俗世で修行は可能ですか。『和道プログラム』 [和道 Wha-Dho 哲学]
過去の記憶ってのは、現在の自分が思うままに変えられる。
どれを覚えて、どれを忘れて、どこにどう脚色を加えるか・・・
以前にも書いたけれど、私が父とした会話で覚えているのはこれくらい。
ある日、イズミヤへ行く車の中で、
助手席に座っていた小学生の私は、運転中の父に聴いた。
「私も修行に出たい。」
父は言った、
「修行に出なくても、毎日生きることが修行だよ。」
前にも書いたけれど、父と私の関係は、この一言に集約されていたように感じる。
俗世にいても修行ができるのか。
仏教の中で育っていた私は、修行と言えば父や祖父が行く修行しか知らなかった。
俗世にいたら、煩悩にとらわれて仏の道に進めないのではないかと・・・
いえいえ、違うのですよ。(←自分に言ってる)
日々自分と真摯に向き合う人が多くいるように、週末に座禅を組む人がいるように、
仏教修行だけがお釈迦様の目指した道を見出す方法ではない。
お釈迦様が目指した道、その他の偉大な偉人や聖人が目指したその先にあるもの・・・
それは、己の魂にも在る。
答えは、自分に一番近いところに在る。
ならば、修行はここでできる。
カルマ・ヨーガでも、人生のそれぞれの「期」にすべきことを全うし、
俗世を捨てずに日々精進し、調和の道を歩むことの偉大さを説いている。
いま、わたし、ここ、なんだ。
私の前半人生での問い、「いつ修行に行くのか」。
それは、人が気づかないうちに、そっと、
仕事を変えずに、引っ越しもせずに、敢えて言うならショートヘアにして、
今いる場所で静かに祈る方法で始まった。
それが、『和道プログラム』。
以下は、志野さんのmixiトップページからの転載です。
・・・
頭で考える日常において、これまで聞かずに封じ込めていた
『心の奥底の声』を徹底的に聞いて頂くことによって、
ご自身の内面をクリアにし新たな人生を構築して行きます。
計4つのステップにおいて、まずはこれまでに溜まった
不要なエネルギーを手放すための瞑想法である
「クリーニングメディテーション」から始めて頂きます。
【 ↑ 私が行ったものです。
ブログを書きまくっていた理由はこれ。
パワフルな変革の内容を、きちんと把握して内面をクリアにしたかったから。
メディテーションについては、志野さんのマイスピ!記事にも紹介されています。
(以下はハートクリーニングメディテーション)
http://www.myspiritual.jp/2009/09/post-508.html】
とかくスピリチュアリティと現実の社会を切り離して考えられがちですが、
スピリチュアルは決して現実から逃避するためのものではなく、
この混沌とした現実世界において力強く地に足をつけ、
幸せに生きて行くために存在します。
【 ↑ 以前にもブログに書いたけれど、
日本語の「スピリチュアリティ」という単語は、一人歩きしているように思う・・・
すべての人の心に在る「魂」にまっすぐに向き合うことだ、と私は思うのだけど。
私の場合、スピリチュアルは、仏教の側面から急激に理解が深まった。
また、日々瞑想をすることで、つながっていることだけには意味がなく、
今生での己の使命を知り、
それを力強く実行してこそ
真の意味での幸せを感じられる
と、さらに強く感じるようになった。】
『 和道 』は、人々が「 Mind・Body・Spirit -- 心・身体・魂 」を
バランス良く統合して生きるスキルを身につけ、
自分自身の普遍的な内なる力を発見することによる
心の平和や喜び、そして現実社会においての繁栄や成功への道を導きます。
(『 和道 』は、既存の宗教やその他の団体とは一切関わりはありません。)
【 ↑
私も、日本人精神よろしく「痛みの伴う頑張り」を地で生き、踏ん張り踏ん張り生きてきた。
存在しない幻想を抱いて、自分の魂なんて見向きもしなかった。
食後に眠いと感じたことはなく、歯ぎしりでセラミックを砕いたり、
週末は死んだように寝て、時々、自分が急に壊れるのではないかと怖れた。
魂が、「気づいて!」って叫んでたんだろうな。
調和やバランスはどこだ、救いはどこだと眺めてみても、
手近にパワフルな答えはなかった。
だって、その時スピリチュアルという世界は、力強く生きることではなくて、
どこかとつながっていることなのだと勘違いしていたから・・・。
現代に癒しの必要な人が多くいる。
その人たちは、救いを求める場所を知っているのかな。
さて、私は、全身にしみついている仏教から、スピリチュアリティを深めているけど、
スピリチュアルと宗教は全く別のものでしょう。
確かに無知は幻想を抱かせる・・・
私はスピリチュアルを、エンタメ系の占いかと思ってたから・・・gee】
私はお釈迦さまが好き。
マザー・テレサや、MLキング牧師も尊敬して好き。
仏の道を歩んだ曾祖父や祖父も、尊敬して好きだ。
僧侶友だちもいっぱいいるし、みんなそれぞれの道でその先をみている。
彼らは何にこだわったか、信仰にこだわったのです。
ただ、ビジネスでも宗教でも、お誘いが強引だと、おかしくなっちゃうんだよね。
魂に、外部からの強引なお誘い、または多額の出費は必要ありません
どれを覚えて、どれを忘れて、どこにどう脚色を加えるか・・・
以前にも書いたけれど、私が父とした会話で覚えているのはこれくらい。
ある日、イズミヤへ行く車の中で、
助手席に座っていた小学生の私は、運転中の父に聴いた。
「私も修行に出たい。」
父は言った、
「修行に出なくても、毎日生きることが修行だよ。」
前にも書いたけれど、父と私の関係は、この一言に集約されていたように感じる。
俗世にいても修行ができるのか。
仏教の中で育っていた私は、修行と言えば父や祖父が行く修行しか知らなかった。
俗世にいたら、煩悩にとらわれて仏の道に進めないのではないかと・・・
いえいえ、違うのですよ。(←自分に言ってる)
日々自分と真摯に向き合う人が多くいるように、週末に座禅を組む人がいるように、
仏教修行だけがお釈迦様の目指した道を見出す方法ではない。
お釈迦様が目指した道、その他の偉大な偉人や聖人が目指したその先にあるもの・・・
それは、己の魂にも在る。
答えは、自分に一番近いところに在る。
ならば、修行はここでできる。
カルマ・ヨーガでも、人生のそれぞれの「期」にすべきことを全うし、
俗世を捨てずに日々精進し、調和の道を歩むことの偉大さを説いている。
いま、わたし、ここ、なんだ。
私の前半人生での問い、「いつ修行に行くのか」。
それは、人が気づかないうちに、そっと、
仕事を変えずに、引っ越しもせずに、敢えて言うならショートヘアにして、
今いる場所で静かに祈る方法で始まった。
それが、『和道プログラム』。
以下は、志野さんのmixiトップページからの転載です。
・・・
頭で考える日常において、これまで聞かずに封じ込めていた
『心の奥底の声』を徹底的に聞いて頂くことによって、
ご自身の内面をクリアにし新たな人生を構築して行きます。
計4つのステップにおいて、まずはこれまでに溜まった
不要なエネルギーを手放すための瞑想法である
「クリーニングメディテーション」から始めて頂きます。
【 ↑ 私が行ったものです。
ブログを書きまくっていた理由はこれ。
パワフルな変革の内容を、きちんと把握して内面をクリアにしたかったから。
メディテーションについては、志野さんのマイスピ!記事にも紹介されています。
(以下はハートクリーニングメディテーション)
http://www.myspiritual.jp/2009/09/post-508.html】
とかくスピリチュアリティと現実の社会を切り離して考えられがちですが、
スピリチュアルは決して現実から逃避するためのものではなく、
この混沌とした現実世界において力強く地に足をつけ、
幸せに生きて行くために存在します。
【 ↑ 以前にもブログに書いたけれど、
日本語の「スピリチュアリティ」という単語は、一人歩きしているように思う・・・
すべての人の心に在る「魂」にまっすぐに向き合うことだ、と私は思うのだけど。
私の場合、スピリチュアルは、仏教の側面から急激に理解が深まった。
また、日々瞑想をすることで、つながっていることだけには意味がなく、
今生での己の使命を知り、
それを力強く実行してこそ
真の意味での幸せを感じられる
と、さらに強く感じるようになった。】
『 和道 』は、人々が「 Mind・Body・Spirit -- 心・身体・魂 」を
バランス良く統合して生きるスキルを身につけ、
自分自身の普遍的な内なる力を発見することによる
心の平和や喜び、そして現実社会においての繁栄や成功への道を導きます。
(『 和道 』は、既存の宗教やその他の団体とは一切関わりはありません。)
【 ↑
私も、日本人精神よろしく「痛みの伴う頑張り」を地で生き、踏ん張り踏ん張り生きてきた。
存在しない幻想を抱いて、自分の魂なんて見向きもしなかった。
食後に眠いと感じたことはなく、歯ぎしりでセラミックを砕いたり、
週末は死んだように寝て、時々、自分が急に壊れるのではないかと怖れた。
魂が、「気づいて!」って叫んでたんだろうな。
調和やバランスはどこだ、救いはどこだと眺めてみても、
手近にパワフルな答えはなかった。
だって、その時スピリチュアルという世界は、力強く生きることではなくて、
どこかとつながっていることなのだと勘違いしていたから・・・。
現代に癒しの必要な人が多くいる。
その人たちは、救いを求める場所を知っているのかな。
さて、私は、全身にしみついている仏教から、スピリチュアリティを深めているけど、
スピリチュアルと宗教は全く別のものでしょう。
確かに無知は幻想を抱かせる・・・
私はスピリチュアルを、エンタメ系の占いかと思ってたから・・・gee】
私はお釈迦さまが好き。
マザー・テレサや、MLキング牧師も尊敬して好き。
仏の道を歩んだ曾祖父や祖父も、尊敬して好きだ。
僧侶友だちもいっぱいいるし、みんなそれぞれの道でその先をみている。
彼らは何にこだわったか、信仰にこだわったのです。
ただ、ビジネスでも宗教でも、お誘いが強引だと、おかしくなっちゃうんだよね。
魂に、外部からの強引なお誘い、または多額の出費は必要ありません
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