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理屈とちゃうねん!(京都弁) [和道 Wha-Dho 哲学]

今まで何度も聞いてきた言葉、「理屈とちゃうねん」。 今日はふとその言葉を理解できた。

京都で東洋医学クリニックを開いている鍼灸師のおじさんがいる。私はこのおじさんのことが結構好きで、おじさんだけれど友だち感覚でよく話した。世界各国に東洋医療を広げたり、宇治で農業を中心としたロハス生活を実践していた。彼はよく、

「理屈とちゃうねん。」

と言ってた。理屈と違うって、どこで判断してる?彼の言動には、納得できるものや尊敬するもの、それと同じくらい、不可解な事が多くて、「理屈ではない」=「インスピレーション」、「第六感」なのだとしたら、それはなんと不確かな情報源なんだろうと思ってた。

移動式の本格茶室をアメリカに紹介し、大統領に表彰されたおじさんもいる。思えばなかなかの腕前。でもその時はおじさんの変人ぶりに、あまり反応してなかった。彼も、

「理屈とちゃうねん。」

と、言ってた。尊敬できる仕事をするけれど、全く逆のこともする人で、どうも掴めない人だった。でも「変な叔父さん」としては結構好きで、よく話した。

この間、あまり見ないテレビをつけたら、Behind the Screen(もしくはbehind the act...かな)の特別番組の再放送をしていた。放送年は2003年と記憶。この番組は、ハリウッドで活躍する俳優、監督、ディレクター等を育てる養成校で撮影されるもので、毎回ゲストが登場しレクチャーをするというもの。番組の制作者は学校長。いわゆるゴシップ番組ではないので、個人的な問題について訊きただす番組じゃない。純粋に、演技とは、仕事とは、生きるとは、などを語り、聴講者自身がフィードバックして演技や生き方につなげていくもの。

さて、この記念すべき放送に最もふさわしい俳優とは・・・・・・・・

トム・クルーズ

それをきいて、ふ~~~~ん、と思った。最後に彼を見たのは、ソファの上でジャンプしている姿。あれも怪しかったけど、アメリカのタブロイドの嘘っぷりには飽きれているので、真実はわからない。とりあえず、という感じで見てみた。

彼は、幼い頃に両親が離婚している。シンシナティからニュージャージーに移り、幼いころはクリスマスプレゼントが買えないほど貧乏だった。20歳で単身NYに出て、23歳で既にトップガンの出演を果たした。その後の功績は明らか。実父の死も経験している。

彼は、実際の演技をするまでに、ものすごいエネルギーで役作りをするのだと言っていた。役のモデルとなった人、歴史、環境、人間関係などについて、年単位の時間を費やす。カメラの前に立つまでには仕事は終わっている、と語る。既に演じるべき人間になっているので、その心と身なりで、演技をするのだそうだ。その時点で、トム・クルーズという俳優はいない。実生活で経験したことは、役作りにはほとんど影響がないのだとういう。実父が死ぬ、というシーンを与えられた際も、自身の経験とはまったく別の次元で、その役を演じきった。俳優として、なんというプロフェッショナリズム。普通の人間がなせる業じゃない。また、想像するだけだが、若くして名声を得た後の急な生活の変化も、彼を苦しめたことだろう。

番組の最終質問はいつも同じで、「この人生を終わった時、天国の入口で神に何と言われたいですか?」

       「人々の役立ち、人々を幸せにする仕事をよくやった」

既にお金のために働いていない彼。演技をするその才能は天才級だけれど、すべての源はもしかすると彼の中に存在する宇宙なのかもしれない。この人は宇宙の真理を知ってるんだと感じた。

彼は最後に、生徒と同じ目線で、一人ひとりの目を見て話した。「クリエイティブな(創造する)仕事は神聖な仕事。それを目指す君たちを尊敬し、心から応援する」。原文がここにないから、全然うまく伝えれないけれど・・・生徒は目に涙を浮かべていた。

トム・クルーズは既に次元が超越している!
ちょっと変なおじさんも含めて、「理屈じゃないよね[ひらめき]


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