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期待を手放す@オーストラリア【環境が変わっても穏やかな幸せを】 [和道 Wha-Dho 哲学]

オーストラリアへ引越して10ヶ月が経ちました。パートナービザがおりた今も、『己を知る』旅は続いています。

引越し後、こちらで時間ができたので念願のズンバとテニスを始めました。しかし、直後に身体が悲鳴をあげすぐに止めました。それから数ヶ月は半日の外出も難しく、菜園で働くのは30分が限界、1時間動くと翌日寝込みます。肩から指まで常に痺れ、胃腸は不調、眠れない夜が続きました。鍼灸治療を始めました。

身体の痛みは、精神の状態が顕在化したものです。ここで、この状態からどうすれば穏やかな幸せを感じることができるか、またもや自らの人生で人体実験してみることにしました。


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東京から大自然エコビレッジへの移住で、考えられる何もかもが一転し、移住直後は「(自分にとっての)普通な生活」ができませんでした。いちばん馴れないのは南半球生活。四季が逆転し、太陽と月の軌道が変化したことで、胎内時計が今も狂っています。
例えば昨日、寒い夜にジャズを聴き、ロウソクの光でローストチキンを食べながら、あれ今日はいつだっけ?7月です。カレンダーをじっくり見ても、今日の日付がしっくりきません。

慣れ親しんだ時間の流れ方、ライフスタイル、文化、精神性、便利さは、日常にもうありません。期待するような返答が相手から帰ってくることは皆無。「空気読めへんのかっ」とひとり暖簾に腕押しすぎて疲労。言葉の壁で知りたいことはわからない、伝えたいことは伝わらない。日本ならすぐ手に入るものが手に入らない。日本の都市部の世界観と、オートラリアの田舎のそれとの間で宙ぶらり。便利さをお金で得る暮らしから、便利さは自然から借りてくる生活。太陽や月の軌道でさえ、慣れ親しんだ線を描かない。東京では週末ようやく神経がほぐれるかどうかのビリビリした精神状態が、今はひたすら雲や木の音を聴いて過ごす生活。静寂を獲得するために常に戦い続けた「バトル」も消滅。「働く」という概念が今まで生きてきた国とまったく違う。ホリデーではない、これが日常。これら一切が疲労につながり、移住後はいつも眠く、そして持病から痛みまですべてどっと吹き出てきました。

これはずばり、期待をしすぎていることが原因で、不調になっています。過去の私をオーストラリアに一緒につれてきて、期待している心地のよい道を行けると決めていたのです。

ぐるぐるまわる「期待」を自らまわし続けて、イライラしていました。イライラするから身体が痛いのか、身体が痛むから落胆するのか、負のスパイラル。...に突入する前に、意識のリセットです[手(パー)]


まず、期待を手放しました。どうやって手放すかのアイデアをいくつか書いてみました。

1.ジャッジ(善悪の判断を自ら)しない

以前慣れ親しんだ生活のことを本気で恋しがったり、悔やんだりしない。ここにないものはない、なら良い意味であきらめる。新しい習慣、新しい生活、やりなおし(別居後の)新婚生活、あるがままをあるがままに受け入れる。ひとつひとつの物事に対して、好きも嫌いもありません。ただ、それをそれとして受け入れるだけです。物事はそこにあり(起こり)、そこに今「私」はここに居るだけだということです。人付き合いもそう、日々のできごとに対してもそう。好きも嫌いもなく、ものごとが起こっていくだけ。判断をしないで、心地よいと感じるものを自然に選んでいく。


2.過去の自分を話さない

ある日、ご近所さんと話していた時、私は自分が過去に存在していることに気づきました。過去の自分や昔の仕事のことばかり話していたのです。そして感情も(もれなく)セットでくっついていました。新しい場所では、誰もあなたが何者であるかを知りません。自分が何者かを伝えるために、履歴書に書いてあることや、過去の自分を話しがちです。すると、「今の自分」は消えていきます。今の自分は、過去には存在せず、過去の自分は、未来にも存在しないのに、です。
過去は過去でいいのです。今は「今を生きる」ことに集中したいからこそ、過去に執着しないということです。また心を「過去」に戻さないのと同時に、今の状況から逃げるための「未来」についても話しません。今をせいいっぱい生きるだけです。


3.今を受け入れ、どっぷりと浸かる

今の環境をそのままで受け入れる。例えば、あれがないこれがないと言わない。食にしても、食材を求めて探す事をやめました。今あるものや旬のものを使う、というよりもはや究極で菜園にあるものを使っています。頭でひねり出した英語が通じなくても、もういいやと思うようになりました。言語で失敗しても、ハグしたり目から伝えられることには失敗がありません。今にどっぷりと居ることで、自然と楽しさを感じれるようになるのは素敵な効能です。


4.感情をコントロールする

イライラすると、一人になる。外へ出て、新鮮な空気を吸う。コントロールできないレベルの感情の淵に落ちてしまうと知っているならば、その前に周りに相談して、自分で感情をコントロールできるような環境作りを事前に整備する。この項目は今は少し易しくなりましたが、長くとても辛い「修行」でした。

以前は、思うように行かない毎日、思うように生きていない自分に対して心の奥底で怒り続けていました。だから小さなイライラが起こると、心の奥底の怒りが連鎖して、自分の内から大噴火していました。数年前から「今」を受け入れる努力を続けたことで、人生から要らない(過去の)ものがそぎ落とされ、(今の人生に)必要な物がどんどん流れ込んできて、人生の基盤を築きなおしたことで、心の奥底にあった怒りの層はどんどん消えつつあります。感情がアップダウンすることがあるならば、これは心の奥底に積み上げられた何らかの感情に原因があるかもしれません。


4.感謝する

ありがとう、ありがとうと、言うことです。目の前にいる人、私がここまでやってくるために出会った人、家族。自然、植物、生き物、なにもかも。みんなに感謝し、生命に祈る時間をきちんと持つことです。

今いる場所がどこであっても、今、自分が存在する場面に登場するものすべて、感情もふくめてすべてをただ見つめてそこに居る(在る)だけです。感情はなくなったのではありません、感情を感じている自分もしっかりと見つめるのです。この連続が、不思議と感じるかもしれませんが、とても穏やかで幸せな状態へと導いていきます。これは心の訓練次第で、誰にでもできることです。


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さて、不思議な事に、過去の傷を癒すことやヒーリングと呼ばれるものは、日々に専心することで起こるように思います。いつもよりさらに意識的に「今を生きる」を実践して二ヶ月も経たない頃、通っている中国医療の先生で鍼灸治療をした際、ハートチャクラの胸側と背中側から大きく出血しました。体内の血の巡りが悪いことは現代人によくありがちな症状ですが、先生曰く「出血は稀だけれど、若い頃にうけた衝撃の記憶が、血とともにハートに澱んでいるケース」と。その治療はリチュアル(儀式)のようになり、たくさん泣いた後には、身体の痛みからどんどん解放されていきました。私の内にある一枚の「記憶の画」とそこに癒着する「感情」が、今を生きることに集中することで薄まりました。


移住した国で母国のように暮らすまで、かなりの時間がかかることは承知しています。穏やかに今の環境へ適応できる理由の一つに、日常に瞑想があるとも言えます。瞑想をしたからといって、魔法のように人生から困難が消えることは決してありません。エゴにより動く自分ではなく、心の奥底から声を発する「本当の自分(高次のセルフ)」とつながることで、苦しみや痛み、そして光悦や仮の喜びを、その高次の眼でみることができます。

また瞑想は、生きるために与えられた最も尊く基本な行為...呼吸に集中することを、自分に知らしめる訓練でもあります。瞑想の効果は、ゆったりと始める呼吸が徐々に教えてくれます。もしも今知りたい答えがあるならば、その答えを静かな時間がきっと教えてくれるでしょう。。。


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期待を手放す@東京【喧噪の中で無執着を知る】もどうぞ)

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オーストラリアでとんじんち(貪瞋痴) [和道 Wha-Dho 哲学]

環境が大きく変わる時、身体的・精神的に想像以上の負担がかかるのは自然な流れです。新しい職場、新婚生活、子どもが生まれたり、別離を経験するとき、、、人生そのものがこういった挑戦の連続でしょう。

精神性を意識することがなかった人に、魂の成長に関わる大きな変化が突然やってくると(「意識の目覚め」)、身体と精神が大きく崩れることがあります。身体の不調に蓋をすることに慣れている人は非常に多いのですが、精神はとても繊細で、崩れてしまえば隠すことはできません。無理をしすぎることで、もう一歩も前に進めなくなることもあるでしょう。それは、(意識することはなかったかもしれませんが)自らの行為により、自分自身に与えている経験です。

生きる本質に関わる学びは、いつもそのような大きな「事件」を通して私たちを変化させ、気づきを与えます。私やあなただけの、特別なタイミングで。そういう時は、探しまわってあれもこれも掴むのではなく、やみくもに走るでもなく、心のそわそわを無視するでもなく。この時にこそ、最も静かな行動=瞑想から始めることが鍵となるはずです。

わかります。過去を見れば容易にできたし、自分はできる。そして自分はできることをちゃんと見せたい。自分に対しても、社会に対しても、できると証明したい。でも、できない。今それができないことで、自分だけではなく、誰か大切な人を落胆させ、傷つけることを怖いと思う。でも、できない。できなければできなくて当然なのです、過去の私やあなたはもうどこにも存在しないのだから。

もし今こだわり続けることがあるのなら、それは何でしょう。

「私はどうして、**にひどくこだわるのだろう?
 **を無くすのが怖い?
 どうして、そんなに怖いのだろう。
 それは、人生をかけて守りたいこと?」


このまま現状放置しておけないことを、実はうすうす知っているかもしれません。心の中のひそやかな声は、聴こえないほどの声だからと言って価値の低いものでは決してありません。その声は、あなたの人生を左右する声、人生に関わる叫びであることを、聞き続けている本人が一番わかっているはずです。

しかし、瞑想すると決めても、最初は頭のフル回転が止まりません。目を閉じるとあれやこれやと、明日や昨日の心配ごとがどんどん出てくるはずです。時間が作れないと自分に言い訳を始めるかもしれません。突然座る時間を与えたことで、涙が止まらなかったり、怒りが沸き上がるかもしれません。だからこそ、瞑想を始めることになったのです。もう外部には存在しない、生きるためのヒントを見つけに、静かに向き合うと決めたのです。初めたばかりの心はうるさいのが常です。私もここに書いた通りの状態でした。静けさに居る習慣をつけることで、身体はちゃんと呼吸をすることを思い出し、身体と心の音を聞き、自然の流れに一切を委ね、今まで感じなかったことを経験するようになります。

私たちは「苦しみ」を経験できるよう、肉体ある人間として生まれてきました。なぜ?なぜ「苦しみ」を経験しないといけないのでしょう。生きる幸せや、真の喜びを知るためです。苦しみを経験することで、その真逆とも思える「幸せ」を感じられるようになっています。どの人生も、大いなる意思により「苦しみの経験」がインプットされています。「幸せ」の単独存在はなく、生老病死などの苦しみとセットで存在します。これらは頭では理解できないかもしれませんが、あなたを突き動かす遺伝子はその設計図を知っています。ここで言う遺伝子は、DNA解析とは別の次元の話しです。遺伝子の青写真は、瞑想をすることによって心眼を通して見えるようになるのです。

人生の苦しみにどう向き合うかが、幸せに生きる鍵です。みんな、過去や未来などの実体のないものに執着し、強欲ともいえる私欲を抱き、そして腹を立てたり怒るよう、そのような感情を持つ人間として生まれています。お釈迦さまの説く煩悩、「貪瞋痴(とんじんち)」を乗り越えるために、いまその「大きな出来事」が与えられたとしたらどうでしょう。今、目の前に与えられた課題は、あなたが考える以上に、人生を左右する尊い課題であり、人生をより善く生きる為のまたとないチャンスかもしれません。いのち(生命)の重さを知り、自分と家族や子どもたちを愛し護るような、真の力を養う時があらためて訪れたのかもしれません。


...「その時」はいつも私たちに訪れています。そしてもちろん私たちには選択の自由があります。見えている未来を選びたくないとするならば、未来が見えない新しい道を選ぶのもありです。私も、見えない道に向かって、勇気を持って歩き続ける一人です。歩き続ける先に、必ず光りは見えてきます。
一人にひとつずつの人生。新しい一歩を踏み出したとき、すぐ隣で、勇気とユーモアを持ち、力強く歩みを続ける仲間に出会うでしょう。

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追記:
海外に移住して、家に一人こもりがちで孤独を感じる主婦が多いと聞きました。今、ビザのステイタスにより仕事も通学もできない私が孤独を感じないのは、コミュニティに住んでいることの他に、瞑想をしているからです。
周りに人がどれほど多くいようとも、心を閉ざしてしまえばすぐに孤独は襲ってきます。反対に、周りにどれほどの人がいようとも、その場に意識的に存在することで、静けさを感じます。仮面を脱いで素の自由な自分でいられる鍵は「瞑想」です[かわいい]


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期待を手放す@東京【喧騒の中で無執着を知る】 [和道 Wha-Dho 哲学]

多くの人が「幸せな人生」、言うまでもなく「苦しみのない人生」を歩きたいのだと思います。天職を得て、社会で評価され、うまく人付き合いをして、豊かで幸せに、笑顔に囲まれて。

そして、今生で大多数とは異なるもの(恩恵)を与えられていたり、自ら設定する期待値がとても高いという理由などで、期待する人生を歩めなくて苦しんでいる人もいます。

特に「平均的」か平均値に近い姿で生きることが求められる社会では、さらに苦しみがちです。その社会にうまく適応したいと、自らに期待しているのです。でもできない人はできない。たとえ何かを犠牲にしてがんばって「期待する姿」に到達しても、さらに次の「期待する姿」を目指して苦しんでしまう。

今日のタイトル『期待を手放す』は、自分のことがよくわからずに、どこかまだ見えない地点に到達することで、幸せになれると期待し苦しんだ人が、やがて苦しみを手放せるようになったというお話です。


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数千坪の寺院で平穏豪華な子ども時代から一転、父親と義母との再婚後に出家(?)、数坪のマンションで都会暮らしをすることになったH。東京が経済と消費のメッカということもよく知らずに、読経と祈りが響き渡る古都から、東の都にポンとやってきました。今思うと、両極を同じ程度で経験した【陰・陽】のようにも見えます。

目の前にある東京での生活で、自分をそこに適応させることで幸せになれると期待したH。東京で生きていくために使える資格は何かと考えたとき、それは企業にて英語を使う仕事でした。できれば好きなことを仕事にしたいとHも思います。小さい頃から、絵や外遊びや庭いじりが好きでしたが、それを仕事にするという考えは存在しません。「純粋に好きなことを仕事にできたらな〜」。きっとそう感じて生きている人も多いと思います。天職といえる仕事に巡りあえるはずと期待して探すと、これがないんですよね。信じて笑顔の努力を続けることと、期待することで苦しんでしまうのは大きく違います。

8年後。
東京という大都市を選んで、仕事も遊びも謳歌している同僚や、目的を持っているからこそ繰り返される毎日を楽しく過ごす友達を見て、どうすれば都会生活に適応できるだろうと、期待しては落胆をまだ続けていました。故郷への未練を断ち切れずに落胆。彼氏と別れるたびに落胆、仕事で思うように自己実現できなくて落胆。長すぎる停滞期にいました。中には東京を出ていく友達もたくさんいました。Hも脱出方法を考えましたが、それすらも糸口が見つかりません。趣味のヨガやダンスはリラックスや創造性以前に、うっぷんを晴らすためで、結局身体を痛めたことが仕事にも影響するようになります。自分のことがわからないから、周りのことも理解不能なことばかりになりました。

仕事のやり方を変え、プライベートや人間関係を自分なりに工夫しては、「失敗」の繰り返し。「失敗」の側面に、何か「パターン」のようなものがあることにも気づきました。何かの理由があってここに住むことになった気がするけれど、それもわからないし、住んでいることが腑にも落ちない。今、なんで大都会に住んでいるんだろう。どうしてここを選んでいるんだろう?

ここ に いる 目的 は なに!?

これが鍵となるひとつの祈りの言葉となりました。日々、この疑問を心底から聴こえない声で叫び続け、そして瞑想を続けたことで、少しずつ自分のことがわかるようになり、すると期待すること自体も減りました。そもそも「失敗」という概念も存在しない。失敗もしていなければ、落胆することもない。単に「経験すること」が、真の理解をもたらすのです。
そして、深く深く『己を知』れば知るほど、本来の自分にとって居心地のいい環境がどんどんと整備されていきます。あとはそれを受け入れられる「自分」を維持するのみ。


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世界中に存在する大都市と同じく、東京は物質的にも、精神的にも、人類の発展に重要な役割を担っている土地であるはずです。今、この場に住んでいるのなら、何かの大いなる意思の元で『地球学校』の「東京クラス」にクラス分けされたのでしょう。「東京クラス」は大人数の生徒を一気に抱え、その一人一人にあった課題が課され、それぞれの魂の成長がしっかりと見守られながら、次へと続く道へと導かれていくように感じます。そして、「東京クラス」での尊い学びが、どこでどう次の地点にシフトしていくのかは計り知れません。

私にとって、「東京クラス」での学びの一つは、高い次元から人生を見つめる方法を知ったことで、《「期待」は、自らの経験によって創りあげた「幻想」でしかない》と気づいたことでした。無意識で他と比較し、社会の中の自分に期待し、仕事や家族や、人生そのものに期待する。自分で期待を膨らませ、それを空まわりさせ、自分を苦しめる。
また、英語を使っての仕事が私の天職とは思いませんが、私に努力や壁を乗り越える力を与えてくれ、まっすぐに導いてくれる「英語」は、創造主から与えられたギフトだと感じ、大事にしています。『好きなことをしなさい。好きなことがわからなければ、今やっていることを好きになりなさい』の意味も、今は経験により理解できます。

与えられた環境がどうであれ、今できることは、執着することなく日々を意識的に生きていくことです。目の前に投影される世界が、自分の心次第でいかようにも変化しているようなことに気づきながら・・・


期待を手放し、あるがままの自分を受け入れる
生きることは、今に存在すること
己を知る。

−−−意識的に生きることで、人生は自然と導かれるのだと思います。


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イマドキの婚活!? [和道 Wha-Dho 哲学]

結婚する前から、結婚相手を知っていました、という人ってあまりいないかもしれない。でも、「心のお掃除」をすることによって、結婚相手がふと浮かんでくる、と言われると不思議かな?

心のお掃除は、結婚相手の他にも、自分が本当にしたい事(天職)や、例えば次に行く場所(旅)を決めるのにも一役以上買ってくれるのです。不思議だと思うかもしれませんが、瞑想をやっているうちに、あ、ほんとだ~と気づく人が多いと思います。

私がこの話をすると喜んでくれる方が多いのですが、私と主人がどうして出会ったのか、お話しますね。

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≪ニューメキシコ州での結婚パーティの写真≫

私が今の主人と出会ったのは、和道プログラムの90日間コースを終えた後、一人で瞑想をしていた時のことでした。そろそろ結婚相手も欲しいなと思いつつ、仕事もどうしていこうかなと考えていました。90日プログラムを終えた時は、実家のお寺問題から自分を切り離すことができ、自分の過去の感情の執着や、身体の痛みの根源を、心からきれいにお掃除した後でした。

瞑想では、感覚とか、ビジョンとか、メッセージをいろんな形で受け取るのですが、私の場合はよくビジョンをみます。その時、私はまだ出会ったこともない男性、”STEWART” の文字をビジョンで見ました。お友達に、STEWARTという名前の人は一人もいません。

和道90日プログラムはスピリチュアルなコースでしょう?と聞かれる方がいらっしゃいますが、とても現実に即したコースです。自分に即した方法で、自分を見つめ直し、前向きな変化を与えていくコース。だから、一度受けたら、再度同じコースを復習する必要がない。それぞれの日常に即した瞑想の取り入れ方や、自分がなんとなく持っている意識や、生活態度の見直しを、マンツーマンで行っていきます。

なので、ビジョンを見た後に、私が師匠に「STEWARTという人を知っている?」と訊いた時、そんな宙に浮いたことを話していないで、今の自分に集中すること、というアドバイスを受けました。そうですよね、その時の私が、仕事を辞めて「世界に"STEWART"を探す旅」に出てしまうことは現実的ではありません。そして、ビジョンを得た数時間後には、いつもの仕事に戻って、彼の名前も忘れてしまいました。自分を見つめ直しながら、毎日忙しく働く日々が続きました。

そして、やはり起こるべくしてコトは起こるのです。
瞑想でビジョンを得てから1年以上経って、私たちは実際に出会いました。初めて二人が出会った時、お互いに「この人だ!」と確信。出逢って数日後に婚約、翌年に結婚、あと数ヵ月で結婚1周年。彼の名前が、ビジョンで得た名前なのかを確認したのは、婚約が決まってから1ヶ月後くらいのことでした。ビジョンで得たことすら忘れていたのです。

そう、ビジョンを得ることが大切なことではなく、今に向き合ってちゃんと生きることの方が大切なのです。現実をきちんと生きている内に、必要な物はちゃんと目に見える形で天が与えてくれるのですから。

物質性とともに精神性を重んじる新しい時代。イマドキの婚活って、地味だけど瞑想じゃないかな。結婚相手を見つける近道は、パワースポットに行くだけじゃなく、いきあたりばったりに出会い続けるだけでもなく、まずは自分自身とよ~く知ること。

今できることがあるとすれば・・・

「自分はどういう人間で、何が好き?」(嫌いなことは?何をすると喜ぶ、何をするのが嫌?)
「どんな人生を歩んでいる?」(心から喜べることをしてる?人生に納得していなければ、納得できる幸せな人生はどんななイメージ?)
「何を大切にしている?」(こだわり、夢、趣味も)
「将来はどんなライフスタイルで過ごしていたい?」

自分にもう一度問いなおせば問い直すほど、理想の人があなたに自然と近づいてきてくれますよ[黒ハート]

そして、たくさんの出会いも楽しみましょう[バー]



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2013年はどんな年? 今年も恒例、『今年の漢字』 [和道 Wha-Dho 哲学]

2013年のご挨拶
みなさまが心穏やかにお正月を迎えられたことをお祈りいたします。

新婚の私たちは、今年は夫婦で初のお正月を迎えることができました。といっても、スポーツ大国オージー(オーストラリア)スタイルのニューイヤー。多摩川沿いをサイクリングしたり、等々力不動尊や野毛公園でステアクライミング(階段駆け足上り下り←旦那は近所の人に「ネズミ」と呼ばれるほど速い)やキャッチボールをしたりと、これにビーチとバーベキューがあったら完全にオーストラリアだなというような新年でした。新年の法要、日本髪で檀家挨拶、そういったこととは真逆だなと、我ながら関心しつつ楽しんでいました。

さて、少し前のブログにも書いたように、昨年は変化しっぱなしの一年を送りました。変化って、成長するために与えられる課題みたいなものですね。変化や逆境に流されずに、自分の中心やコアを見つめ直したいと思っている人が多いと思いますが、変化の時は、まさにコアを強くするベストタイミングなのだと思います。

まずそういう時に、「これは試練の時だ」と思って迎えるのと、「出口が見えない迷路で迷子」と感じるのとでは、乗り越える精神的負荷が変わります。転職したり、恋人と別れたり、結婚したり、様々な転機の後には、大なり小なりの試練が訪れるものなのですが、それを試練とわかって、恐れず静観してけたら伝道者(聖人)レベルです。我々人間とは、こういう試練で一喜一憂して強くなっていくのですね。

そもそも変化とは、大きかろうが小さかろうが、多かろうが少なかろうが、スピードが速いとか遅い、などはそこまで重要ではなくて、与えられた課題にあなたがどう向き合うか、の方がより重要なのだと思います。どう向き合っていくかは、まさに来日中のポールがワークショップで笑いをまじえて話している通りで(12日が今来日最後のワークショップ)、ご自身の心の内に在る、愛を慈しんであげることです。ほんと、これなんですよ。


あの人が人生で経験してることと、私が人生で経験してることは、全然違うと感じることがあるかもしれませんが、それはそれでいいんです。違って当然なんです。どんな環境でも、その環境で自分の心の内に在る=あなたの人生の中心である愛を、あなたがどれほど守ってあげられるか、それが大事なんです。なんでかって、この愛が、あなたを突き動かし、思考させ、行動させるわけですから!そして、このひとつひとつの行動が、あなたの幸せな人生を作り上げていくのです。愛はロマンチックなものではなく、愛は強く、生きる力そのものなのです。


変化は新しい環境に身を移したときに起こりやすいですが、その時に自分の立ち位置というものを見失いがちです。家庭や学校でも仕事でも、そういう場面は多々ありますが、まずは目の前にあるあるがままの現状に向き合わなくてはならないでしょう。私も往々にして期待や幻想を抱きがちなため、これを受け入れるのに本当に苦心していますが、、えぇいやぁっと、受け入れましょう!
ただ、この受け入れる作業は簡単なようで、実はここにご自身に関わる多くの問題が内在している可能性があります(この内在している問題を解決し、前に進む力をつけるのが和道でもあります)。この問題が大きすぎるがために一人で向き合うことができず、学校や仕事や家庭で日々起こり続ける、「全っ然、腑に落ちない」ことに対して、見ないふりや蓋をし続ける方が楽だと思うかもしれません。確かに無理をして蓋もできるのですが、それを長くし続ければ、本当にあなたは行く場や逃げ場を失ってしまいます。心の中に在る、本来の自分の姿を無視していては、真の幸せは訪れないどころか、どんどん遠のいていき、自分を苦しめるばかりです。

自分の立ち位置がわからなくなる。私って何者なのだっけ、私って何?打破する方法もわからないから、まわりが期待する自分を演じて、都合がよいから本心は隠しておいたりすることに慣れる。こうして自分の心を置き去りにしてしまう。きっと日本人に多いのではないかな、自分は後回しで、気を遣いすぎる人、ものすごくいい人、相手の立場に立って物事を考えすぎる人。

じゃ、どうすればいいんだろう。それは、自分の内面に在る心を大事にすることです。あなたの心を大事にできるのは、誰でもないあなたです。それぞれの「私」です。もし、自分を痛めることをしているのなら、すぐに援けを求めてください。人生の底打ちをしても、人間には底力があって、心で叫ぶ力は残されているのです。



楽譜?


恒例の「今年の漢字」ですが、今年は「守る」でいきます。停滞という意味ではなくて、「心の中の愛を守る」という意味です。そこをきちんとした上で、様々な行動を開始したいと思います。最初の一歩からはじめる感じです。『地球からのメッセージ』というブログに前もご紹介しましたが 【参照:『人を助ける前に、まず自分を助けなきゃ!』】 自分がしっかりしていてこそ、本当に意味ある奉仕や仕事ができると思います。私は大きな事業や大そうなことをするために生まれてきたんじゃない。こういうシンプルなことを、きちんとするために生きているのだと思います。愛を守るという行為は、必ずや「個」と「全体」の善を運んでくるはず!

守るべき物事を、守る時にはしっかりと守り、天と地からのエネルギーを背骨に通して、姿勢よく歩んでまいります。また、今年はへびが覚醒する年。日々のあらゆる出来事が、意味を持ってそれぞれの目の前に現れることと思います[かわいい]


今年もどうぞよろしくお願いします!


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混乱する時代は、自分を知る時代! [和道 Wha-Dho 哲学]

2012年、今年もあっという間だったな~と実感している今年の年末です。みなさんは、どんな年を過ごしましたか?

今年も、私たちそれぞれの周りで、心に刻まれる、深い意味あるイベントや事件がたくさん起こりました。去年以上に、今までとは異なる価値観や世界観が表れていることを感じた気がします。意識とか、目覚めとか、癒しなどという言葉が日常で聞かれました。昨今までもてはやされたビジネス哲学や心理学が、今やNLPなどの更に実践的な方法にとって変わっています。
数年前まで特定の人しか知らなかった、いわゆる地に足付かない「精神世界」の話が、なんだか確かな「現実」として起こっていることを、たくさん目撃し、自分自身も心に描いた様々なことを現実にしていきました。
思えばこの一年、旦那さんのビッグファミリーへのご挨拶から始まり、旦那の日本移住準備、退職、転居1、国際結婚手続き、結婚、転居2、新しいワークスタイルが始まったりと、変化し続ける一年でした。

私も含め、ここ数年は『夢日記』、『ビジョンノート』、『引き寄せの法則』・・・これらを実践した人から、「夢の現実化」が加速している時代です。見えない世界、いわゆる精神世界やスピリチュアルを、単なる趣味ではなく実践で学ぶ人も増えてきました。命や、生きる意味を考えたりするのは、もう定年後だけの楽しみだとは言えない時代です。誰もが、生きる意味を知って、価値ある人生を進みたいと思う、意識の時代にいるようです。今はまだ手探りで、確かに掴めていないものを、実際に得たいと多くの人が感じているのではないでしょうか。

最近になって、一般に出回ってる動画などにも、引き寄せる法やビジュアライゼーション(思考の現実化)のために、まず初めにすべき大切な作業が説明されるようになりました。これを言わず・書かずにこれまでベストセラーが誕生しましたが、それはまるで、チョコチップアイスを頼んだのに、肝心のチョコが入ってなかったようなものです。(←わかりにくい)...はい、お金を払ってチョコチップアイスを購入したのに、チョコは入っていなかったが、バニラが美味しかったから納得してしまったような感じです。つまり、あなたはチョコチップ本来の醍醐味を味わえていないのです!(←まだわかりにくい!)

描いた人生を手に入れる方法、すなわち、今の自分に貢献しない記憶、感情、所有物など(これら一切をエネルギーと呼びましょう)を手放して、心から満たされて幸せで、輝きのある人生を本気で手に入れるために最も必要なことは、・・・こことっても大事ですよ・・・あなた自身が、あなたの意思により、心の声を聴くこと、すなわち瞑想です。


一昔前まで、不調を抱えた人が「治癒を求めて」、ストレスを抱えた人が「真に救いを求めて」行く場所は、教会とか寺院といった場所でした。ユタやメディスンマンの家だったかもしれません。聖人や法主たちはみなこう言います。「私に祈りなさい。」まさにその通りです。古の時代から、東洋の賢人やリシ(聖仙)たちが同じことを言い続けています。
ただ、ここで聖人が言わんとしている「私」は、あなたの心の中にいる「私」なのです。どこかのキラキラ眩しい御方の足元に膝まずいて、本気で「その人」に祈っちゃうことではないのです。膝まずく行為によって、「私自身を明け渡しますよ」という宣言を力強く行うことは良いのですが、あなたを明け渡す相手は目の前にいる他人様ではなくて、「私の心」、「私の内に宿る善」、または、スピ用語で言うところの「ハイアーセルフ」にです!
だから、今はどこにも行かなくていいのですよ。導かれるままに、こういうブログ等からアイデアを得て、そのあとは自分に戻っていけばよいのですから。

本当に多くの人が心の在り方を探り、物質以外のものに救いを求めているように感じます。選択肢がたくさんあり、物質があふれ、何でも自由に手に入れられそうな時代なのに、よくわからないが悩みは広がるばかり。だけど、本当は、答えは自身の内にあるのです。手をとめて、頭をやすめて、静寂の中に一度身を置いてみてください。


私は瞑想を日常にやっていますが、もちろんやらない時もあります。感謝の心をすっかり忘れたカサカサな人になることもあります。そういう時に、悲しみや怒り渦中な方々と場を共有すると、私もそちらのエネルギーに簡単に捕らわれてしまいます。混沌とした社会だからこそ、自分を見失うのは本当にあっという間です。瞑想をしていると、なんとなく心が真空になるような瞬間を経験しますが、その空間を経ると、心は穏やかになり、今に存在し、迷いなく行動できる。だから瞑想をしたいと思うのです。

しかし瞑想することが目的ではない。

私の中のエゴはいつも瞑想をしたがるので、よく師匠や旦那さんにたしなめられます。瞑想をしたって何もすごい事ありませんし、瞑想法を知っている人もすごくありません。瞑想という方法を使って、
「今という場に存在し、今すべきことを、愛の中で行っていること」が、私が在りたい現実です。「今を生きなさい。」これはお釈迦さまも言ったことです。生前に墓石を購入しなさいとは一度も言っていません。だから、今を生きるために、自分を知ることが大切で、そのためには瞑想が遠回りのようで一番効果的な道ではないかと思っています。

私にとっての愛と調和と力強さを求める道は、ライフジャーニーそのもの。『和道』というアイデア(実践思想)を学んだ今でも、すべての答えは既に自分内に在ることを忘れないため、毎日の祈りは続きます。いのちを頂いたことに感謝する方法は一所懸命、歩みを止めずに前に向かって生きること。だって、それぞれが生まれてきた意味は、道の途中に必ず存在するのですから!

うん、だから私も歩き続けるんだ[手(グー)]



旧年去って、新しい年は来るけれど、今日も明日も「今」の連続。時間ばかりに囚われて明日は、来年は、と言わず、改めて「今」を意識してこの時期を過ごしたいと思います[かわいい]

と、言うことで。
冬晴れの日光浴や愛に溢れた集まりなど、「今」をめいっぱい抱きしめましょうね。

Enjoy your holiday!!



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抱負の考え方 鍵はMagicとLogic [和道 Wha-Dho 哲学]

昨年1月、オハイオ州のポールと志野さんが来日し、新宿で行ったWha-Dho(わどう)ワークショップ。「今」を生きるための知恵、お金や人間関係についてをポールがレクチャーし、それぞれが自問自答したワークショップだったと思います。早いものでもう一年。まだ一年・・・?あの日が一年以上も前に感じられる方がほとんどかもしれませんね。

昨年の年末に、参加者の数人からフィードバックをいただきました。仕事をやめられた方、恋人ができた方、結婚された方、妊娠された方、子育てを終え再就職をされた方、お仕事でご活躍された方、新しい資格を取られた方など、それぞれに変化があったと報告をいただきました。どれも前向きで明るく、悲観的で後ろ向きな言葉づかいではなかったことが印象的でした。

さて、ワークショップでも話題になり、それぞれが持ち帰る宿題となった、『MagicとLogic』を覚えていますか?
私の去年の抱負(ここ数年は漢字一文字にしていますが)は、「誠」だったのですが、ワークショップを経て、この「誠」の文字の右下に、英語で~boost~という文字を斜めに加えました。
「誠」は心の声に忠実に、誠実に生きていくという気持で決めたのですが、静的な印象がありました。それを自分の頭と力で持ち上げなければ現実にはならないように感じたので、さらに一文字加えることになったわけです。2011年が終わってみたら、まさにそのとおりだったと思います[るんるん]

1月は新年があけた月でもありますが、メディスン・ホイール(ニューメキシコ州ワークショップを参照)でいうところの「内省の時期」、日の出を待つ夜。次に蕾が花開く春、つまり「再生」「誕生」に向けて、原案が練られて原型が生まれるときです。いろいろな意味で今は、自分の生き方を新たにしたり、生活や仕事の計画やビジョンを描くすばらしい機会です。
ここで、もう一度『MagicとLogic』について考えてみたいと思います。

当然のことなのですが、誰もが自然の流れの中で生かされています。
太陽がのぼり、月が巡り、海は満ち引きます。
女性は月の満ち欠けとともに28日を過ごしますし、
日々、時間と年を重ねているのも自然の流れです。
自然が作り出す時間の変化や四季の上に、私たちは生かされています。
この外側と胎内の自然の流れに逆らわうことなく、調和のある生き方をする人は幸せを得ているように感じます。

この「自然の流れ」がキーです。
目標やゴールは、自分の内にある心、または愛を感じる場所に選択権を与えてください。
この愛は、より大きな愛であり、家族や同じ人類を想う愛です。
愛ある心から聴こえる声は、自らにとっても心地よい声であり、
そして周りにも幸せそして善を運んでくるものだと思います。

その目標やゴールは、あなたがこれまで行ってきたこと、経験してきたこと、考えてきたこと、すべてが統合した上でのものとなるでしょう。これがMagic、すなわちあなたの心の持つ、あなただけの奇跡です。

心の声を聴くためには、静寂が必要です。瞑想の方法はいつもブログに書いていますので、ぜひ浄化の瞑想からはじめてみてください。

さあ、このMagic を感じられたら、次は頭を使って戦略を練る時です。漠然と得た感情やビジョンを達成するために Logic を働かせて、戦略を組み、それを達成するためのプランを立てるのです。

哲学、医学、エンターテイナー、ビジネス、どのような成功者も、心のマジックを常に確かめ、それを叶えるために、頭を使い、文明の利器を使い、人を使い、よく考え--しかし同時に物質やゴールの何に執着することなく--日々行動を繰り返してその魔法を実現されています。ガンジーやダライ・ラマ法王はもちろん、ビル・ゲイツ、稲盛和夫会長、ヒラリー・クリントン、スティーブ・ジョブス、オプラ・ウィンフリー、スティング、マドンナ、リチャード・ギア、ジェシカ・アルバ、マイケル・ジャクソン、ハル・ベリー、、挙げればきりがありませんが、あなたの尊敬する方もそうではないでしょうか?想いを叶えるその姿は神がかっています。

自然に MagicとLogic を融合させてリーダーをされている方は別として、Logic を先に考えてしまうだいたいの結果は、心の置き去り状態です。人を飛行機とするならば、心は体の操縦士。この心が制御しなければ、機体(からだ)全体は動きません。自分自身が何をしたいのか、どう生きたいのか、それを確かめたとき、本当に意味のある人生を歩めるのだと思います。

その前に、やはり必要なのが浄化の瞑想。あふれかえる情報や過去から癒着した感情など、手放せるものは手放してみましょう。心が本当に必要なもの、心に戻るべきものはちゃんと戻ってきます。ただ、この一度手放す作業を行えば、今後の人生で真に必要な情報や持つべき感情が何かもわかります。それもMagicです。

どうぞ、心・体・そして精神を統合して抱負を考えてみてくださいね。あなたが本来持っている輝く生命力は、この三位統合をした時にさらに力を発揮します[ぴかぴか(新しい)]



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2012年 新年のごあいさつ [和道 Wha-Dho 哲学]

明けましておめでとうございます。

2012年のお正月は、いつもとは違う特別な思いで過ごされた方が多いのではと思います。
昨年は世界各地で自然界が強いメッセージを発し、私たち一人一人が「生きること」を考えさせられましたが、それを境に、科学の発展、電力、自然界、人間、そして生き方を改めて見直すようになったと思います。
誰もがそれぞれの変化を受け入れなくてはならない状況にあり、その中で助け合い、愛を与えて愛を受け取る心の輪が広がった一年だったと思います。いろんな意味で強烈な一年でした。

環境は常に変わりゆくものであり、
同じ瞬間は、二度とこない。
今という奇跡的な瞬間の有難さに気付きました。

いま目の前に在るものが一瞬で消えてしまうこと、
いま目の前に居る人が、いつまでもいないことも。

家族や仲間、支えてくれる人たち、支える人がいること、
そして自分一人で生きていないことも。

今まで以上に、心の大切さに気づきました。
今、どう考え、どう行動し、どう人や物事と関わるか、
「心」の在り方が生き方に直接影響することを体験で知りました。

一人の心ある行動で愛の輪が拡がり、
奇跡と呼べることも起こるのだと知りました。

その中で、他人事で傍観している人の存在にも気づき、
私たちそれぞれが、違う学びの場に生きていることにも気づかされました。

日本という国と人に提示されたこの大きな課題は、
誰かが収束してくれる課題ではなく、全体で向き合う課題であり、
また、それぞれが向き合う課題なのだと思います。


人が動物的に自然に持つ「欲」は健康的ですが、私利私欲や一部のいわゆるオイシイ利益だけを求めて何かが動く時、人の成長も、企業、経済や国の成長も止まると思います。これは善・悪関係ないことで、単に成長が止まるときは、考えるときなのだと思います。・・・だけど、長い歴史を見たとき、社会と人類全体の善を目指した企業や有志が繁栄しています。目先の個の利益のために繁栄するのではなく、地球全体の繁栄のために何かが動く時、宇宙は後押しをしてくれるのでしょう。幸せな人類が住む豊かな地球になるかは、まさに一人ひとりの心に掛かっているのだと思います。


=====

常々、人間として生かされている奇跡に感謝する一番の方法は、愛を感じることだと思っていますが、自分の心に「愛」の場所があれば、それが行動の原点となります。愛は、同じ人類同士を、互いに助け合わせます。相手を喜ばせるだけの甘い援助ではなく、真に援助する力があります。相手を慈しむことは、自分を慈しむことと同じでとても神聖な行いです。人間として生きている以上、助け合わずに生きるほうが難しいと思いますが・・・。
もちろん、常に変わる「今」にすべきことを全うし、変わりゆく自分や環境も柔軟に受け入れていくことも大事だと思います。

瞑想中の超越した真空の間(ま=魔とも呼ばれますが)に、多くのビジョンが嵐のように過ぎることもあれば、その一瞬で究極に癒されたという経験をされる方もいるでしょう。今生で経験していないリアルな経験がそこにあると、それが過去か未来かもわかりません。どれもが現実で、どれもが幻想。生きている間も、寝ている間も、瞑想している間も、どれもが幻想であり現実であるように感じます。

この中で実際に「現実」となるのは、「愛」を感じるものが行動により現実化したときだと思います。それは、愛のある会話、心と心の出会い、思いを込めた作業、希望あるプロジェクト、哲学のある仕事です。

きっと、みんな無意味な人生に興味がありません。

人生とは、どこかの一部分が幸せだから「幸せ」と呼べるものではありません。どの部分も切り離すことができない、必要な全体の一部です。自分の人生を意味づけるのは、今行っていることに対する心の姿勢と行動そのものであるように感じます。

今日も「人生最初の日、最後の日、そして最善の日」。
心の声が導く場所に向かって、愛をもって生きていきたいですね[かわいい]


それぞれに思い描いた輝かしい2012年をお祈りいたします[ぴかぴか(新しい)]
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持続可能な社会が始まるところ [和道 Wha-Dho 哲学]

「持続可能な社会」が謳われて久しいが、この言葉が出現してから、社会は持続可能な状態に近づいているだろうか?とふと思った。みんなの心にハテナが浮かんでいる。今も、世界中で持続可能な社会の達成が声高に叫ばれているし、自然界までが人間を強く揺さぶっている。

持続可能な社会は、単に企業や国家に任せておいて達成できるのだろうか?持続可能な社会は、一体どこから始まるのだろう?

今の社会の在り方は持続可能じゃないと思う。「エゴ」が暴走して生まれる競争社会や、科学の発展だけを求めたり、一部だけが恩恵を受けるような社会は、持続可能じゃない。エゴは誰もが持っているものであるけれど、それが団結してエゴ集団になると、一人の人生は容易に変わるし、社会や世界の情勢にまで影響していく。人間のエゴが動物や植物の上に立って支配すれば、地球全体の調和も崩れていくのはみんな知っている。

(ちなみにエゴは、情熱、想い、夢という内から湧き出てくる純粋な感情とは異なって、頭で得た知識や論理のみに基づく「欲」が誰かや何かを犠牲にして暴走している状態。と私は思っている。)

このエゴは、間違いなく一人の心からはじまる。どこかのお偉いさんだって、お隣さんだって、エゴを放っておけば暴走する。エゴが運転手になって人生を先導させておくと、自分自身や人生すらわからなくなる。

しかし、私が思うに、これも「地球学校」ですべての生徒に与えられる大きなテーマ。その詳細は、それぞれの人生によって違う。それぞれに違う課題が、生まれてくる時に全て準備(セット)される。どの家族のもとに生まれ、誰に育てられ、どういう環境が与えられ、途中にどのような試練が与えられるのか・・・。このテーマに向き合うことを通して、「生きる意味」がわかってくるようになっている。

自分に与えられた人生の中で、放っておけば蓄積されていくエゴを解き放ち、その奥深くに眠っている「心」が運転手になるとき、「本当の幸せ」が目の前に現れてくる。誰かと「競い合う幸せ」ではなくて。

だから、エゴに関する問題は、「人はなぜ生きるか」の答えにかなり近いものだと思っている。エゴを持つことは生きることでもあり、エゴを通して生きる意味を知ることになる。しかしエゴが「心」をコントロールしているうちは、生きることの本質は見えてこない。

このエゴを解き放つ方法は瞑想。
瞑想はエゴを自然と取り去ってくれる。仏教や禅、世界各地の先住民の間で言われるところの、「自然になる」、「ここに在る」状態に近づく最短方法でもある。この心の状態を日々維持して生きていくのは(情報や習慣にがんじがらめになっていればいるほど)数日ではできないけれど、瞑想を実践することで、エゴは確実に去っていく。

そして、生きることは愛することでもある。まず自分を愛することをはじめてみればいい。小さい頃愛されなかったからと言って、今から愛することを始められないわけではない。愛されたいと思うなら、まず自分から愛せばいい。自然(動物や植物)を慈しむことから始めて、自分を慈しむ方法を知るのもいいし、他者に手を差し伸べることで、自分にも手を差し伸べる方法を学べばいい。

慈しむことが難しければ、自分の内にある哀しくて苦しい感情を手放せばいい。愛したいのに、逆に憎んでしまうならば、その感情の根源を解き放てばいい。それは難しいように思えるけど、できるのです。その感情を無視し続けたり、無理に捨てようとすると、心が痛いし傷は深まる。そのような方法ではなくて、自然と浄化する方法で手放してあげればいい。

瞑想をすれば、エゴは解き放たれ、愛されるように・・・すなわち愛せるようになる。本物の愛を知る。

エゴと愛は深く関係している。
私たちは科学や社会の発展で確かに便利な社会を得たけれど、それでもなお、私たちは奇跡的な自然のサイクルにより生かされていることを忘れてはいけない。自然や人類全体が生かされていることにに感謝すれば、不思議なことにエゴは消滅しはじめる。利益のために、怒りのために、「今から戦いに行こう」とか、「いじめに行こう」なんて考えは出てこない。

社会に貢献したい、地球や人類を救いたい、人に役立つ仕事がしたいのなら、まず自分を受け入れて愛すことからはじめてみよう。

持続可能な社会の発展は、どこかの政府や団体がやってくれるものではなく、あなたの心から始まるのです。



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営業仕事と、スピリチュアリティの融合 [和道 Wha-Dho 哲学]

今日から3日間の日程で、(2011年9月26日から28日)、東京ビッグサイトにて『Diet & Beauty Fair』が開催されています。この3日間は、私もオフィスを飛び出してビッグサイトにてお仕事してます。

私の平日日中の最大の集中ごと(関心ごと?)は、自社商品をどれだけ多くの人に知っていただけるかということ。製品を自ら使って良さを実感し、良いものだけをお薦めしています。(といっても、社長が高品質の「本物」だけを提供する使命のもとで開発しているため、私が試すころにはパーフェクトな商品になってて当然ですが・・・)

私の生活は、すでに無添加・オーガニック、しかもエネルギーやオーラが見える世界で生きてるので、会社や商品に悪いエネルギーが流れていたら私のどこかが拒否反応を示します。なので、使ってOKと判断する時点で、私の内に絶対的な自信が生まれています。

今、営業をしていて思うのは、営業をするには何より商品への愛と自信。それから笑顔だなと思います。すべては、善と喜びのエネルギーから発信されています。

商品を提供する際の一番の喜びは、購入を検討している方の心に触れられること。取り扱い商品が、サプリやコスメなので、買われたい方は、「より健康に、より美しく、より輝いた人生」を送りたいと願っている方が多いです。その方に、「どうやって?」という方法論を説明できるのが喜び。企業を通してだからこそ、こんなに多くの方と接触できることに感謝しています。

今回のお仕事はかなり大きなイベントであるゆえ、あらゆる面にちょっとした負荷がありました。時間、エネルギーすべてを傾けて準備をしていたけれど、その分このイベントには意味があり、これを終える頃にはまた一つトランスフォームが起こる気配を感じていました。

イベント開催前には、ブースをビジュアライズしてビジネスの成功を願ったり、善エネルギーが流れるようにブースを浄化したり。思考にはエネルギーが流れていると信じているし、誰にも迷惑かけないからやっているわけですが・・・それ以上に、エネルギーワークで私自身が元気になるので、営業にも気合いがはいりまくりです(笑)。

と言っても、社長、取締役、社員の心が一致しているので、全体がひとつになっているのは、ブースに近づいていただければわかります。明らかにそこだけ雰囲気が変わります。

そんなこんなで、1日目の4時。

ランチの時間も忘れて4時近くまでずっと営業トークしてました。とても楽しくて、話せば話すほどエネルギーが流れる。上司に、そろそろランチ行きますか?5時まで待ちますか?と言われて、即座に食べようと思い、ランチを持って休憩所に向かいました。

もう4時だというのに、休憩所は満席。相席はないかと探してみると、かろうじてひとつあったので「開いてますか?」と一声かけて座りました。

私が座ると、左隣の人が去りました。右隣に若い女性が、目の前に同年代の女性がいます。その人が大きなクリスタルを首から下げているのを私は見逃せなかった。

この二人が仲良く面白そうに話しているので、とにかく話しに入りたいわたくし関西人。話の途中で、やはり割って入れるタイミングが訪れました。

よくよく聞いてみると、二人は都内で知らない人はいないくらい有名なスパ施設のセラピストさんで、一人は現在ヒーラーの勉強をしているという。もう一人も同じくセラピストさん。かなりの大荷物なので、商材探しですかというと、遊びです、と。余裕が素敵。

そのまま話を続けていると、目の前の女性はセドナに行った際に、首から下げている大きなクリスタルを得たのだと説明してくれました。そのクリスタル、エネルギーの力は弱っていたけど、明らかになにか放ちそうな力を秘めている。

「満月の夜、月光を浴びさせてあげるとエネルギーが戻りますよ」

という話から、私が何者かの話になった。
以前は英語講師だったこと、ニューメキシコでメディスンマンと過ごしたこと、インド出身のヒーラー・ビジネスコンサルタントから指導を受けて、プラクティカル・スピリチュアリティ(実践哲学)の資格を持っていること、などを話していると、本職はなんですか?と訊かれた。

この企業、『ヒロソフィー』で国内と海外営業やってます。と答えると、それはそれは熱心にビジネスと商品の話を聞いてくれました。

最後に、「何になりたいのですか?」と質問を受けた。この質問も初対面にしてはかなり鋭い。

私は「世界平和に貢献したい」と即答、そのためにいま頑張っているのだと。考える前に口に出ていたし、それが本当に正直なところ。「今」こそが私で、今がなければ先もない。この今こそ現実がすべてでもある、と。そしてこれが等身大の私。

すると、彼女たちは、それは真実味があり、説得力があると言ってくれた。私の方が、真実味も説得力もあるのか~と感心した一瞬でした。

まさかだけれど、私が持っていたオーラソーマを使って、3人でエネルギーリセットをするという素敵な体験までしてしまいました。しかもアングラウンディングな状態の危険性をわかりつつ、セドナを再訪されているという話も聞き、彼女もオーセンティックだなと感じました。(グラウンディングしてないと、そんな大きなクリスタルを毎日持ち続けられないでしょうね)

その後、彼女たちは私が食べたいな~とうすうす感じていたデザートを買いに席を立ち、戻ってくるとそれをシェアしてくれました。なんてラッキー。その後、欲しかったアロマオイルの業者さんを紹介してくれて、なんと商品40%オフで購入!もちろん、ボディセラピストの彼へのプレゼントも♪ その後には、ヒロソフィーのブースにも立ち寄ってくれ、お二人とも商品を購入されました。

営業の仕事をしながら、私自身は心と身体でWha-Dhoを実践していきているけれど、このように正にスピリチュアルな話から営業につながっていったのは初だった。魂に正直に生きていたら、宇宙はあるべきところへ向かって動いているのだな、と感じたイベント1日目。

明日もリセットしたエネルギーで、瞬間を生きてます!


第10回 Diet & Beauty Fair @東京ビッグサイト
http://www.dietandbeauty.jp/ja/
事前登録で、入場無料

㈱ヒロソフィーは、『学っ研の、オバチャンっ♪』 で有名な、㈱学研の美容部門が2003年に独立した企業です。
http://www.hirosophy.co.jp/
社長は還暦!ブース内で、一番タフに動いていますっ[あせあせ(飛び散る汗)]

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