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退屈な人生? [和道 Wha-Dho 哲学]

最近、数人から同じ言葉を聞きました。

「生きることが退屈。」

「同じ繰り返しの毎日にブチ鬱。」

「いつの間にか人生の意味を見失った

だけど、いつなぜこうなったのかわからない」


一時期、これは「平和ボケ」と言われていたように思います。
しかし、戦火の土地に平和が訪れたら、ボケるわけがありません。心の中の恐怖や不安を克服したら、ボケるわけがありません。あるのは、喜びに満ちた輝きです。心の平安や静寂は、本来生きる意味をもたらすはずです。

なので、これは情報に溢れた社会の中で、心を疎かにしてしまったため、自分のコアを見失い、情報に翻弄されてしまっている状態ではないかと想像します。


生きることは無常。言いかえれば、常に新しい一瞬を生きています。
体は常に、呼吸をし、血液を循環させ、細胞分裂を繰り返し、五感は世界を知覚しています。外部では、風が吹き、太陽が照り、自然界と人工の音が流れ、そして、話したり、食べたり、コミュニケーションしたり・・・意識すると、人生は不思議な変化で溢れています。

ですが、もし人生に飽きていて、次の心躍る機会まで退屈な日常を凌ぐ、という想いがあるとすれば、それは気づかぬうちに、「変化を止めたい自分」を抱きしめている可能性があります。

原因は、時間がない、変化が怖い、執着している、向き合いたくない・・・等々。
自分の生を敬うことを忘れると、いつのまにかバランスを失ってしまいます。

自分が、自分の人生を生きるために、大切なこととは一体なんでしょう?
それは、心に向き合うことで気づき、取り戻すことができます。
自分自身を一度リセットすれば、変化に富んだ毎日に気づくことができます。

反対に、この「突破口」を外部へ求めれば求めるほど、さらなる混乱を招きます。


愛している人に囲まれているのに、何かが足りない?
毎日忙しいのに、心は退屈?
仕事に恵まれているのに、人生の意味を感じない?

どのような状況でも、中心をもう一度見直せば、今と同じ環境で人生は意味あるものへと変わります。
人は、退屈な人生を送るためや、暇をもてあますために生まれてきたわけではありません。
生きる意味を問い直せば、そこには豊かで輝いた人生があります[かわいい]







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