるために与えられた最も尊く基本な行為...呼吸に集中することを、自分に知らしめる訓練でもあります。瞑想の効果は、ゆったりと始める呼吸が徐々に教えてくれます。もしも今知りたい答えがあるならば、その答えを静かな時間がきっと教えてくれるでしょう。。。


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期待を手放す@東京【喧噪の中で無執着を知る】もどうぞ)

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オーストラリア・パートナービザ取得への道4【タイから帰国、ビザ取得!】 [国際結婚・永住]

今月(2014年6月)、オーストラリアのテンポラリー・パートナービザがおりました[ぴかぴか(新しい)]

在韓国オーストラリア大使館に、私の申請書類が受理されたのは昨年(2013年7月)。私は日本にて、スチュアートはオーストラリアにて、2人で国際郵便とスカイプを通して書類作りをし、大使館へ書類を提出しました。(これまでのプロセスは、オーストラリア・パートナービザ取得への道1〜3をご覧ください♡)


ところで、なぜ韓国のオーストラリアの大使館にて申請したのか、とたまに訊かれます。
[ー(長音記号2)]理由1. 在日オーストラリア大使館の、パートナービザを扱う部署が撤退した(予算不足と思われる)

[ー(長音記号2)]理由2. 夫婦が別々の国から申請した方が、ビザがおりる時期が早い
(別居を考慮してなのか、スチュアートと共に私もオーストラリアに行き、同国で申請する方が長くなる)

一方、このような難儀も発生いたします。
[ー(長音記号1)]難儀1.パートナービザを大使館に申請中、夫がいるオーストラリアに行くために、オーストラリア国内の移民局で、別で旅行者【家族引き寄せ】ビザを取得しなければならない

[ー(長音記号1)]難儀2.テンポラリー・パートナービザがおりる直前に、海外に出国しなければならない


昨年、申請書類を作っていた頃、穏やかに考える暇もなくひたすら申請書類を作成しました。ちょうど東京から京都へ引越し、京都での仕事がはじまろうかという頃で、本当は移民局関連の弁護士や行政書士に依頼する方が簡単なのですが、性格上自分でやりたくてやりました。
...いつの間に書類作成好きに?



ということで、今回、5月初旬に大使館からメールを受け取り、1週間以上を国外で過ごす必要があることを知り、タイへの航空券を手配しました。6月初旬にはオーストラリアを出国。20代からご無沙汰していた「バックパッカーな旅」で、ホテルも当日決めながらプーケットをぐるっと周りつつ、最後に姉と一緒にした離島へのクルージングもしてきました。初日にタクシーでボラレ(違う場所でおろされ、振り向くとタクシーいないし)、市場では「楽しい」をよゆうで通り越して疲労困憊の価格交渉、注文した物が待てど待てどこず困った顔して再確認すると「カー、カー(OK~OK~)」と笑顔で笑い続けるタイ人。あー、タイはいつもこうだった。「Welcome to Thailand」とスチュが皮肉って私に言うと、近くにいたレディーボーイに「まるでタイ人が全員そうだっていう風にいわないでよね!」ってたしなめられるそんなタイ、でもやっぱり好きなタイ。。。

さてタイから帰国した際、再入国カードの裏面に何をどうチェックしていいかわらかず、チェック欄を空欄にして提出した際、職員に「なぜ空欄にしたんですか」と問われ、「ここを通過するタイミングで、私はどのビザを持っているか知りません」と答え、その後質問もなく「OK, Thank you.」で入国審査を完了。すべてが電子上で行われるため、スタンプも書類控えもなく、たぶん、、、パートナービザを取得したはずです(爆)。

下記のようにご報告申し上げます。

 期間:申請してからパートナービザがおりるまでの期間、11ヶ月
 費用:トータルで約¥400,000-(ビザ取得直前の出国費用含む)


ちなみに、タイを選んだのは、近くてお得だから。アデレード空港からの航路が開いたばかりのAir Asia 航空を利用しました。一人で行くという選択肢は私たちの間にはなく([揺れるハート])スチュアートも一緒に旅しましたが、彼の旅費分は上記のトータルに含んでいません。


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プーケットを選んだ理由の一つに、実はスチュアートの旧友ピートが暮らしてることもありました。彼らは若かりし頃にヨーロッパ大陸をフォルクスワーゲンで放浪した仲間で、現在彼はプーケットにてクルーズ船で働いています。

スチュアートとピートは、この度の突然の再会を心から楽しみにしていました。ちょうど雨季(モンスーン)に入ったタイは観光客激減のオフシーズンですが、天候には恵まれたので、ほぼ毎日を一緒に過ごすことができました。私も、彼のおかげで、今回の旅はとても刺激的なものとなりました。

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【ナイハーンビーチで遊ぶオトコたち】

生みの親を知らないピートは、海を愛する里親に育てられ、海で育ちました。自然と海に魅了され、船舶国際免許を取得し、船を所有しキャプテンとして世界の海で働いてきました。若い頃からタイに惹かれ、いつしかタイに辿り着き、現在は小学生の可愛い息子と2人暮らし。「外国人(特に男性)」に生活上規制が多いタイにて、息子と2人で身動きができない現実だそうです。彼がわざわざ自由の少ない国に移り住み、シングルファーザーになったのも、彼の人生にとって偶然ではなく必然なのでしょう。彼が目の前にある尊くて確かな愛を、時に悲しみや怒りにとわられながらも、必至でつかんでいる姿を垣間みました...。オーストラリアとタイで距離はありますが、これからはもっとこまめに連絡を取り合うことを約束し、タイを後にしました。

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クリスと3人での濃い毎日を過ごし、2回目の入籍記念日を経て、ビザを取得し、オーストラリアの家に帰宅してから、自然とスチュアートとの関係がまた一段と深まっていました。お互いに、人生を深くみつめる目(第三の眼)がパっと大きく開いた感覚です。今を生きることを新たに決心し、2人が一緒になった現実をもっと深く、自然と抱きしめられるようになったように感じます。

結婚3年目。これからも、成長していく魂と一緒に、私たちも共に成長していきます。

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今後ともスチュアートとヒロコをよろしくおねがいします[晴れ]


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オーストラリアパートナービザ取得への道3【即時退国命令のメール】 [国際結婚・永住]

2014年5月初旬の朝、お日柄もよくメールボックスを開けると韓国にあるオーストラリア大使館から一本のメールが。タイトルは、

[mail to]「ただちに出国しなさい」

ちょっとドキっ。


去年(2013年)、私たちは4月〜9月までの期間をオーストラリア(アデレード)と京都で別居し、その間に「夫と妻が別国にいる条件下」でパートナービザを申請しました(過去記事は→こちら)。ビザ取得までに掛かる期間は、最低1年ないし1年半以上と言われ、韓国にあるオーストラリア大使館に申請して大使館から「受け取りました」のメールがきてからは、何の音沙汰もありませんでした。
ちなみに現在、私が持っているビザは、オーストラリア国内にある移民局で取得した「旅行者ビザ【家族引き寄せカテゴリー】」。パートナービザを申請した大使館と、旅行者ビザを取得した移民局は全く別機関なため、大使館のことは去年書類を出した時点で軽く忘れていました。

[mail to]「あなたはこの時点でオーストラリアに居るべきではありません」


「コノ時点」??と思って読み続けると、「パートナービザ取得の最終手続きに入るので、国外に滞在して、処理完了を待ちなさい」ということ。

そう、早い話しがこのメールはパートナービザがおりますよというメールなのでした。

もうちょっと親切な書き方ないの...



続いて、
[mail to]「1ヶ月以内に出国しなさい、また海外での滞在期間は最低5日、以上。」


ちなみに、旅行者ビザのステイタスで滞在している間は、仕事はもちろん不可。出国する際も、その分の予算があって当然という大使館のスタンス。ビザ申請費用は約30万円、ビザがおりる直前には出国費用と滞在費用が必要。費用不足だとビザ取得をお見送りですよ〜[手(パー)]ってあり得ないけど豪強気

ということで、私のパートナービザは、去年の申請から12ヶ月でおりる予定です。旅行先は、暖かくて近場でビーチ近く、、、今もビーチ近くだけどさらに赤道近くで予定をしています。そして帰国日(イミグレーションを通り過ぎる時)がビザが降りる日、そして帰国日が私たちの結婚3年目の初日になります[演劇]


   *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。:+* ゚ ゜゚ *+:。.。.。:+* ゚


さて、この有り難いメールを受けたのは、日本から親友ヨーコが訪れていた間。彼女に持ってきてもらった日本からのお土産が私たちの心とお腹をいっぱいにしてくれた後、このドライなタイトルのビザ取得のお知らせがありました。親友と一緒にお祝いできたこともよい思い出です。

彼女は日本では福の助、あ、足袋メーカーだ、じゃなくて『福の神』と呼ばれるくらいの福を呼び寄せる天使で、私と旦那さんにとっては、ヨーコがうちに来るとだいたい何か大きな課題を乗り越えて善いことが起こるので、【ガーディアンエンジェル(守護天使)】や【キューピッド】と呼んでいます[黒ハート]

ヨーコがエコ・ビレッジに数日滞在した後、私たちは一緒にシドニーに住んでいる親友のもとへ飛びました。17年前にNZは首都ウェリントンにかつてあったポリテクに通った親友。同じ寮のフロアに住んで、寝食をともにして濃い時間を過ごした仲間です。


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(左)サモア出身クォーターチャイニーズでNZ国籍、シドニー在住のTui
(右)【福の神】ヨーコ

学生時代はTuiを尋ねてサモアに行ったり、彼女と旦那さんの出身国であるフィジーでの結婚式に参列したり(学生時代からのおつきあいで結婚♡)、また彼女はその間2年間を日本で過ごしたりと、、きっと私たちはソウルメイト。国境をまたいで今生も出会ったのだと思います。

また、携帯を3つ持って働きまくる超ビジネスマンな華僑の旦那さんは、抗がん剤治療により2年前にガンを克服し、その後2年間は中国漢方と食事(医食同源の国!)、そしてグルテンフリーでガン細胞の再発可能性をぬぐい去りました。現在は、携帯2つ持ち、お金の為ではなく「世の善のため」にお仕事に励んでいます。

グルテンフリーな中国、モロッコ、日本の料理を、Tuiの旦那Lesterが披露してくれました
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出会った17年前は人生に意気揚々とし、健康など無頓着だった私たち。大学を卒業し、仕事に励み、行くべきステージへ到達し、そこで心身を崩し、健康の意味を知った今、ライフスタイルやワークスタイルを方向調整しているところです。久しぶりの再会でしたが、あの時と同じくらいの熱い情熱を持って人生について語る姿勢はまったく変わっていません。

与えられた人生の要素は違うけれど、心の底では強く繋がっていることを感じ、共に健やかで豊かに生きていこうと強く再確認した、ビザ取得と親友との再会の巻でした。


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オーストラリアでとんじんち(貪瞋痴) [和道 Wha-Dho 哲学]

環境が大きく変わる時、身体的・精神的に想像以上の負担がかかるのは自然な流れです。新しい職場、新婚生活、子どもが生まれたり、別離を経験するとき、、、人生そのものがこういった挑戦の連続でしょう。

精神性を意識することがなかった人に、魂の成長に関わる大きな変化が突然やってくると(「意識の目覚め」)、身体と精神が大きく崩れることがあります。身体の不調に蓋をすることに慣れている人は非常に多いのですが、精神はとても繊細で、崩れてしまえば隠すことはできません。無理をしすぎることで、もう一歩も前に進めなくなることもあるでしょう。それは、(意識することはなかったかもしれませんが)自らの行為により、自分自身に与えている経験です。

生きる本質に関わる学びは、いつもそのような大きな「事件」を通して私たちを変化させ、気づきを与えます。私やあなただけの、特別なタイミングで。そういう時は、探しまわってあれもこれも掴むのではなく、やみくもに走るでもなく、心のそわそわを無視するでもなく。この時にこそ、最も静かな行動=瞑想から始めることが鍵となるはずです。

わかります。過去を見れば容易にできたし、自分はできる。そして自分はできることをちゃんと見せたい。自分に対しても、社会に対しても、できると証明したい。でも、できない。今それができないことで、自分だけではなく、誰か大切な人を落胆させ、傷つけることを怖いと思う。でも、できない。できなければできなくて当然なのです、過去の私やあなたはもうどこにも存在しないのだから。

もし今こだわり続けることがあるのなら、それは何でしょう。

「私はどうして、**にひどくこだわるのだろう?
 **を無くすのが怖い?
 どうして、そんなに怖いのだろう。
 それは、人生をかけて守りたいこと?」


このまま現状放置しておけないことを、実はうすうす知っているかもしれません。心の中のひそやかな声は、聴こえないほどの声だからと言って価値の低いものでは決してありません。その声は、あなたの人生を左右する声、人生に関わる叫びであることを、聞き続けている本人が一番わかっているはずです。

しかし、瞑想すると決めても、最初は頭のフル回転が止まりません。目を閉じるとあれやこれやと、明日や昨日の心配ごとがどんどん出てくるはずです。時間が作れないと自分に言い訳を始めるかもしれません。突然座る時間を与えたことで、涙が止まらなかったり、怒りが沸き上がるかもしれません。だからこそ、瞑想を始めることになったのです。もう外部には存在しない、生きるためのヒントを見つけに、静かに向き合うと決めたのです。初めたばかりの心はうるさいのが常です。私もここに書いた通りの状態でした。静けさに居る習慣をつけることで、身体はちゃんと呼吸をすることを思い出し、身体と心の音を聞き、自然の流れに一切を委ね、今まで感じなかったことを経験するようになります。

私たちは「苦しみ」を経験できるよう、肉体ある人間として生まれてきました。なぜ?なぜ「苦しみ」を経験しないといけないのでしょう。生きる幸せや、真の喜びを知るためです。苦しみを経験することで、その真逆とも思える「幸せ」を感じられるようになっています。どの人生も、大いなる意思により「苦しみの経験」がインプットされています。「幸せ」の単独存在はなく、生老病死などの苦しみとセットで存在します。これらは頭では理解できないかもしれませんが、あなたを突き動かす遺伝子はその設計図を知っています。ここで言う遺伝子は、DNA解析とは別の次元の話しです。遺伝子の青写真は、瞑想をすることによって心眼を通して見えるようになるのです。

人生の苦しみにどう向き合うかが、幸せに生きる鍵です。みんな、過去や未来などの実体のないものに執着し、強欲ともいえる私欲を抱き、そして腹を立てたり怒るよう、そのような感情を持つ人間として生まれています。お釈迦さまの説く煩悩、「貪瞋痴(とんじんち)」を乗り越えるために、いまその「大きな出来事」が与えられたとしたらどうでしょう。今、目の前に与えられた課題は、あなたが考える以上に、人生を左右する尊い課題であり、人生をより善く生きる為のまたとないチャンスかもしれません。いのち(生命)の重さを知り、自分と家族や子どもたちを愛し護るような、真の力を養う時があらためて訪れたのかもしれません。


...「その時」はいつも私たちに訪れています。そしてもちろん私たちには選択の自由があります。見えている未来を選びたくないとするならば、未来が見えない新しい道を選ぶのもありです。私も、見えない道に向かって、勇気を持って歩き続ける一人です。歩き続ける先に、必ず光りは見えてきます。
一人にひとつずつの人生。新しい一歩を踏み出したとき、すぐ隣で、勇気とユーモアを持ち、力強く歩みを続ける仲間に出会うでしょう。

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追記:
海外に移住して、家に一人こもりがちで孤独を感じる主婦が多いと聞きました。今、ビザのステイタスにより仕事も通学もできない私が孤独を感じないのは、コミュニティに住んでいることの他に、瞑想をしているからです。
周りに人がどれほど多くいようとも、心を閉ざしてしまえばすぐに孤独は襲ってきます。反対に、周りにどれほどの人がいようとも、その場に意識的に存在することで、静けさを感じます。仮面を脱いで素の自由な自分でいられる鍵は「瞑想」です[かわいい]


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期待を手放す@東京【喧騒の中で無執着を知る】 [和道 Wha-Dho 哲学]

多くの人が「幸せな人生」、言うまでもなく「苦しみのない人生」を歩きたいのだと思います。天職を得て、社会で評価され、うまく人付き合いをして、豊かで幸せに、笑顔に囲まれて。

そして、今生で大多数とは異なるもの(恩恵)を与えられていたり、自ら設定する期待値がとても高いという理由などで、期待する人生を歩めなくて苦しんでいる人もいます。

特に「平均的」か平均値に近い姿で生きることが求められる社会では、さらに苦しみがちです。その社会にうまく適応したいと、自らに期待しているのです。でもできない人はできない。たとえ何かを犠牲にしてがんばって「期待する姿」に到達しても、さらに次の「期待する姿」を目指して苦しんでしまう。

今日のタイトル『期待を手放す』は、自分のことがよくわからずに、どこかまだ見えない地点に到達することで、幸せになれると期待し苦しんだ人が、やがて苦しみを手放せるようになったというお話です。


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数千坪の寺院で平穏豪華な子ども時代から一転、父親と義母との再婚後に出家(?)、数坪のマンションで都会暮らしをすることになったH。東京が経済と消費のメッカということもよく知らずに、読経と祈りが響き渡る古都から、東の都にポンとやってきました。今思うと、両極を同じ程度で経験した【陰・陽】のようにも見えます。

目の前にある東京での生活で、自分をそこに適応させることで幸せになれると期待したH。東京で生きていくために使える資格は何かと考えたとき、それは企業にて英語を使う仕事でした。できれば好きなことを仕事にしたいとHも思います。小さい頃から、絵や外遊びや庭いじりが好きでしたが、それを仕事にするという考えは存在しません。「純粋に好きなことを仕事にできたらな〜」。きっとそう感じて生きている人も多いと思います。天職といえる仕事に巡りあえるはずと期待して探すと、これがないんですよね。信じて笑顔の努力を続けることと、期待することで苦しんでしまうのは大きく違います。

8年後。
東京という大都市を選んで、仕事も遊びも謳歌している同僚や、目的を持っているからこそ繰り返される毎日を楽しく過ごす友達を見て、どうすれば都会生活に適応できるだろうと、期待しては落胆をまだ続けていました。故郷への未練を断ち切れずに落胆。彼氏と別れるたびに落胆、仕事で思うように自己実現できなくて落胆。長すぎる停滞期にいました。中には東京を出ていく友達もたくさんいました。Hも脱出方法を考えましたが、それすらも糸口が見つかりません。趣味のヨガやダンスはリラックスや創造性以前に、うっぷんを晴らすためで、結局身体を痛めたことが仕事にも影響するようになります。自分のことがわからないから、周りのことも理解不能なことばかりになりました。

仕事のやり方を変え、プライベートや人間関係を自分なりに工夫しては、「失敗」の繰り返し。「失敗」の側面に、何か「パターン」のようなものがあることにも気づきました。何かの理由があってここに住むことになった気がするけれど、それもわからないし、住んでいることが腑にも落ちない。今、なんで大都会に住んでいるんだろう。どうしてここを選んでいるんだろう?

ここ に いる 目的 は なに!?

これが鍵となるひとつの祈りの言葉となりました。日々、この疑問を心底から聴こえない声で叫び続け、そして瞑想を続けたことで、少しずつ自分のことがわかるようになり、すると期待すること自体も減りました。そもそも「失敗」という概念も存在しない。失敗もしていなければ、落胆することもない。単に「経験すること」が、真の理解をもたらすのです。
そして、深く深く『己を知』れば知るほど、本来の自分にとって居心地のいい環境がどんどんと整備されていきます。あとはそれを受け入れられる「自分」を維持するのみ。


*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:


世界中に存在する大都市と同じく、東京は物質的にも、精神的にも、人類の発展に重要な役割を担っている土地であるはずです。今、この場に住んでいるのなら、何かの大いなる意思の元で『地球学校』の「東京クラス」にクラス分けされたのでしょう。「東京クラス」は大人数の生徒を一気に抱え、その一人一人にあった課題が課され、それぞれの魂の成長がしっかりと見守られながら、次へと続く道へと導かれていくように感じます。そして、「東京クラス」での尊い学びが、どこでどう次の地点にシフトしていくのかは計り知れません。

私にとって、「東京クラス」での学びの一つは、高い次元から人生を見つめる方法を知ったことで、《「期待」は、自らの経験によって創りあげた「幻想」でしかない》と気づいたことでした。無意識で他と比較し、社会の中の自分に期待し、仕事や家族や、人生そのものに期待する。自分で期待を膨らませ、それを空まわりさせ、自分を苦しめる。
また、英語を使っての仕事が私の天職とは思いませんが、私に努力や壁を乗り越える力を与えてくれ、まっすぐに導いてくれる「英語」は、創造主から与えられたギフトだと感じ、大事にしています。『好きなことをしなさい。好きなことがわからなければ、今やっていることを好きになりなさい』の意味も、今は経験により理解できます。

与えられた環境がどうであれ、今できることは、執着することなく日々を意識的に生きていくことです。目の前に投影される世界が、自分の心次第でいかようにも変化しているようなことに気づきながら・・・


期待を手放し、あるがままの自分を受け入れる
生きることは、今に存在すること
己を知る。

−−−意識的に生きることで、人生は自然と導かれるのだと思います。


Moana Sunset.png



『期待を手放す@オーストラリア【環境が変わっても穏やかな幸せを】』の記事もどうぞ)

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【ヒーラーズ・マーケットで超多様性】EVNews No.6 [オーストラリア☆エコ・ビレッジ通信]

突然ですが、私の旦那さん スチュアートはボディセラピストをしています。
日本で整体、タイでタイマッサージ、中国でカッピング、各国で多様な・・・(以下省略!)その後、オーストラリアでリメディアル・マッサージの学校を修了しました。内なる自己発見の旅としては、世界中をバックパックで旅した後、グアテマラの奥地で瞑想修行を何度も行いました。
アデレードのとあるデパートの紳士服売り場でトップセールスマンになった後、日本の語学学校GABAにて超厳しい研修を受けて目黒区で人気の先生になりまして。今年アデレードに戻って天職のマッサージを続けつつ、地球人としてがんばって生きている旦那さんです。

↓どっちかというと宇宙が恋しい?
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「え、なに?」


そんな旦那さんからたまに、お得意の "Myofascial Release" - 筋肉内部の深い部分(筋膜)を開放させる施術(日本語では、マイオファーシャル・リリースが適当でしょうか)- を受けています。深い部分の疲れがとれるので、常に疲労もちだった私@東京のような人には「めっちゃ寝た~!」という効果があり、心身のストレスが貯まりにくい状態の人には、さらに深いレベルの癒しがもたらされ、またシータ波にいることでビジョンが得られたりもします。


ちなみに東京では、スチュは日本語に自信がなくて誰にも施術しませんでした。ですが、彼のヒーリングエネルギーが内在する【マッサージ台】は、東京青山でヒーラーをされている睦世さんに託していますので、東京近郊にて深いヒーリングに触れたい方はぜひお尋ねください♪


それで、今日はどうして突然 "Myofascial Release" の話をしたかと言いますと。。
週末、《ヒーラーズ・マーケット》に出かけました。オーストラリアでは《ファーマーズ・マーケット》は毎週どこかで開かれますが、同じく《スピリチュアル・マーケット》や《サイキック・フェア》もあちらこちらで開催されています。

スチュも私も、そろそろ(身体が)トリートメントを欲しがっていると感じていて、「何からかな~?」などと話していたらマーケットで出会いました。初老の落ち着いた女性。話をしているうちに、彼女から"Horstmann Technique" というセラピーを受けることになりました。

これもMyofascialの技術に似て、深い深い部分に入っていきます。さらにエネルギーやオーラの領域に入っていくといえるかな。ツボを抑えてかすかな肉体の調整を行うことで、今この瞬間に於いて幸せを阻んでいるであろう要因を、エネルギーレベルでリリースしていきます。意識面では日常の瞑想からもアプローチできますが、このセラピーは「痛みとしてのサイン」が出ている身体の箇所から働きかけていくようです。

まずは、移住後の環境変化で心身が時折イタイ状態になる私が受けることに。施術後、彼女の守護スピリットである少林寺のお坊さんと、彼女のペンダントに彫られた龍が出てきたのだと話してくれました。もちろん、私のことは話してません。大事なのは、本物の癒しがもたらす今ここに在る幸せ。(その後、久しぶりに散歩して二人で食べたクロワッサンが美味しかったよ♡)
数日前にギッコリ腰のようなギッコリ股関節をしていた私ですが、まずは骨盤の動きがかなりスムーズになり、エネルギーがスコーンと通るすっきり感がありました。翌朝は、とにかく胃の不快感が解消。内なる声が私の替わりに発言してくれるレベルになったので、とりあえず庭仕事してお肉を頂きつつ、タオの居場所(天と地の中庸)にとどまるようにしている本日です。


(ここで止めようかと思ったけど、続けることにします。長いブログに慣れて頂けましたかしら?)

☆.+゚'・:*+☆.+゚'・:*+☆.+゚'・:*+☆.+゚'・:*+☆


複数の人からの話で、アデレードは※レイライン上に位置する街、そして地下にはクリスタルが眠っていることを聞きました。また何かの縁でこの地にやってくる人の多くは、「重い感情面の整理」をするために呼び寄せられているとも。結果的にもうここに住んでいるので情報はさらりと聞くとして、とにかくここは善くも悪くも霊的な存在と近い土地と言えましょう。

実際、霊能者やヒーラーも多く、魂と一緒に仕事をしている人がたくさんいます。アーユルヴェーダ、チャネリング、チャクラの浄化、前世療法などは、受けようと思えばすぐに受けられ、そこまで高価でもありません。《ヒーラーズ・マーケット》にも、気軽に立ち寄ったっぽいおばちゃんが、霊能者からいろいろアドバイスを得ていました。子ども達は、カードやゲームで遊びまわっていて、外にあるカフェでは生演奏でダンス。退役軍人のジイちゃんもワンちゃんと一緒にいます。単なる世代のつながりや理解だけじゃなく、それぞれの魂が常識や文化にとらわれずに心地よく共存できる『魂の超多様性』みたいなものを感じます。簡単に言うとfree spirit。みんな自由な魂。

ちなみに、私がこちらで最もお世話になっているお隣さんは、40年前オーストラリアに移住した気品ある英国婦人で、お孫さんもたくさんいるのにとにかく若くて健康。太極拳やヨガで身体を整えつつ、長年瞑想を続けています。彼女は、一昨年までの38年間をオーストラリアの他州で過ごしたそうですが、南オーストラリアほどエネルギーや魂を意識している人が集まっている場所はなかったと話してくれました。

たまたま出会ったストリートミュージシャンとの会話が高尚な魂トークだったりして、それぞれの尊い人生背景を垣間みつつ、同じ道をゆく者としての深い共感を得ます。だからなるほど、みんなが「そこ」に向かって答えを求めているから、自然とヒーリングの技術も多岐にわたるのですね。

住む土地が変われば、文化、気候、環境、言葉、水、空気、ライフスタイル、エネルギーもすべて変わる。新天地へ来ることになったなら、その新しいエネルギーと意識的に調和して生きていくことが必要ですね。私の場合、ガーデニングをしていると、ある時は癒しのエネルギーが体中を突き抜け、ある時は、家族との今生の魂のつながりを感じ、感謝の涙が止まらない時があります。また、ある時は近所の喧噪から瞑想状態に入ることもあります。移住して三ヶ月、まだ船に揺られているような精神状態とはいえ、日本とは異なるエネルギーに包まれていることを実感します。土地から癒されるうちは癒しを受け、今はもう天に委ねつつ、さらにグラウンディングを心がける毎日が続きます。


※レイライン
太古の寺院や遺跡群をつなげた際に見られる直線ラインのこと。その存在には懐疑的な声もあるようですが、地球のエネルギー(地下水脈や磁場)をつなげていることなども研究でわかっているようです。仮説だとしても、レイラインがクロスする場所には魔力が潜むと言われ、このエコ・ビレッジのレイライン・クロス上にある数軒にも逸話があります。それは、また、次回のお話ということで・・・




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【スーパーへ行かなくなる日】EVNews No.5 [オーストラリア☆エコ・ビレッジ通信]

こちらは、【ファーマーズ・マーケット】EVNews No.4の続きです。


*・゜゚・*:.。.:*・゚・*:.。.:*・゜゚・*:.。.:*


さてさてオーストラリアでは、スーパーマーケットの大御所はコールズとウールワースで、売られている製品は、日本以上に多くが中国産。地元産や環境に優しい製品の規模はとても小さく、パッケージされたりプロセスされた製品が大量に売られています(当然!)。

東京でオーガニックライフ(←過去記事へ)をしていた時は、善し悪しなく多種多様のニュースが飛び交っていたため、例えば地産地消を考えたり、国際マンモス企業の在り方を考えることがたびたびありました。農業クンを通して、そもそも《ほんものの有機》って何だとか、仕事を通して世代を超えた地球環境にとっての持続可能な生き方とは何だろうとか、思えば常に考える機会があり、都会の暮らしを通じて地球人として「教育」されていました。

この地域はと言えば、有名なワイナリー含めて農家さんが非常に多く、ファーマーズ・マーケットを通して「持続可能な地球と調和ある暮らし」を考える機会は多くあります。エコ・ビレッジが、人間と自然環境どちらにとっても持続可能な社会を考えるグローバル目線の "Think globally, act locally" な人たちの集まりとするならば、エコ・ビレッジ外側の郊外は、世界の外へ出ない閉鎖的な人がどちらかといえば多く、"Act locally, think locally" な人も多いという印象。

ご存知のように、効率よく大規模生産され、海を超え長距離を移動してきた食べ物は、地元の土壌と気候で獲れた新鮮な食物とはいえません。輸送時間と効率性を考えた上で、地球と人体の基盤に長期間蓄積される人工的なものがたくさん添加されていたり、収穫時期は植物から栄養素が産生されるかなり前。例えば輸送しやすい堅さや形に「種から工夫」されていたり、保冷、輸送にかかるエネルギーは莫大、また、パッケージが即廃棄物となっていくシーンは私たちも家庭で日々目撃するところです。

消費者に届くまでに多くの時間・人・モノが関わるということはただその事実があるだけで、必ずしも悪いことだとは思いません。たくさん関わり規模が大きくなれば、その性質上煩雑になるけれども、楽しいことも増すようにも感じます。レジのお兄ちゃんとの会話が楽しくてスーパーにいくと「幸福度」がアップするかもしれないし、このお兄ちゃんは初めてのバイトで貴重な新社会の勉強中かもしれないし、時々異国から来たスーパーに並ぶジャンキーなコーヒーを飲んで幸福感がアップすることもあります。

結局は、何がどうなっているかの情報はそこにあって、その上で、今の自分に最も合うものを選ぶことだなと思います。価格重視で、同じ安いなら身体にも家計にも良いからとファーマーズ・マーケットに出向く人がいたり、近所にあるから家族で利用することで子どもたちが自然食で育ったり、自転車で移動して菜園から酸素を作り出すことで、CO2削減量を達成して喜びを得る人がいたり・・・。大きなファーマーズ・マーケットを運営維持することは大変ですが、規模と比例して広く大きな学びを与えることができるこの存在はとても象徴的だと感じました。

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今はパーマカルチャーに則って創られた土地に住んでいるので、家庭菜園で野菜を育てて収穫するのは(しかるべきエネルギーを注げば)とても簡単です。採れる野菜で菜園でまかなえるようになれば、栄養面、輸送コスト、買い物にかかる費用、時間やエネルギー、様々な面で見ても何がベストか一目瞭然です(それをしに来たのですけどね)。庭の濃い緑から酸素を食べるのも格別です。

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裏庭。二つ目の野菜畑。心の会話ができるイギリス人女性とシェアしている庭

都市には都市ならではのライフスタイルがあり、大きなエネルギー(通勤時間、距離、疲労)を掛けずにこのような自然と共存する暮らしをすることは難しいでしょう。東京では、例えば、レジ袋を常に持参したり、有機食品を求めたり、生産者さんとつながったりと、できることの種類がはるかに違います。

日本各地でいろいろなマーケットがあると思いますが、私が知っている東京での青山ファーマーズマーケット(←ウェブサイトへ)も、京都で開催される多様なマルシェ(←ウェブサイトへ)も、意識ある人がこれからも積極的に参加し維持し、ファッションとしてだけではなく、今と次世代につながる健全な社会の発展のつながりの場であり続けることを祈ります。

都会で過ごそうが、パーマカルチャー発祥の地で過ごそうが、学びは今いる場所に在る、ということですね。


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もしも今、心が感じる理想の自分や生きたい姿と「現実」にギャップがあるならば、今自分を見直すときです。「その時」はいつもあなたに到着しています。「その時」を今にするのか、後にするかは自分次第。頭で考えてまだだと感じたり、特に意識が向かなかったり、今居る環境に納得しているのであれば、「見直し」は必要ないでしょう。ただ、心の声がささやいていたとしたら、動くサインです。

自分が今居る場所がとても「自然」で、そこに存在する理由を心から理解し、その場が持つ性質やコンセプトと同調しているのは、とても生きやすいことです。不明な病へと発展するストレスが起こりません。生きる意味や目的を知って生きることは、とても健やかな暮らしです。このような場所は、先日の京都ブログ(『晴れやかに故郷を抱いて』で書いたような、動物が直感で得る「棲息地」のような所です。

私の場合は、心の声がささやき初めてから、生きたい場所をまず感じる為に徹底的な心のお掃除(継続的な日常の瞑想)をし、生きたい場所を感じられるよう意識を向け、日々の大小の行動(挑戦と調整)を続けて、今の場所にたどり着きました。課題を先送りまたは無視している最中に、天から降ってきた航空券を拾って突然オーストラリアのエコ・ビレッジへワープしたわけではありません。まずは心から。心と身体、生きている世界、全部つながっています。今の私にとっては、都市部にある便利さよりも、もっと人として大切で基盤となるような知恵が土壌の中にあるような気がして、ここにいることに全体で納得し、居心地の良さを感じています。

今過ごしている場所がどこであっても、私たちそれぞれが、心、身体、魂そして環境全体で幸せと感じられ、地球にも健全で、かつ持続可能な暮らしが、企業とコミュニティで意識レベルから整備され続けていくといいなと感じます。・・・もちろん、企業とコミュニティを構成するのは私たち一人一人。まずは「あなた」、そして「わたし」からですね。



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【ファーマーズ・マーケット】EVNews No.4 [オーストラリア☆エコ・ビレッジ通信]

毎週土曜日、朝6時からお昼まで、家から車で10分くらいの所でファーマーズマーケットが開催されています。オーストラリアに引っ越した翌週に会員登録をし(年会費を払うとすべて10%オフ)、ほぼ毎週出かけています。

Willunga Farmer's Market 公式ウェブサイト

エコ・ビレッジからはもちろん、この地域の多くの人がここで食料品を買いそろえます。毎週、訪れる人は数千人。アデレード市内から車で1時間ほど掛けてわざわざやってくる人もいるほど(移動時間とエネルギーは掛かりますが、楽しいのでよし!)。ファーマーズ・マーケットでは、買い物する人はみなトロリーや保冷バッグ、保冷材を自宅から持参します。お店でビニール袋を提供することはありませんし、過剰包装もありません。土付きや葉つきの食材を手に持ち、タウンスクエアのストリートに展開される数十メートルの青空マーケットを行き来します。

食材はすべて地元で特別栽培されており、さらにファーマーズ・マーケットに出店するには厳しい基準があり、審査を通過したお店だけが出店します。スーパーには出ないお店ばかりで、土壌、生き物、人にも環境にも優しく、持続可能な幸せを運ぶ食材が個性豊かに並びます。

食材は、季節の野菜をはじめ、ハーブ、フルーツ、きのこ類、乳製品(牛乳、チーズ、ヨーグルト)、肉類(鴨、鳥、牛、豚)、魚介類(鯛、ヒラメ、キス、エビ、貝類)、ドライフルーツ、ナッツ、パン、お惣菜、菜園用の苗、コーヒーショップやフルーツジュースのお店もあります。生産者さんと直接お話ししながら、季節の食材を求めることができます。


フルーツは毎回大量に買い込みます。
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農薬や化学肥料は全く使わず、運搬にかかる時間や燃料もコストもかからない。トロピカルな食材(バナナ、マンゴ等)は収穫できないため、帰りに地元の八百屋さんで、オーストラリア北端のダーウィンから空輸されたものを購入します。


野菜その他、一度に買う量はこれくらい。
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人参は人参の味がして(←いかにも都会人のコメント‥)食べ飽きることはありません。空豆やエンドウ豆は甘くて柔らかく、生で食べられます。セロリは驚くほど甘くて、ちょっとしょっぱい「地球の味」がします。生野菜を食べるたび、知っているはずの味との格差にいちいち唸るしかありません。

お肉類もオーガニック認証を受けたもので、フリーレインジ(放し飼い)の鶏や、牧草で育った牛肉(牧草肥育牛)が購入でき、またお魚はその日漁獲されたもの、古くても前日獲れたものという鮮度です。卵や牛乳、チーズにヨーグルトと、乳製品もすべて【バイオダイナミック農法】※で生産されています。

写真手前は、フランス人のおもしろ定年退職夫婦が提供しているパティスリのパイ。毎週土曜のランチに、笑いをおかずに頂きます。

私たちの都度の予算は、日本円で6000円。だいたいお釣りがきて、お買い物終了です。
→→菜園で育てている野菜と、そろそろ熟り始めたフルーツがたくさん採れる頃には、月一度7000円が目標。いつか鶏の卵も採れるようになればさらに少なくなるかな!


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*・゜゚・*:.。.:*・゚・*:.。.:*・゜゚・*:.。.:*

ちなみに、季節により類が変わりますが、現在(11月初夏)の家庭菜園には、栄養価の高いシルバービートやビートルート、ほうれん草、水菜、各種のレタス、各種のハーブ(ルッコラ、ケール、コリアンダー、セージ、ディル、バジル、レモングラス、ローズマリー)がのびのびと育ち、日常的に利用します。ブロッコリ、パプリカ、レモン、トマト、イチゴ、空豆、エンドウ豆、ズッキーニ、きゅうり、セロリは週に数回食卓に並びます。


家庭菜園で毎日採れる食材の量と種類はこんな具合
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家庭菜園では野菜類やハーブを、共同エリアではナッツやフルーツを収穫し、それ以外の食材を、貨幣を使って地元の農家さんと取引するわけです。なんというシンプルな取引。


※【バイオダイナミック農法】とは、農薬や化学肥料を使わない有機農法のひとつで、土壌、植物、動物や昆虫だけでなく天体の動きにも着目して全体として育てる方法。通称「農業カレンダー」と呼ばれる太陽太陰暦を利用しており、古代から農業、水産業、林業などの分野で利用されています。私も長年日本で使っていましたが、月の満ち欠けと生理周期が同期するので、女性に、特に布ナプキン愛用者にはかなりおすすめです。



【スーパーへ行かなくなる日】EVNews No.5へ続きます[るんるん]




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【基本情報:規則と注意】EVNews No.3 [オーストラリア☆エコ・ビレッジ通信]

エコ・ビレッジでは、静かな暮らしを重んじたい方もいれば、コミュニティとして賑やかに盛り上げたい方もいます。そのどちらもが可能です。最低限の決まりごとを知って、守りさえすれば・・・。


下記の内容は、定期的に開催されるエコ・ビレッジツアーでも説明されます。ビレッジライフに興味のある方や、引っ越しを検討されている方には理想的なツアーです。

また、ご縁ができてここに来ることになった方にも役に立つ内容ですので、基本情報として挙げておきます[晴れ]

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 ↓ ↓ ↓ ↓

【↓住民規則と私たちがやっていること↓】


[かわいい]エネルギーについて
 〜 太陽光発電し、エネルギーを利用する 〜
 
  北側(日本でいう南側)の屋根にソーラーパネルを設置し、太陽光発電を行う
  暖房やエアコンを使用する前に、自然の力を借りて工夫する
 

  ○→私たちがしていること:
    太陽と月のサイクルで暮らす
    陽が暮れたら、可能な範囲でキャンドルを使う
    ソーラーパネルの計器を自ら確認する習慣をつける 
  

 [かわいい]水について
 〜 夏には不足する「水」を大切にし、意識的に扱うこと 〜

  水は、ウォータータンクに貯水されている雨水を使う
  個人の敷地にある菜園には、【家の蛇口】からの雨水を使う
  共同エリアの植物には、【共同蛇口】を使う
  雨水を使い切った際は、【水道局の水】へ切り替えることができる

  ○→私たちがしていること:
    台所、シャワー、洗面所に大中小のバケツを置き、
    例えばお湯が出るまでの冷たい水などは、水まき用にリサイクル
  

[かわいい]ゴミについて
 〜 ゴミの仕分けと減量にビレッジ全体で協力する 〜

  生ゴミや家庭菜園の野菜は、コンポストとして利用
  紙、プラスチック、普通ゴミは、公共のゴミ収集へ
  使える衣類や大型ゴミは、コミュニティフィードにシェア、またはガレージセールに出す

  ○→私たちがしていること:
    食べる分だけ菜園から採る
    無駄のないよう調理する(無駄のない暮らし)
    裏庭に、生ゴミ用コンポスト1台とワーム用コンポスト4台を設置


[かわいい]生活排水について
 〜 生活排水はエコ・ビレッジ内で処理され、自然に巡っていくことを意識する 〜

  掃除には、できるだけ酢やレモン、バイ・カーボソーダやベーキングソーダを使う
  各種の掃除洗剤は、エコ・フレンドリーまたは有機分解しやすいものを使う
  アルカリ性(混ぜるな危険的なもの)、ブリーチは使用しないこと

  ○→私たちがしていること:
    重曹、お酢などを使って、可能な範囲で水を汚さない
    スチームモップを使って掃除する
    よごさない(あまり汚れない) 


【↓訪問者も注意したいところ↓】


[かわいい]共同エリアについて

  共同エリアのフルーツとナッツは、数個もしくは「食べる分だけ」採ること
  独り占めや「搾取」はNG
  訪問者が収穫することはNG
  たき火、釜戸の火の無断使用はNG。届け出をしてから使用可能


[かわいい]ご近所/エチケットについて

  生活音の音量、車のエンジン、アイドリングに配慮する
  自宅以外の場所では、完全禁煙(規律により禁止)
  ビレッジ内の車の制限速度は25km
  ご近所や住人を敬うこと
  土着の動植物や鳥を傷つけないこと
  ペットを飼う際は、かならずリーシュをつけること
  子どもたちの安全に注意すること
  各種アレルギーに注意すること
 

[かわいい]南オーストラリアの常識=注意!

  農場へ出る際は、足首を守るズボンを履いて長靴をはくこと (蛇がいます!)
  トカゲを大切にする (トカゲのいるところにヘビは出ません!)
  背中に赤い斑点のあるクモは危険!
  海にイルカが泳いでいることもあれば、サメのこともあります(!!)
  農場で失われる命は、例えばインフルエンザで失われる命よりも少ないそうです



この基本に則って、パーマカルチャーを積極的に学び取り入れて暮らす人もいれば、単に「エコ・ビレッジに住んでいる」というステイタスを楽しんでいる人もいます。住むエリアによっても意識や心構えが違うのは面白いところ。

10年前から今に至るエコ・ビレッジの発展をみていると、今後も大きな成長の可能性を感じます。日本の都会人的視点で、これからの社会にエコ・ビレッジというライフスタイルがどういう進化をたどっていくのか(どっぷりとつかりながら)見ていきます!





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