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被害者意識にさようなら! [被害者意識とは]

被害者意識ってわかりにくいのは無意識だからです。いつの間にかそれが自分の一部になり、習慣化しているともはや手放すものだという意識もなくなります。何かを変えたくて、いろいろ試して行動しているのに改善されないことがあったとしたら、成長を阻んでいるものは「被害者意識」かもしれません。

被害者意識はいろんな形で自身に影響します。
たとえば心に「孤独」があれば、これからも孤独を引き寄せます。ある事柄に出会ったとき、またはある映像を見たとき、みんな同じ景色を見ているのに、あなたの内にある「孤独」はその景色の中から、それは上手に「孤独」を見つけ出すでしょう。心に在る関心ごとが、今のあなたを作るのです。あなたは、心が見たい現実を見ているのです。

人が信じられななくなる経験をして、自分や人に対して常に「不信感」を持っていれば、仕事仲間や友達、初対面の人に対してでさえも不信感を持って接することになるでしょう。不信感を持って相手に接すれば、相手のどのような行為も快くは映りません。相手も、あなたの行動を見て、あなたに対して不信感を抱くでしょう。相手はあなたの鏡なのです。あなた自身が無意識で「不信感を持つ人」を演じています。

また、誰もが持ち得る「怖さ」や「恐れ」は、その感情そのものが現実を変えてしまいます。お金に対する怖さ、人に対する恐れ、変化に対する恐怖など、どのような行為や言葉にもこの感情は張り付け可能です。生きることで自ずと起こる自然な流れを受け入れないという意識は、自らのあるべき成長を止めることになり、そのギャップはほかの誰でもなく自分を苦しめることになります。

これらの意識は、愚痴、嫉妬、苦情になって出てきます。言葉になれば、またどんどん同じものを引き寄せることになります。もはや自身の言動や思考をコントロールしているのは「被害者意識」です。この意識は、目の前にある景色やチャンスをそのままの姿で見せてくれません。

もしも、今生きてる現実や社会が、かつて自分が思い描いていたようなものではなく(「こんなはずじゃないのに!」)、また手放したい過去を持っていることに気づいているなら、最初に「私はネガティブな記憶を手放す」と言ってみてください。私たちみんなに選択する自由があります、惰性で選択する権利を手放してはいけません。「幸せ」をカウントして、今ある幸せの多さに気づいてください。泣けるほど笑って数えてみてください!悲しみを数えていては希望は生まれません。数人で集まって幸せカウント作業を行えば、そこからきっと何かが生まれます。目の前にある事象も、過去も、何もかも、善悪をつけるのは自分の心です。善悪の基準は育ちや経験によって異なります。だから、あえて自分が幸せと感じるものから自由にカウントを始めてください。

幸せの数を数え始めてみると、敢えて苦しみや悲しみを作ろうとは思いません。不要な記憶や感情を手放せば手放すほど、与えられた貴重な命に深く気づくことができ、今この一瞬に輝きを感じるようになります。その一瞬に対する感謝が拡大することで、被害者意識の根源が消えてなくなるのです。過去の自分をぬぐい去り、今を生きる準備が整うときが来るのです。


昨今は社会、経済、自然環境の変化めまぐるしい世の中だと思います。氷河期に突入したころも、大陸が移動した時代も、産業革命の時も、世界大戦があった頃の世も、いつでも地球は大きな課題に直面しているように思います。今、目の前で起っている現象は善悪なく在り続けるだけです。その世界を、苦しみに満ちあふれている世界ととらえるか、愛と輝きにあふれている世界ととらえるかは、自分の心次第です。

世界が愛と輝きにあふれていると考え行動している人たちは、苦しみと悲しみの世界を知っている人です。苦しみの世界には戻らないでしょう。苦しみと悲しみの世界を手放す宣言をして、愛と輝きを手にしたのですから。

現実は、今創られます。どんな小さな考え方、意思、行動も、あなたを形成する大事な要素です。

もしも、今の自分が過去にとらわれていると感じるならば、被害者意識を手放してみてください。手放すという意識を持つことで必ず生きやすくなります。過去を浄化した後には、真の輝く人生が必ず待っています。

今年は、被害者意識にさよならしてみませんか[かわいい]

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被害者意識ってなに? [被害者意識とは]

人生って本当に深い。簡単な人生はどこにも存在しない。誰もが、その人だけに与えられた経験を通して、学んでいくのが人生なのだと思います。なにが起こってもそれが人生。回り道も、ショートカットもありません。そういうことを日常的に感じるこの頃です。

忘れたい過去や、思い出すのもいやな過去を持っている方、もしかするといらっしゃるかもしれません。人生には回り道もショートカットもないのですが、過去を蓄積しすぎて未処理な状態が続くと、自分の進化を止めることがわかりました、経験上ですが。過去の感情は、今を生きる上では必要なものではありません。

私の場合は、両親の離婚で家族と離れたことで、心に空虚感が生まれました。こういう種類の「孤独」は、どこへ逃げよう(行こう)が、人に囲まれていようが、ずっと続きます。「孤独」は単に一人の状態ではなく、家族がいたとしても、または周囲に数百万もの人がいても、またその人たちがあなたを尊敬していたとしても、無意識でも(←これ重要です)自分が外との心のつながりを断っていれば、「孤独」なのです。(そういう孤独なリーダー、実は多いように思います。)

急激に孤独感を感じるのに加え、当時は、家を「奪われ」、お寺を「奪われ」、家族を「奪われ」、幸せを「奪われ」、信仰が「奪われ」、過去も未来も「奪われた」と、奪われ三昧の悲劇のヒロイン状態でした。この一連の経験が、自分自身を「犠牲者」にしてしまうのです。これが「被害者意識」と呼ばれるものです。

誰かが「私から奪った」・・・いえ、奪っていません。それは起こるべくして起こったのです。見える範囲でこの状況を自ら招いた可能性も、見えないカルマで招いたものかも含め、因果応報です。私が家族が「大好き」で執着しすぎたことで、そこから抜け出すことができなかっただけです。さまざまなことをあらゆる経験で学ぶのでしょうが、私も確実に学んでいきました。

その時、意思はありました。そして形のない未来。未来を描く気持ちが「希望」だと思うのですが、私にとっての希望は、将来を考え中学生として勉強することでした。人生が掛かっていると感じると人ってかなりのパワーを発揮するものです。私は「孤独」が育ててくれたパワー、行動力、共感する心に感謝しています。しかし、私はそこからもまたさらに「支援がない」壁を作りあげていきました。人は私を助けてくれない、私はひとりで「やらされる」という新たな「被害者意識」を築いたのです。被害者意識は態度、言語、姿勢、言動によりさらに被害者意識を引き寄せ、困ったことにどんどん大きくなります。(この無意識の壁は、次第に「腰痛」として表面化します。)

ところで先に言いますが、私は瞑想を行って被害者意識を手放しました。

過去の楽しくて幸せな記憶が鮮明に残っているのに、何らかの理由でそれが「奪われた」と感じているならば、それは習慣がつくった過去の記憶に ネガティブな感情がくっついたもの に囚われているからです。家族、恋人、仲間、学校・・・どんな経験も記憶+感情として蓄積されます。過去はもう存在しないのに、「記憶に感情がくっついた状態」で自分内部に記録されます。

過去の記憶+ネガティブな感情=幻想にとらわれることをやめ、心を開く準備をして、人と積極的にかかわることができさえすれば、幸せな時間はすぐに戻ってくるはずです。幸せは、目線を変えればそこらじゅうにあるのですから。ただ、見ないのは自分です。見る準備もない、幸せを得る勇気がない、相談する相手がいない、過去から抜け出す方法を知らない。いろいろな理由があって動けません。この状態を放置して被害者意識を飼い続けると、それが勝手に増殖を続けて、いつの間にか自分の進化を止めるのです。

よく考えてみると、「被害者になる」ことを選んでいるのは誰でもなく、自分です。誰かがあなたを「一人ぼっち」にする原因をつくったかもしれません。その方を責めたければ責めていいと思います。だけど、どうして自分が一人ぼっちになったのでしょう?きっと大切な何かに気づくためです。そして、責めた後にあなた自身がとれる行動は何でしょう?

それは、準備ができたときに、「被害者意識を積極的に手放す決意をする」ことです。


→長いので次に続きます

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