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【グローバルでローカルな「街」】EVNews No.2 [オーストラリア☆エコ・ビレッジ通信]

オーディンガのエコ・ビレッジはオーストラリア最大規模。自然の力を最大限に生かして利用し、各家が菜園を持ち、恊働して分け合うパーマカルチャー。新たな知識は積極的に学び、知恵を絞り、地元のファーマーをたより、それでなおかつ「グローバル」なのだそうです。「グローバル」?最初に聴いたときに、何を意味しているのかわかりませんでした。

確かに住んでいる人の出身地はグローバル。オーストラリアの他に、アメリカ、スコットランド、オランダ、アイルランド、カナダ、ドイツ、ベルギー、フランス、イギリス、シンガポールの方がいます。オーストラリアをのぞいて、一国を代表して1人または2人。私の故郷から一番近い出身地の方は、シンガポール。持続可能な暮らしに興味のある人が世界各国からここに集まる‥‥すなわち、各国からの知恵とアイデアが結集しています。

住んでいる人の出身地が豊かだけであるだけでなく、多国籍プロジェクトも進んでいます。他国の大学生や研究生を受け入れ、アボリジニとエコ・ビレッジをテーマとする長期プロジェクトに貢献しているからです。

常に、ビレッジ内では数多くの計画が同時進行しています(内容、規模により各委員会が存在します)。現在進行中な大きなものは、バイオ・ダイナミックなコンポスト作り、食糧をビレッジ内で十分生産すること。今後も、パーマカルチャー大国オーストラリア中のローカルな知識が集まり、海を超えて知識と経験を集積し、そしてグローバルに拡散させていくことを予測させます。

なるほど、グローバルでローカルなエコ・ビレッジ。住んで1ヶ月で、少しその姿が見えようとしています。
(エコ・ビレッジを出れば、ヨーロッパ系オーストラリア人ばかり住んでいるので、多人種コミュニティはさらに目立ちます!)

*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*

ちなみに、住民はここは「タウン(街)」と呼びます。「ビレッジ(村)」というには小さすぎるからというのがその理由でしょう。
なんせ広大なオーストラリア。何かしら問題が発生すると、解決するまで相当な時間がかかります。オージータイムというのかしら・・・。ということで、街で解決できてしまうと最速かつ経済的。

例えば、ソーラーパネルの調子が悪いと、近所にいる専門家がまず検証してくれます。大会社のカスタマーセンターに電話をして、2ヶ月待ちの検査予約する必要がありません。
プロバイダーや電話線は、徒歩圏内の「通信センター」に集積されていますから、電話会社を呼ぶ前に多くのトラブルが「ご近所IT」によって解決されます。
お隣さんは、ホメオパシーのスペシャリスト。定年までは前世療法やエネルギー・セラピストをしていた彼女は、市販薬を使わない私たちにとって「メディスン・レディ(治癒者)」のような存在です。
定年退職した頼れる男性軍は「便利屋さん」で、簡単なリフォーム、配線や配管の修理などなんでも請け負ってくれます。声を出せばなんでも差し出されるようなぐあい。
子どもたちは、時間のあるおばあちゃんや先生たちが面倒を見て、大人の難しい疑問には、教授や学者が登場します。アドビの家を建設する大工さんもここに住み、売買担当する不動産屋さんまでもが住んでいます。なんという大きな「街」でしょう!!

毎日どこかで、ヨガ、陶芸、ピラティス、編み物、PC・スマホ教室、コーラス、ドキュメンタリー上映会、石釜ピザディナー、などが開かれています。シングルの高齢者の方も多くいますが、車に乗る必要がなく、歩いていける場所に健やかな明るいサークルが提供されています。

土地特有の気候、太陽の位置、空間、人と自然の健康状態、共同体を意識した暮らし。しかし見えないものが好きなだけで住んでいるのではないのが、一昔前のヒッピー村とは異なるところ。ここには法的に有効な契約書と誓約書が存在し、規約を守ることに同意した者が、責任を持って住まっています。(なんせ弁護士も住んでいるのですから!)


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【エコ・ビレッジ通信☆創刊号】EVNews No.1 [オーストラリア☆エコ・ビレッジ通信]

延々と続く草原は地平線がつながり、少し歩けばその向こうに水平線が広がる。フルーリオ(Fleurieu)半島の一角、オーディンガ(Aldinga)地方の海とワイナリーに挟まれたエリアに、オーストラリア最大のエコ・ビレッジ、Aldinga Arts Eco-Villageがあります。

約51000坪のファームと12000坪以上の居住区。目視できる範囲を優に超えています。10年前にエコ・ビレッジ開発が始まったころ、スチュアートはこの地の創始者(風力発電の技術士)とここに住んでいました。縁があって、というよりもスチュアートはここに住むことをもう決めていたのかもしれません。彼の青写真に描かれていた道を彼自身がゆったりと辿り、やがてパートナーを得てこの地に戻ってきたのではないかと思うほどです。

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広大な敷地は、ファーム、共同エリア、そして、住居エリアの大きく三つに分けられます。

1.巨大なファームは、専門の農家さんが入り、収益を得るために野菜やフルーツが育てられます。これは2020年までに到達すべき大プロジェクトとして進行中で、エコ・ビレッジの住人すべての食料を養うとともに、ここでとれた農産物を販売し、エリアの維持費につなげていくそうです。ファーム内には大きなダムとしての池も整備されています。
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2.共同エリアは、各種のフルーツやナッツ類の木、各種ベリー、豆類、ハーブが豊富になっており、ここの居住者は自由に採ってよいことになっています。もちろん、勝手に大量に採るような人は存在しませんので、いつも十分に実がなり、色彩も豊かに景色を彩ります。夏には全員総出で、数百個のアプリコットやアップル、パッションフルーツやアーモンドを収穫します。
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冬の間(雨期)に巨大タンクに貯水された雨水は、濾過されて日々の生活用水として使われます。蛇口から出た水は、またこの敷地内に戻って、大地を潤し、蒸発し、雨となって、また雨水として地におりてくるシステムです。このオーディンガ地方で、これほと下水システムが整っているエリアは他にないそうです。共同エリアにある電灯は、昼に蓄えられたソーラーエネルギーを使って夜に点灯します。
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3.居住区は、A、B、Cのエリアに分けられており、現在D(4つ目)のエリアデザインが進行段階です。

A.居住区の1つ目Aは、土地を買った後、自らもしくは専門の建築家に依頼し建てた家があるエリア。もちろんまだ家が建れられていない芝生のエリアも多数あります。
家はすべて太陽向きに建てることになっており、ソーラーパネルと家庭菜園が必ずつきます。この辺りはどこも基本的に平屋ですが、たまに2階建てを建てている家もあります。アート・エコ・ビレッジというだけあり、想像を働かせたデザインが並びます。建築様式はアドビ建築、ストローベイル(土壁)、木の家、小人や妖精が住んでいそうな家、そして天文学研究所のような家、ソーラーパネルが太陽とともに移動する家、日本風、仏陀が並ぶ家など、とても個性豊かです。
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B.居住区の2つ目Bは、既に建てられている家で、タウンハウスと言われています。10軒ほどあるかと思います。すべて二階建てで、私の目から見ると、日本の長屋のように見えます。家の前後に菜園があります。芝生エリアではよく住人がアフタヌーン・ティを楽しんでいます。


C.居住区の3つ目Cは、私たちが住んでいるエリアで、Seaberryというベリーがたくさんあるエリアなので、シーベリー・ウォークと呼ばれています。家はすべてコッテージタイプで、24軒あります。当初、エコ・ビレッジを見学する人用の宿泊所として建てられたようですが、クオリティの高さにすぐに買い手がついたそうです。3年前に建てられたばかりの太陽方向に建てられた家にはソーラーパネルが設置され、雨水を貯蓄するタンクがあり、家庭菜園がついています。藤棚のあるベンチエリアもあり、エコ・ビレッジの住人だれもが自由に使えるエリアです。

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D.居住区の4つ目Dとして、高齢者の方が住めるユニットを建設する予定です。ドーナツ型で、家が隣通しとなり、中央に広く太陽のあたる公園エリアを造るとのこと。まだ計画段階だそうで、現在はとても見晴らしのいい広大な芝生エリアになっています。



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オーストラリアパートナービザ取得への道2【別居で知る諸法無我】 [国際結婚・永住]

2013年2月
私はスチュアートと二人で、彼の故郷オーストラリアはアデレードへ里帰りしました。私たちはそこで未来を垣間見ました。そして、それを実現するため、すなわち私がオーストラリアへ永住するため、2月に1年計画を立てました。それは直感に従って作ったもので、なおかつ最も経済的で、精神的負担が少ないプラン。もちろん、和道のポール師匠のアドバイスに則ってです!

内容は、このようなものでした。
[かわいい]まずスチュアートがオーストラリアに先に帰国し、物質的と精神的に基盤を整える
→彼が以前オーストラリアでやっていた天職のセラピストの仕事を軌道に戻す
→二人の新居に先に引越し、生活準備を整える
→異国から永住する妻を迎える準備をする

この大目標に加え、各月の目標を決めたあと、二人で同じものを一部ずつ持ち、4月4日から別居生活が始まりました。東京の私とアデレードのスチュアート。私はこのプラン・シートを、常に更新しているビジョンナリー・シートとともに枕の下にいれて、毎晩ビジュアライゼーションをしながら眠りにつきました。


さて、プラン作成から達成までは、このような感じで進みます↓


3月中旬〜4月上旬 

私は、実は東京から神奈川への引っ越しを考え、彼が帰国する前から一人でかなりの物件を内覧しながら、神奈川地域での仕事の可能性も探っていました。しかし、ご縁がありません。
3月下旬、神奈川への引っ越しはナイと直感を得ました。東京も、そこから30分と距離のない横浜も、巨大な都心の空気に大きな変わりはない。私が素直に生きたいと思う場所ではないと感じました。4月4日に彼が帰国してから、私はそのまま仕事を続け、和道1日ワークショップの通訳を終えた後、直感的に京都に行くのだと悟りました。

それは、4月5日に受けた、最強の和道ダブル・ヒーリングのおかげ‥まさかの師匠ポールと、和道ヒーラーの睦世さんから受けたヒーリングがきっかけでした。この二人のヒーリングを受けるという機会は、時間を調整したりお金を支払ったりして得られる類のものではないはずです。まさかのタイミングで、まさかのエネルギーが注入され、閉ざされていた何かが、とたんに開いてしまいました。意識的に生きることを選択している人にとったら、よそ見をするという選択は存在しません。

私の内には、スチュアートがオーストラリアへ帰国した後の、彼のことばかり心配していました。ほら、お得意の「他者が先」です。私は私で、人生を掛けてのというと大げさですが、移住するという大きな変化を迎える準備を、精神的にも物質的にもしなくてはならなかったのに、実際のところ何をすればいいのか全くわからずだったのです。

京都滞在は、当初私たちの永住プロジェクトにはなかったプランでした。永住に向けて、私にも物質的そして精神的な準備が必要でした。京都に行くことになった、、、今思えばとてもうなずけるプロセスです。


4月中旬

それから1週間後、久しぶりに開いたPC画面に、京都の家を見つけました。私の実家からものの5分、幼なじみの実家から徒歩2分ほどの距離にある、1階がステンドグラス工房で大きな庭がある家。京都らしいともいえる下宿、今でいうところのシェアハウス。ニュージーランド時代に寮に住んでいたこともあり、シェアは得意です。レトロな感じも私にはしっくりきて、何よりも1軒屋と広いので‥‥と、いろいろと考える前にもうオーナーの眞理ゴズニーさんに連絡をしていました。

京都は、素でスピリチュアルだといわれますが、全くその通りです。早朝となれば托鉢にこられるお坊さんがいらっしゃいますし、朝夕は家々からお経が聞こえてきます。あらゆる場所に在るお地蔵さんは地域の人たちがいつも面倒を見ています。ある地域で英語の3単語に一つはfワードといわれますが、それに対して京都は3筋(路地)にひとつ歴史的な碑が建つといわれています。風水や地質だけでなく、空気で感じるスピリチュアルな空気が漂います。これは、大いなる自然に対しての畏れを忘れず、日々祈る人々が作り出す空気感なのだと感じます。私には、久しぶりの京都がとても気持ちよかったのです。

(京都でのすばらしい思い出については、改めて書きますね[手(パー)]これ以上長くなると誰も読んでくれないので:汗)


4月下旬 GW前
京都を訪れ、家をみて、契約をする。

5月GW後
京都に引っ越す


5月中旬

この頃にひとつ、私は自分の心の声に従わない行動を一つとったことで、当たり前ですが、好ましくない結果を呼びました。このことで、東京からひきずった最後のしこりを、ジョキッとやっと切れました。オーストラリアには不要なしこりだったので、ここで切れたのだと思います。

また、その頃の彼はというと、帰国して3日後には車を買い、家を借り、マッサージベッドを買い、仕事を始め、そして営業周りを始めました。それは本当にものすごいスピードでした。意図と行動が完全に一致している時のスピードです。


5月下旬〜6月上旬

4月の時点で私の永住ビザを手配するタイミングも決めていましたが、6月になり、彼の収入が夫婦が生活できる額に到達したことで、私と彼は共働して永住ビザの手配に取り掛かりました。そして申請完了。その内容は、2つ前のブログに書いた通りです!

数日に一度はスカイプで打ち合わせをし、毎日メールをして私たちの「まだ見えない道」を創ってきました。


7月初旬〜中旬

9月初旬から中旬の間に転出することを、京都で借りていたお部屋のオーナ眞理さんにお知らせしました。岡崎のすばらしい愛あふれる家に、次に一緒に住みたい人を描きだし、そして募集要項を作成。描いた通りのすばらしい方が、最善のタイミングで来てくださいました!

ちょうどその頃、東京の祖母が天命を全うしたので、お別れのために東京へ1週間戻りました。このとき、祖母から着物の帯枕を形見として頂きました。

お別れの後には、東京に残しておいた22キロの冬物衣料を、オーストラリアへ空輸しました。スチュアートがエコ・ビレッジに転入した直後でした。しかし、私がオーストラリアへ行く目処は、この時点で全くたっていません。


8月1週目

永住ビザを申請した先の在韓国オーストラリア大使館に問い合わせるも、永住ビザの進捗状況は(当然)わからず、もしオーストラリアへ行きたいのなら通常の観光ビザ(3ヶ月滞在)で入国するよう指示を受けました。


8月中旬

京都に遊びにきた親友と山を登ったり、姉家族とお盆を過ごしたり、滋賀県大津の花火大会を楽しみました。愛にあふれた時間が心を豊かにするとともに、幸せな記憶としてどんどん上書きされていきました
この時点で、京都の部屋のものを処分しつつ、どうすれば9月からオーストラリアへ最善の方法で滞在できるかと、オーストラリアへのチケットを探し始めました。


8月4週目〜9月1週目

私たちの状況では、観光ビザ (Subclass600)【家族引き寄せカテゴリー、12ヶ月滞在、マルチプルビザ】が良いとの情報を、オーストラリア移民局から得ました。このビザは、在日大使館や在韓大使館での申請ができないため、オーストラリア国内の移民局へ直接申請することになりました。
 ↓
4日後にビザがおりる

やっとこさ、移民局を通して私がオーストラリアへ実際に渡れる道が整いました。

 
9月2週目
オーストラリアへ夏服と着物を送る
京都を転出する


9月3週目
東京に転入し、親族に挨拶をする


9月24日

オーストラリアへ、片道航空券で出発
一度も検疫所で捕まったことはないけれど、今回も世界最大かつ最強の検疫があるシドニーからの入国をさけるためにクアラルンプール経由でアデレードに入りました。特に持ち込めないものは持たないし、驚くほど整頓されたスーツケースではあるのですが、以前乗り換え便に間に合わなかったことがあるのでそうしました。経由は途中、クアラルンプールで6時間待機、その内の4時間をインドはバンガロール出身の牧師さんとお茶を飲みながら過ごしました。まだ若く、きらきらと輝く虹の戦士がここにもいました。彼も今、世界中で「光の戦士が集まるチーム」を作るために走り回っているそうです。

9月25日
アデレード到着
スチュアートが先に住んでいるオーディンガ (Aldinga Arts Eco-Village) に引っ越しました。


2月にオーストラリアへの永住を感じ、9月には引っ越し完了。これが和道スピードです。社会的な時間は存在します、しかし魂のスピードは時計が刻む時間を超越します。

意識的に生きはじめると(それはお釈迦さんのいうところの諸法無我のような)選択の余地がなくなってくる。安心感を持って降伏したような感じでもある。私の人生にとっての不要な情報や道が持たらされないために、ある意味、高次の観点から「自由がない」とも言え、それが精神的にとても居心地がいいのは、私にとっての事実です。時空を超えてある物事が理解できるようになると、いろいろ手放せる。瞑想のある日常を暮らして5年。不思議にオーストラリアへ移住するという道が目の前にありました。多次元パズルがかちゃかちゃと統合されるのを観察しながら、かなり穏やかな自分がいることに気づきます。




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晴れやかに「故郷」を抱いて [カルマ]

まさか自分にこんな日が来るとは思わなかった。「故郷」を持てることは、なんと有り難いことだろうか、と今まさに感じているところです。

きっと、誰にとっても、「故郷」はとても特別なもの。思い出すと、あたたかさや、切なさや、甘酸っぱさや、苦味のあるそんな、幻想のようでリアルな存在。ふと風が吹くとき、まぶしい光が雲間からさすとき、木が同じ香りを放つとき、ちょっと感傷的になり、そんな一瞬立ち止まって、斜め上を眺めて少し微笑むような・・・。故郷は自分のルーツであり、または自分の基盤となるものを教えてくれる。そんな「故郷」が自分にもあったらいいなと、ずっと願っていました。故郷が京都でいいねとよく言われていた私ですが、長い間、京都が故郷であることを受け入れられなかったのです。

*・゜゚・*:.。.:*・゚・*:.。.:*・゜゚・*:.。.:*

私が生まれ故郷に「帰る」のではなく、「行く」と言い始めたのは、何かに追い出されるように京都を出て、東京に移り住んで数年したころ。京都には育ったお寺は確かにあるけど、そこにもう私の居場所は完全にないという事実が辛すぎて、そんな複雑な感情を10年ほど持ち続けた頃から、京都を憎むようになりました。愛の反対は憎悪と言われますが・・・全くその通り。私の人生の舞台だと思っていたお寺から、聞こえない声で「実はあなたはここに不要なんです」といわれたことを受け入れるのは、それは難しかった。

京都に心を置いたまま東京で暮らし、仕事をしているうちに、自然な言葉で素直に話せなくなっている自分には気づいていました。イントネーション、音、リズム、ジェスチャー、言語そのものが「私自身」であるはず。それまで自然に使えていた言葉が、東京に住んで数年経った頃から、自然と出なくなりました。伝えたいことと、使う言葉があわないのか、はたまた表現したいこと自体がわからなくなってしまったのか・・・。

その頃、「京都を憎む」勢いで、友達が「実家に行く」という言葉にさえもネガティブに反応していました。「実家に行くと、家で毎日ご飯を食べないといけない」、「実家に帰ると逆に仕事が増える」、「故郷に戻るとほっとする」。特に、みんな揃って「実家」を連呼する盆暮正月が大嫌いでした。一緒にお祝いできる家族がいる友達が、心から羨ましかった。

そのうち、私は故郷を持つのはやめようと思い、故郷は心に作ればいいんだと言い始めました。強がって。そう言うわりには、憎むような「故郷」しか知らないから、どこにだって故郷を得ることは無理です。感情の未処理状態が続き、それが自分の一部になってしまいました。

*・゜゚・*:.。.:*・゚・*:.。.:*・゜゚・*:.。.:*

私とスチュアートが今春に永住を決意して、そして彼が先にアデレードに戻った後、私が京都に行く決意をしたのは、もう一度自分に戻るためだったと思います。間違いありません。私の中の、全細胞が大声で叫んでいました。
「京都に帰れ、じゃなきゃ自分が腐る」
もう、いてもたってもいられないくらいの大きな声で。鍛えられたのでほんとうに我慢強い私です。だからこそ、無意識で慣れすぎた我慢に、細胞が爆発したのかもしれません。

普通に考えれば、東京に留まることでしょう。京都に行ったって、生活を頼るものは何もない。オーストラリア永住を前に、あと数カ月東京に住み続ければ、友達とも穏やかに別れられるし、大使館もあってビザ手配も楽だし、手間や労力や支出も抑えられる上に、仕事だって最後まで続けられる。だけど、私の中で、【便利さ】を取るのか、【魂の声】を取るのか、もう答えはわかっていました。

オーストラリアへ先に旅発ったスチュアートの背中を見ながら、もう本当に、ついに、
自分を受け入れてあげないとと自身に降伏しました。過去に期待した自分になり続けるのではなく、一度素の自分に戻ろう。今のままの私を続けたら、指の間からするすると幸せがすり落ちてしまうかもしれない。私は、自然(自ずと然るべきある状態)にありたい、私の言語(ことば)を取り戻したい、そしてすべて含めて「私」になりたいと感じました。


この記事を書いている今日、京都に戻って2ヶ月以上経ち、私の内に晴れやかで新しい「故郷」が誕生しました。離れていた13年という時間がまるでなかったかのように、在るがままの新生の自分がいます。それに、故郷って、こんなに大切だったんだという気づき。そして、やはり自分を知るのに大いなる手助けをしてくれた故郷。故郷に住んでいなくても、故郷は自分が準備できたときに有り難い形で戻ってきてくれる。やはり、幻想的でリアルな故郷。

本当の意味で「故郷=ふるさ=ホーム」を確かに感じる今、きっとこの先、この「新しい故郷」が私の大いなる糧になっていくように感じます。

*・゜゚・*:.。.:*・゚・*:.。.:*・゜゚・*:.。.:*

人生では、みんなそれぞれに違うテーマが与えられているけど、みんなそのテーマを紐解くためにずっと偉大なる船に乗って旅をしていくように感じます。長い間、細々とした希望や夢のようなものを追い続け、準備ができた時に何かのきっかけで意識が覚醒しはじめたら、不要なものを手放し、必要なものを新しく得て、そして新たな「自分」に着替えて人生を歩いていけるのかと感じます。

過ぎし日のことや人を悔まず、恨まず、今現実に目の前のことを有り難く受け止め、愛をもって向かおうと改めて決心する、2013年夏 京都です。


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【鹿ケ谷の住蓮山 安楽寺さんにて】


追記:
このブログを書く前に、祖先に感謝する祈りを捧げた直後、祖母の魂が旅立ったとの報せを受けました。私をこの世に運んできてくれた祖母、私の血そして遺伝子に存在する彼女の存在に感謝します。すばらしい魂の旅を続けられますように。

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オーストラリア・ビザ申請への道1【永住ビザ申請】 [国際結婚・永住]

去年オーストラリアから日本に3ヶ月の滞在ビザで入国したスチュアート。私たちは3ヶ月以内に入管へ書類を提出し、滞在期間を延長した上で日本で配偶者ビザを取得しました。その時の作業は、もはや今回の練習としか思えません。

今年2013年。とうとう私は、オーストラリアに永住することを決意しました。太平洋の西の方(ハワイ・アメリカ本土と中米・カリブ)を見つめながら、いつか西方へ出向くのだと信じてきた私は、実は最初に短期留学した国、オーストラリアに永住することになりました。人生ってわからない。そしてオモシロイ!

思えばこの数ヶ月、準備が出来ているかを自分の心に自ら深く問いながら、そして準備ができていることを徐々に感じはじめ、そして永住ビザ申請を始めました。何でもそう、心が決まったら、意思、意識、行動すべてがそこを見つめて猪突猛進です。ドスコイ


.:♪*:・'゚♭.:*・♪'゚。.*#:・'゚.:*♪:・'.:♪*:・'゚♭.:*・♪


さてさて、そもそも国際結婚したら何で書類が必要なの?って思う方もいるかもしれません。同国内の結婚である場合は、書類一枚または数枚程度で「晴れて結婚」ですが、国際結婚の場合、一枚ではちと難しい。法律上国境を超えるのため、準備する書類が増えるのですね。

法的に証明するとは言うものの、証明すべきは『愛』です。つまり、見えないものを証明します。申請者側の目的は、我々の愛が本物だという証拠を揃えることで、その『愛』が偽物だろうか疑ってかかって審査するのが、入国管理局です。

☆☆☆

今回は、私(妻=申請者)が日本にいて、呼びよせる人(夫=スポンサー)がオーストラリアにいる場合の手続きです。
参考)在日オーストラリア大使館(東京)
http://www.australia.or.jp/

※申請する国や、時期によって、申請先、申請料金、申請に掛る時間と書類(全部やん[がく~(落胆した顔)])が変わります。常に最新情報をオーストラリア大使館のビザ課で確認してください。

→って、大使館の情報を調べても英日ですら内容が違うため、大使館の方と何度もやりとりしました。かじりむしですよ。しかも最終的にまだ謎は解けていません。(すべてのカップルの状況がちがうため、そもそも「正しい情報」なんてあるのかしらと思う次第です[バッド(下向き矢印)]


☆☆☆


【用意するもの】

パスポート
運転免許所
戸籍謄本
謎をひもとく頭
強い意志


【まずすること】

すべての情報をアップデートする。書類、知識、夢、すべてです。
大使館が提供している、ビザに関する大量の文献を、日英ともに読破する。


【提出書類】(主に申請者側)

[かわいい]大使館指定の申請書類に、必要事項を記入
申請者(妻)が用意するフォームは47SP、スポンサー(夫)が用意するのは40SPと、それぞれに書類があります。計50ページほど。
仕上げる際に、いろんな情報が必要になって髪の毛が逆立ちそうになるのをこらえます。

[かわいい]戸籍謄本
加えて、法的な血縁関係者の情報が必要な場合は、過去の戸籍謄本も得てください。最近は難しい名前も多いので、ふりがなのない戸籍謄本では読めません。困ったり、焦った後、諦める勇気も大切です。

[かわいい]二人のラブラブ関係についての証拠提示
いつ最初に出会ったか、カードやプレゼントの証拠物品、メールやチャットの記録、いつ結婚を決意したのか等を、記録をたどって、写真つきで証明。結婚後も、どのように生計を立てていたか、二人に宛てられた政府からの手紙や(納税書など)、二人が実際に生活していた証拠を提示します。

[かわいい]全ての書類は然るべき翻訳者に英訳され、翻訳会社または翻訳者の印鑑、署名、日付が入っているコト。

[かわいい]歴史を飾るスナップ写真は、厳選して15枚から20枚くらいにするのがよいでしょう。

[かわいい]申請者とスポンサーそれぞれが書くのは、二人がどう出会って今に至るかのエッセー。署名と日付いり。楽しんでやるしかありません。しかも後で読むと、決意したラブレターのようでもあります。

[かわいい]過去10年にわたる渡航歴を洗い出します。私の場合、仕事も含めてこの10年に20回渡航していました。パスポートとにらめっこしてください。入国出国スタンプがすごく離れたところに押されていることがあり、もはやパズルです。

[かわいい]警察本部に出向きましょう。過去に1年以上住んだ国の、無犯罪証明書を取得します。転勤や留学をしていたら、日本だけでなくその国の無犯罪証明書も必要です。

[かわいい]これまでの収入証明、今後の見込み、そして地に足ついた人生の設計図を、二人で協力して完成させましょう。
「なぜ、二人は一緒になったのか?」
「二人で、どんな人生を歩もうとしているのか?」
「二人の夢をサポートする、収入や資産はどうつくるのか?」
    ↑  ↑  
   この辺はいつも和道でやっているので、得意分野です


[かわいい]二人の関係を証明してくれる友人たちからの、法的に効力のある証言を得ましょう。

[かわいい]パスポートサイズの顔写真
無駄な情報ですが、町中にある「パスポートサイズ」と書かれた写真機で写真を撮ると、3枚パスポートサイズが出て、2枚は小さいサイズです。大学がある付近にいくと、パスポートサイズがきちんと4枚出てくる写真機があります。

[かわいい]パスポートは、日本では一般的ではない認証コピーを受けましょう。どこで受けるのかよくわからなくて、行政書士から認証コピーを受けた場合、「認められない可能性があるかもしれません、あしからず。」と大使館の人に言われました。

[かわいい]あなたは健康ですか?日本に5つくらいしかない、オーストラリア政府認定の病院で、健康診断を受けてください。診断には、パスポートが必要です。交通費、診断費用は自分で負担してください。結果の有効期限は1年です。1年後にまだビザが下りていない場合、、健康診断を再度受けてください。

[かわいい]申請に掛る費用は毎年2度査定され、今後も引き続き増え続ける予報です。

[かわいい]「注)提出書類はあくまでも参考にしてください。添付の資料はいくらでもつけて結構です」。見えない『愛』を証明するんだから、いくらでも長くなります。

[かわいい]すべての文章は英語で作成してください。日本語の文書に関しては、すべてプロの翻訳者により英訳されたものを提出してください。申請者、申請者の家族の翻訳は受け付けません。

  ↓
  ↓

[かわいい]申請書類がビザ課に受理された後、担当官より連絡があります。その後の指示により、加えて必要な書類があれば追って送ります。


☆☆☆


準備に掛る費用としては、最初から正しい情報があれば無駄はありませんが、戸籍謄本、住民票、結婚証明書、パスポートの更新費、行政書士の認証コピー費用、郵便費用。私の場合、京都にプリンターを持ってきていないため、スキャン・プリンターは、姉のを借りたり、コンビニのものを利用したり、写真のプリントはプリントショップを使いました。今後、健康診断は3万円弱掛り、あとは指定の書類を得るのにいくらかかるかというところ。

【追記】 
結果的に、かかった経費は約26万円。
ビザ申請料がAU$2,680 と、通信費、コピー・スキャン費、写真、戸籍・住民票等取り寄せ、パスポートの本籍変更、等々、私の場合はJP¥10000 
専門家(行政書士等)に依頼していないので、かなりリーズナブルだと思います。


.:♪*:・'゚♭.:*・♪'゚。.*#:・'゚.:*♪:・'.:♪*:・'゚♭.:*・♪


今日、スチュアートが揃えた郵便物が日本に到着し、私もサインすべきところに署名しました。お互いが真剣に書いたステイトメント(二人の出会いから、結婚、そして、現在と、今後どう二人で生きていきたいか)は、本気のラブレターとも言え、読んだ時は感動ものでした。すべての結婚にこの過程をもてば、離婚率は若干減るんじゃないかしら?と思いながら、書類を完成させて・・・

本日、7月3日(水)、すべての書類を統合させて、韓国向けに発送しました。結果、今現在で
書類150枚と写真30枚
そんなに多くないかなという印象になってきた。


そうそう、郵便物の申告シールの【価値欄】に、Priceless, Preciousって書いた私。だって本気だもん[るんるん]


これを読んでいる、これから申請する方。だいじょうぶ、がんばって[ぴかぴか(新しい)]


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ご報告:2013年4月開催【和道1 Day ヒーリング・ワークショップ】報告 [東京ワークショップ 2013]

2013年4月、今年2度目となる日本でのワークショップが開催されました。ご案内はこちら(志野さんのブログ、案内ページへリンクします)の通り。
今回は港区青山のホテルフロラシオンで、1日のワークショップと、翌日は個人セッションが行われました。

ブログをご覧になっている方で、2013年1月新年の【和道ワークショップ】に出席された方もいらっしゃると思います。その際に和道ベーシック(3ヶ月)コースを受講始めた方々が、この度、コースを修了されるタイミングでもあり、この度のワークショップが開催されました。

今回は【ヒーリング・ワークショップ】。ヒーリングを主としたワークショップであったため、ポール氏とともに、東京在住の和道ヒーラーである北澤睦世さんも出席されました。彼女は、チベットサポート事務所の代表をされつつ、多分皆さんも実は一度は目にしたことのある文章を書いているライターさんで、「カント」等の超訳もされています。とても知的で聡明、かつハートはロックな尊敬すべき友人です。歌手のデイビット・ボウイさんとは交友関係もあり、歌詞和訳においては彼女を超える方はいないだろうと思います。また、チベットのダライ・ラマ法主とは、プライベートでお話されるほど。平和のある社会へ向け、いつも力強く活躍されています。

今回、私は終日の通訳を務めさせていただきました。和道のシニアインストラクターである奥さまの志野さんも来日されたため、ポール氏のパートナーとしてのコメントが必要な部分は志野さんに、と2人三脚の通訳となりました。

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講義形式があったり、中央にヒーリングベッドが置かれたり、呼吸法の指導が行われたりと、動きのある【1Day ヒーリングワークショップ】です。

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1月から受講を初めたベーシックコース(3ヶ月)の生徒さんは、この期に相次いでアドバンスコース(6ヶ月)に進まれました。なぜって、もちろんそれは実りがあるからですね。人生が好転していることを実感されています。

今回のワークショップでは、前例のない【女性性を活かしたヒーリング】が行われました。これは、世界中の女性とともに、男性に受けて頂きたいようなヒーリングです。(受けられる男性も、嬉しくなるようなヒーリングです)。まず女性が「女性性」を抱きしめ、そして男性も内なる「愛」の気持ちが自然と感じられていくような、そんな温かくて強い愛のヒーリングでした。人が持つ、愛し慈しみ育むという自然な感情を、大切にしてあげられるのも人、なくしてしまえるのも人。今まさに、女性が自然と女性らしく在ることのできる環境、そしてそのための環境づくりが、ますます大切になっているのを感じます。生命と関わる部分で、女性にできること、女性にしかできないことが、どれほど多いことか。そして、男性のできることは何か・・・。エゴを超えた感覚でいいます、次の時代に鍵を握っているのは、あなたです。

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和道は、何かを表面的に学んだり、ただ参加して何かよい情報を得るものではありません。表面的な学びや、一般的にある情報よりも、あなた自身の内側にあるものを尊重して愛することから始まる、『実践的な魂の学び』です。

『魂の学び』と言うと難しく聞こえるかもしれませんが、ようは自ら愛することを学ぶということです。幸せになりたいと思ってるのにも関わらず、なれていない理由を自分で理解するとか、昔は感じていた生きる情熱を取り戻すためや健康で幸せに生きるために、習慣や考え方を見直したりとか。『魂の学び』では、自分自身を人生教材として、自分のことを深く知り、誰でもない「あなた」にとっての「幸せと繁栄の人生」をわかり、そして歩んでいくものです。だから、みんな並んでよーいドンでスタートできるものではなく、準備のできた人からスタートしていく・・・。

前回のワークショップ同様、今回も、内なる傷が癒されていることを感じ、「もう私、今こそ本気で変わらなくちゃ!!」と、心の奥底から感じて強く決心した方が、、、やはり和道のベーシックコースをスタートされました。(決心した人がたどり着く道ですね)

私も含め、和道を経験した人にとって、意識を持たずに日々を生きることは、もはや不可能。自分の五感も、魂も、第三の目もしっかりと見開いた人生が始まります。間違いありません。

宇宙にも地下にもイッちゃうことなくね


9月開催のニューメキシコ州でのリトリートもお楽しみに・・・[ぴかぴか(新しい)]

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4.選ばれし勇者のリトリート [ニューメキシコ州リトリート 2012]

選ばれし勇者とは、自分の人生の意味を知って、内にある情熱をしっかりと感じ、または取り戻し、愛と幸せを感じて生きることを決意した者です。もう、自分の人生の犠牲者にならない。もう、誰も責めない。本気で自分の人生を生きると決意した者たち。誰だって参加できるのです、決意さえすれば。

*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*

オソ・ビスタに宿泊するだけで、癒されていることを実感する毎日。精霊の棲む家だろうことは、滞在する誰もが感じてるはず。参加者はここを拠点に、毎日さまざまなアクティビティに参加します。

和道のアクティビティは「楽しい」という言葉では全く物足りないものばかり。生きることについての本質を知りたいという目的を持った人が集うリトリートなので、時空を超越したスピードで様々な癒しや気付きがおこっていきます。意識の変化も、まるで複数の人生をまたいで起こる感覚・・・。

まずはオープニングセレモニー。ミュージシャンでもあるポール氏がドラムを使って祈祷を捧げます。
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オソ・ビスタからの全景です。
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写真の左下、ブラウンの建物がナバホ族の伝統で作られたホーガン。オソ・ビスタの所有者、アーティストであり、美術の教師、間違いなく多くの学生たちのメンターであるマーガレットが、伝統に則って2000年に建てたものです。

ホーガンの前で、和道気功を実践します
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とてもシンプルで、大地の力と、天の力を、己の心に通して、エネルギーを高める気功です。ポール氏が長年の経験をもとに、短時間で誰でもやりやすく開発したもので、気・エネルギー・チャクラを整えることにより、人生そのものが豊かに幸せになっていきます。(←ホンキで豊かになるのか?と思ったら、和道コースを取得中の方に実際に聞いてみて♪)

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私もここ数年は毎日この気功を行っています。ポール氏自身、F1スピードで多忙な生活をおくっているため、この気功は短時間で効率よく気が整うようデザインされています。
シンプルですぐにできる和道の呼吸法やヨガなど、いろいろ出てくるのですが、、、ここでは割愛します!


かつてアナサジが住んでいた裏山を散策に出かけます。単なるウォーキングではなく、訪問者として聖なる大地に感謝するための祈りをささげる行為でもあります。
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もちろん、和道で学ぶ浄化の瞑想(クリーニング・メディテーション)、そしてハートの瞑想(ハート・メディテーション)も行います。
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ここに参加する方は、少なくとも和道ベーシックコースを受けることが条件となっています。このリトリートで得られる恩恵を最大限にるために、敢えてそのように構成されています。


喉が渇くとチャイタイム。インド出身のポール氏自身が、本物のチャイをふるまいます。
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私が初めて師匠のチャイをオハイオの自宅で頂いた時、「直感」とは何か、そして直感を磨く方法も伝授していただきました。とても豊かで濃い時間が流れます。


2010年にワークショップで、ネイティブアメリカンのメディスンホイールの講義をしてくれた、レイトン・クーガー氏が所有する、野生オオカミのサンクチュアリにも訪れました。半狼半人の不思議な魅力のレイトンです。
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私は彼のスピーチを 『レイトン劇場』 と呼んでいます。動物とコミュニケーションができる情熱的な彼の話が尽きることはありません。彼の話に、宇宙の叡智を感じることでしょう。

その後、野生オオカミと触れ合います。野生のオオカミは、人間に言葉でコミュニケーションするのではない。目を通して私たちに叡智を教えてくれる...2010年の参加時には、レイトンがそう教えてくれました。現在は州の法律が変わり、2012年のリトリートではもうケージの中に入れませんでした。その代わり、野生オオカミを代表して、全米に狼保護の活動に出掛けるフラーリー君が出てきてくれました。
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なんと愛おしい・・・


時には訪問者も訪れます。
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一番右側の女性は、イタリア人で作家のフランチェスカ。彼女は馬使いで、若い頃にホピ族と、ホピの馬たちと共に全米を馬で旅しました。それから数十年。彼女はネイティブアメリカンの女性としての名を受け、現在はナバホの土地で人生の大半を過ごしています。左側の男性は、パートナーのウンベルト。彼は詩人です。二人はこの土地を拠点に、世界を旅する素敵なカップル。


一日かけてエルモロ国立公園をハイキング。
このそびえたつ巨大な岩を、4時間ほどかけて登っていきます。
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各所に、それぞれの岩とそしてここに住む動物や植物についての案内があります。遠い昔、といっても今と風景は変わらないのでしょうが、このモニュメントを目指して旅をした人たちが、たくさんの傷やメモをこの巨大岩に残して行きました。
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ある旅人、Stewart の名前も刻まれていました。本人の頭の少し上くらいに文字があります・・・
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一匹の美しい色のリザードが、私とスチュアートをじっと見て佇んでいます。
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ポール氏が、私たちのトーテムアニマル(守護動物)がリザードであり、自然界からリザードが運んでくるメッセージを教えてくれました。「存在するすべてのことはコミュニケーションしている(=すべての物ごとはつながっている)」というネイティブアメリカンの言い伝えを、いつも大切なメッセージとともに伝えてくれます。リザードは、私たちの結婚式にも参列してくれました。


アクティブ陣は、遊びながらどんどん山頂へ。
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カエルの石とキスをしたり、女性陣はゆっくりと登ります。
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途中には、アナサジがかつて住んでいた住居跡でお祈りをしました。私と志野さんは、この地に滞在した初めての夜明けにアナサジのドラムの音を聴いていたので、あの音はここから聴こえてきたのだと改めて感じました。
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頂上に着いた時は、360度拡がるパノラマ風景に大感動です。それぞれが、それぞれの想いで自分を解放します!


巨大な石を背中で感じる私
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瞑想するリサ
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達成感でいっぱいの志野さん※
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※リトリートの主宰者ポール氏の奥さま。2012年ニューメキシコでのリトリートを、No.1~No.5までのブログにか書かれています。こちらもどうぞ!


宇宙に向かってヨガをするマヌー
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天を仰ぐサナさん
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最後は、参加者全員で記念写真!
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2012年のリトリートに集ったメンバーは、みんなそれぞれの人生の勇者です!


ハイキングの後は、「オーガニック」「自然食」という言葉さえ軽く感じられてしまうような、愛と祈りとエネルギーに満ちたソウルフードが待っています。自然界によって育てられ、自然から得られた食材、そして4本足の動物さんたちのエネルギーもいただきます。
食を考える。これも大切なテーマです。自然の恩恵が、感謝と愛をもって人に食される時、私たちの体内でエネルギーとなるのだと思います。

自然界からの命を、祈りとともに頂戴し、愛で調理し、そして祈りを捧げて頂く。動物の生命に、母なる自然に、ナバホの言葉で祈祷を捧げるナバホの勇者、アイラです。
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男前すぎて毎回、会うたびに腰がくだけそうです。それもそのはず、彼はドイツで、プロのフットボール選手として活躍し、ナバホの大スターとなったのです。侍のように物静かで、物音立てずに行動し、無駄なことは口にしません。私たちが瞑想をしている真横で、物音立てずに15名の夕飯を準備した彼に、男女問わず誰もが羨望のまなざしを向けました。現在、彼はこのナバホの土地に戻り、レストランを経営して、ナバホの救世主として活躍しています。彼の作る、ネイティブアメリカンの伝統のアクセサリ(シルバーやターコイズ、赤サンゴを使ったアクセサリ)はほんとうに見事です。セレモニー用の素晴らしく大きな装飾品をつけさせてもらいましたが、その放つエネルギーといったら!!石そのものが、持つ人を選ぶ。本物です。


ある時は、フランチェスカが住む広大な土地にある、果てしない地の名もない岩の上で、自分と繋がる瞑想(Guided Meditation)を行いました。
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旅先は自分の内。答えはすべて、すでに内にある。それを知りに、ここまできたように感じます。


またある夜には、オソ・ビスタの中庭で、神聖な火を焚いて話していると、ナバホの男性がレイトンとともに現れ、この地に昔から言い伝えられている神話、しかし今も実際に起こっている摩訶不思議なお話をたくさんしてくれました。地元のお祭り、そしてロデオにも出掛けます。

そして深夜2時。リトリート中にお誕生日を迎えた雄太さんの、サプライズなバースデーパーティがスタート!!
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誕生日を祝われて楽しくない人なんていません。ポール氏と志野さんが、事前に用意しておいた巨大なバースデーケーキを囲んで、全員でお祝いです!


リトリートは、企画した予定を実行することが目的ではなく、心の声を聴いてそれぞれが愛を実践していきます。毎時、毎秒が大切で、私たちの存在そのものが大切なんだと、感じずにはおれません。ここだけでなく、自分が生きる場所で、毎時、毎秒がもう二度とやってこない大切な瞬間。

参加者それぞれのタイミングで浄化がはじまり、その過程で大きな癒しと理解を得ます。自分の中で長年わだかまっていた些細なことや、無視し続けてきたことが、実は人生の足止めをさせていた大きな枷だったことに気づいたり。真の自分の存在に気づき、そして浄化の涙が流れ、台風のように身心体を駆け抜けていくエネルギーが去った時、なにかついていたものがさっぱりと落ちています。その後、目の色、強さ、顔つき、オーラ、すべてが違います。これこそが真のリトリート。

リトリートが始まった時、私たちは一体何が起こるかわかりません。しかし、始まった時には、あるがままに、なるべき状態でこのリトリートが成功に終わることが、自然と私たちにはわかっています。



さて、次のブログが最後のブログ。このリトリート最大のサプライズイベントです!
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3.メディアに出ない、本気のパワースポット [ニューメキシコ州リトリート 2012]

いきなり【3.…】ってなんなんだ!って思ってる方、原因は以下をご参照ください←読んでねってこと♡



このブログを読んでいる方はもうご存知かと思いますが、私は、2010年2012年、和道(わどう)主催のニューメキシコ州のネイティブアメリカン居留区で開催された、「Access your full circle of Power(あなた自身の最大限のパワーにアクセスする旅)」というリトリートに参加しました。

選ばれし方だけが参加し、その人が経験すべきことを経験するようになっています。ですから、旅程があったとしても、参加した人たち全員が同じ「旅程」を過ごしません。そんなリトリートです。

本気のパワースポットには、お土産物やさんもなければ、写真だけで残る思い出を残しません。このリトリートは、事前に「自分に向きあう」といった人生の本質に迫ることが課題に出ており(これこそが和道のコースそのものです)、これをせずしてこの土地へは入れませんし、例え面白半分でこの土地に入ったとしても、自分自身を困惑させるだけ。全細胞が混乱してしまうだけです。
それは、地下深くにクリスタルが眠っている地質や、他の地理的な特質もあるかもしれませんが、それだけではなく、ネイティブアメリカンの部族たちが命をかけて守ってきた魂の聖地であり、母なる大地のエネルギーが剥き出しであるからこそだと思います。その剥き出しのエネルギーは、木々やその根も歪ませてしまうほどのパワー。

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この大地と、大自然と、宇宙とつながりながら、大地に地に足付けて生きる方法を、気功、瞑想、NLP、ビジネスコンサル含めて身体と心と魂すべてで学ぶわけですから、それは本当に濃いリトリートです。
写真に写っているのは、昨年のリトリートに東京から参加されたヨーガセラピストのサナさん。彼女の持つ身体のしなやかさのような、心のしなやかさが必要なリトリートです。変革する準備のある人だけが来るようになっていて、また参加した人は、参加前と同じ人生を歩けません。豊かで幸せな人生を歩く決意をした人だけがいく土地、気、エネルギーに満たされたところですね。


実は先日、次回のワークショップ参加を検討されている方から、どのようなものだったか?と尋ねられました。参加することになりましたら、主催者ポールさんと志野さんから詳細な連絡がきますから、今は何の心配も不要です。すべてスムーズにいくようになっています[ぴかぴか(新しい)]

で、その方の言葉に思い立って、昨年2012年リトリートの【2.太古の民族「アナサジ」】の続きを書くことにしました。全5本書くつもりが、今まだ2本・・・。今日はその続きなので【3.・・・】作目(今さら)です。


さて、2012年に滞在した場所は、オソ・ビスタでした。ニューメキシコ州の歴史、ナバホ族や、ズニ族、その前に住んでいたアナサジについても、シリーズ2に書いた通りです。

参加時の天候は、温かい→暑いくらいでした。毎年、天候は変わりますが、概ね湿気が少なくドライですので、例え土ぼこりが舞ったとしても、さらっと払えば落ちるような感じです。
年間の9ヶ月が冬であるこの土地(高地)は、この3ヶ月ほどの春から夏の時期を祝福し、謳歌しているように感じます。色とりどり草花が、カーペットを敷いたように咲いていました。

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可憐な花たち。
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ニューメキシコ州らしいサボテンも。
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私と志野さんが、初日の「アナサジからの洗礼」を受けた後、リトリートに参加する全員が揃う前に、私たちはサンタフェを観光しました。「憧れのサンタフェ!」と思っている方も多いと思いますが、私にとっては世代的に「宮沢リエさんのサンタフェ」であったため、ボーナス的な観光となりました。実は、私とスチュアートは、この、「二人の持続的な幸せと繁栄の為に参加するリトリート」を、新婚旅行と位置付けていました[黒ハート]

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翌日は、リトリートのオープニングセレモニーが開かれる前に、Ramah(レイマ)という町で腹ごしらえ。食べないことには始まりません!

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行く場所、集う仲間、食べる行為。発する言葉、思考する内容、何気なくでるジェスチャー。。。仕事、趣味、家族、パートナー、恋愛、すべての人間関係。。。これらは全てつながっています。どこで?あなたの内面で。これらは、すべてあなたの根底にある、何かしらの原因から発せられます。別に悪いことではありません、単に因果応報の法則でそうなっています。それをただ「意識する」だけで、世界の見方が変わります。そう、それを毎日の連続で体感していくのも、このリトリートの素晴らしい恩恵です。

私の場合は、スチュアートに対して何気なく使っている「言葉遣い」によって、私が彼をコントロールしていることに気づかされました。ポール氏から、即座に指摘。私は、このリトリートで彼に対しての言葉づかいを完全に変えました。小さな諍いの原因である「私の言葉遣い」が解消されたことで、私も話しやすくなりました。単に、因がなくなったから、応がなくなったのですね。カルマの法則についても、もちろん学びます。

リトリートでは、楽しむことも、真剣に向き合うことも、仲間たちと一緒に行います。行わされるのではありません、自然とそうしたい仲間が集まるのです。お互いに心を開いて、さまざまなことについて本気の言葉を交わします。自分を隠す必要がなく、自分を恐れなく出していきます。これが、お互いの魂の理解をどんどん高めあっていくことにつながります。一緒に参加した仲間は、一生のおつきあいに発展する大切な仲間。趣味だけではなく、仕事も、ライフワークも、お互いを全体で高めあっていく仲間です。

次のブログで書くような様々なイベントを通して、自身の内側でつながったもの、そして、隣にいるあなたの内側でつながったものが、最後に目に見えないけれど確実にがっちりとつながっていく。ここで生まれる参加者の輪は、「私」、「あなた」、それらすべてを、慈しみ、愛し、包み込み、許す 「心」 でつながっています。それぞれが、己の人生にしっかりと反映できることであり、ここで変化したら二度と過去の同じ場所には戻れない、そんなすばらしいリトリートであることは間違いありません。

それぞれの「私」の人生に内在する、大きな課題。全員、違う課題を持っています。それに向き合うのがリトリートです。私 が『魔法使い または 錬金術師』 と呼ぶポール氏が開催するリトリートでは、その準備ができている人全員に、それぞれの欲しい答えが手に入るように進行されていきます。


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私が、和道で得たことは、
『世界の平和は、私たちそれぞれが自分自身を愛すことから始まる。』
この、シンプルだけど大切な行為です。

子どものころから世界に平和の実現を夢見て、開発途上国の支援につながる仕事を経て、夢の国際機関で仕事をしたものの、私は「幸せ」の本質を探し当てることはありませんでした。それどころか、そこには落胆さへありました。なぜなら、私は自分の心の平安を得ずして、他の平安を求めていたからです。自分の人生に向き合う勇気や強さがなく、それに向き合う準備がなかったからでしょう。

これらの仕事や経験を通して、私は和道に出会い、ポール氏という力強い癒し手に癒され、心に根差した悲しみと苦しみを真の意味で昇華させました。すべては間違いなくつながっています。そして、私はここでようやく「幸せの本質」を見つけたと思っています。

心が痛むような喧嘩を家庭からなくしたいなら、終わらない近所の争いをなくしたいなら、宗教や民族間の紛争をなくしたいならば、戦争のない平和な世界を実現したいのであれば、まずは自分から始めることです。自分の理解なくして、人への理解も、共感する想いも、国際理解もありません。自分を知らずして、心に平安が在らずして、心にも世界にも、どこにも平安は訪れません。それが、私のリトリートから得たすばらしい答えです。



続きはこちら、
【4. 選ばれし勇者のリトリート】


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オーストラリア(アデレード)滞在記【後編】 結婚祝賀パーティとコレクティブ・コミュニティ(造語) [オーストラリア☆エコ・ビレッジ通信]

【オーストラリア滞在記【前編】 アデレードの持続可能な暮らし】はこちら・・・


今回のオーストラリアは、私たち2人の将来を左右するとても大切な滞在でした。そしてまた、スチュアートの家族と親族、友達に結婚を報告するのも大きな仕事でした。


オーストラリアに着くと、ママは 「ついに来たのね!」 と連発。

「ついに」、というのは、結婚報告が8ヶ月も遅れたことに対してのお小言もあると思いますが、日本ヲタクの長男が、とうとう日本女性と結婚したこと、アジア人がついにKERR家に嫁に来た!、という「ついに」なのだと思います。はい、きました。

オーストラリア到着後から結婚パーティの前まで、ママはずっとソワソワしていました。最初は、ドレスはどうする?仏前にするの?と。まずもってこのあたりにお寺はないし、実はクリスチャンのママはテーマまで決めて訊いてきました。私は、「結婚式はやりましたから、カジュアルなパーティにしてほしいです」とお願いしました。お祝いしたい想いが心から伝われば、宗教は全く関係ありません。ですが8ヶ月も経って、ここでドレスを着るなんて想像できないので、お断りをしました。だけど、私が家族に入ることを喜んでくれるのが、とっても嬉しかった[るんるん]

ママは手先が器用で、ケーキのアイシングで賞をとるほどの腕前。ママとパパが、40年以上に結婚式で作った、ケーキのデコレーションを使って、新しいケーキを作ってくれることになりました。私たちの為に、倉庫をひっくり返して探していたようです。Thank you!!

このケーキは、主にヨーロピアンやアングロサクソン系の国で、クリスマスなどにも作りますが、お酒とフルーツと砂糖を大量に使ったケーキで、何年置いておいても腐りません。それを使いつつ、今回は新しく再構成。 こうして、ママとパパの結婚式の思い出の品が、長男の結婚式で再登場しました↓↓

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西洋の引き継がれていく文化ね。素敵[ぴかぴか(新しい)]

男性陣だけの乾杯のセレモニーは、日本のお酒を用意して行われました。日本のお酒は、京都伏見の清酒!私の実家は京都だよというと、みんなこの偶然に喜んでいました。東京で結婚した後も、伏見の友達が清酒を贈ってくれて、それで乾杯していたんですもん[バー] ←日本酒好きのスチュアートがあっという間に頂きました

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パーティの最後は、スチュアートの家族と友達と、90歳になるナナ(おばあちゃん)が残ってくれて、みんなでウェディングロードを作ってくれました。
ほんとに幸せな時間をありがとう!

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ところで、このパーティを挟んで、最後まで持続可能な暮らしツアーは続きます。最終日に、スチュアートも、パパとママも前々から気になっていた、新しいタイプのコミュニティを訪れました。そこは、意識の高い人が集まったコレクティブハウスの発展版、、、あるかわからないけど、私が命名するところの『コレクティブ・コミュニティ』。自然を愛し、持続可能な生き方を実践したい人が、ある一定の資金を出し合って、広大なエリアの中で暮らすというもの。一昔前は、ヒッピーたちがこれに似たような場所にいたかもしれず、もう一昔前、食べるために生きなければならなかった時代にも、同じ目的を持つ人同志が集まっていたような場所。いわゆる、酋長とかメディスンマンという自然と人間界をつなげる重要な人物的存在が、同じ志を持つ人をつなぎあわせる・・・そんなコミュニティ。

現代は、愛ある人たちと暮らし、仕事に成功し、自然と人間とがバランス良く調和する暮らしを実践したい人が集まる場所だと思います。このコミュニティに住む人は、同じくここに住んでいる人物に必要なものを提供する(調理する、修理する、必要な資金を支払う、治癒する、等)。ただフリーダムを叫ぶ暮らしではなく、ここに存在しない誰かにお金だけ提供するのでもなく、どの人もそれぞれに責任と自覚を持って住むコミュニティ。たくさんの大人が子どもの存在を見守り、豊かさや愛を学べて、人間の基盤が安全に作られるようなところ。

実は、東京で旦那さんがお仕事に出掛けると、私はせっせとこの設計図を描いていました。何枚も、何枚も。自然に沿った、豊かな暮らしを実践するための設計図。方角方位、自然のエレメント、ポータルもすべて取り入れた、古代の暮らしの現代版コミュニティ。そしたら、オーストラリアにあった!

さてさて、このブログを書いている今、オーストラリア滞在を終えて、既に4ヶ月経っています。そして現在、私たちはその方向へ行くべく動いています。

宇宙の創造主がいるとしたら、私たちの「駒」を、こっちからあっちに移動しようとしている感じ。そうとは言っても私たちは霊的存在なのではなく、人であり、社会的存在でもあります。見えない「駒」が動こうとしたので、私たちは社会的、法的な準備を整えて、「駒」の移動に備えている、という具合かな? [グッド(上向き矢印)]


【おまけ】
有袋類のウォンバットちゃん。
お腹の赤ちゃんをまもるため、ママは自然と女性からしか餌をもらいません。

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オーストラリア(アデレード)滞在記【前編】アデレードの持続可能な暮らし [オーストラリア☆エコ・ビレッジ通信]

2013年2月、スチュアートの故郷であるアデレードに行ってきました。今回の目的は、彼の里帰り。


渡豪前、私たちがこれからどこで家庭を築くのか、東京にこれからもずっと長く住むのか、という結婚した二人にとっての「人生の目的」を見直す時間がありました。自分たちの暮らしをきちんと見つめることで、何かが変わり始め、当初オーストラリアに行く予定はなかったものの、急きょ予定を立ててオーストラリアに飛びました。

もちろん、これは私たちの遺伝子に描かれている青写真の一部であろうと思います。そして、今日現在(2013年6月)また私たちの歴史が変わってきています[かわいい]

では最初に、スチュアートが育った故郷 アデレード について、ちょっと。

世界地図を目の前に置いてみると、アデレードは、オーストラリア大陸の南側中央の、ちょっとへこんだところの東側にあります。京都市と同じくらいの人口(約100万人強)で、リニアシティと言って、南北にのびる街です。西側は海、東側は山。海と山に挟まれた、冬は過ごしやすく、夏は激しく暑いです。私は人に説明するとき、京都と同じ夏の暑さと人口規模、地理は神戸市のような感じ、と言います。なんとなく、わかってもらえるかな?

シドニーは、イギリスが囚人を送ったところから教科書の歴史が始まりますが、アデレードに最初に来たのはドイツ人。このドイツ人が、ブドウの木をたくさん持ち込んだことで、現在も世界でも有数のワイナリーががたくさんあります。「アデレード」という名前も、実はドイツ語で「貴婦人」という意味。美しいでしょ[揺れるハート]

そして、フェスティバルが非常に多い街なんですよ。もともとBBQ大好きな国民ですが、アデレードはそれに輪をかけてフェスティバルが年間を通じてた~くさんあります!アート、芸術、スポーツ、統合医療、スピリチュアルなどなど。もちろんファーマーズマーケットも、常にあらゆるところで開催されています。

この辺りの情報は、スチュアートや彼の家族、友達が教えてくれました。自分のホームの歴史に誇りを持っている・・・少し京都人に似ていると感じました。

そして私が強く感じたのは、ここアデレードは、「持続可能な暮らし」を実践できる場所だということ。アデレード中心街はそんなに大きなエリアではありませんが、中心街には「世界初のソーラー電池バス」が走っています。街のド真ん中には、エネルギースタンド(電池充電場所)も。

驚きのジェスチャーとともにどうぞ

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それもそのはず、市役所は天井のソーラーパネルで発電しているのです。市が率先して行っているから、家の屋根もソーラーパネルばかり。太陽の光が強い特性を利用して、市街地ではソーラーパネルがポピュラーです。

一方、海沿いの半島に行くと、風力発電も使われます。75本の電気風車が、その半島にある町の数千世帯の電気を支えているとのこと。
(風力発電の写真は後ほどアップします♪)

また、夏は乾燥し、45度の猛暑日が続くオーストラリアにとって、水は大きな問題です。各家庭は、このようなウォータータンクを1台は置いて、雨が降った時に大量に貯水します。
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この雨水は、そのまま庭に捲かれたり、濾過して生活用水として使われます。

家庭の生活排水は、この地下タンクで酵素分解され、土に戻っていきます。スチュアートの家にも、お友達の家にも普通にありました。匂いも、もちろんしません!
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同じものが、世田谷区の等々力渓谷の日本庭園にもあるんですよ!見つけれる人いるかな??

また、キッチンから出たいわゆる「資源」(野菜の皮や材料の端っこ)は醗酵され、ハーブや野菜を作る土壌に還元されていきます。
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春と秋にはお花が咲き誇ります。夏の終わりは、最もグリーンなシーズン。
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美しい一輪のバラも、母なる大地の、命のつながりから生まれてくる。
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自然界からの恩恵である、熱(電気)、水はフリーであるはず、と考えている人が多い。京都と東京で暮らした私には最初はなかった感覚。そして、私が訪れた2月(オーストラリアの夏の終わり)は、冬に雨が多かったこともあり、電気代も水道代もかからないということでした。

スチュアートにとって、小さい時から今に至るまで、普通に実践している自然に沿った、持続可能でオーガニックな暮らし。東京では、近くの有機農園をお手伝いしたり、家で細々とハーブを作っていたけれど、やっぱり本当にしたいことが出来ていなかったんだなと、自分の心の声を実聴しました。



オーストラリア(アデレード)滞在記【後編】
『結婚祝賀パーティとコレクティブ・コミュニティ』に続く...

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