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リトリートとは? [オハイオ州リトリート 2009]

そもそもリトリートってなんだ?「え、リトリートに行ったでしょ!?」と言われそうだけど・・・。

この情報社会にありながら、私は必要に迫られるまでネットサーチをしないので、最後まで「必要だ」という感覚がなかったから、調べもしなかった。ただ、ある日、最後に残された道が、リトリートだったというわけ。そこ以外に行き場がない、ということがわかっている。そういうことです。

で、リトリートとは?

行く前は、Funky Masters に、自分を見つめ直す時間ですよね?と聞いた。聞こうが聞くまいが、行くことには変わりなかったのだけれど。彼らからは、特にこれという回答はなく、ただ、ゆっくり過ごしてください、と。

ゆっくり過ごすこと…

ここ数年、明らかに年々悪くなっていく身体では、何もかもに制限が増えてきていた。行ける所に制限があり、着れる服に制限があり、人付き合いも減った。未知なる不安でいっぱいだった。立てなくなったらあの車椅子を買おうとか、自分の身体はもう60歳を超えてると思い込んだ。自分が想像する60歳は、(この身体の延長線上でいくならば、)体力も気力もなく、人生に疲れ果てた姿。今の間に60歳を経験しておけば、友だちが不調を訴える60歳頃には、私はもう何十年も歩けない状態が続いている。「先取りだな・・・」など、あり得ない心理状態になっていた。

・・・

その中でやってきた「リトリート」。

リトリートは、自分を自分として取りもどす大切な時間。悩み、仕事、過去、不安、恋愛、囚われ・・・、それらのものから自分を切り離し、そのままのわたしを、見つめるとき。そのチャンスがある所。

息をするためだけに浅く呼吸をして、悩みにかき乱されて、日々をやり過ごしていくのが人生じゃない。

ひとりの人として、この世に生まれてきたことを感謝し、そして大地とつながって生きていたい。
鎧のような知識でものごとを判断するだけではなく、自分の中のいのち(仏性または神性)に気づくいて生きていきたい。これらは、思っていた以上に大切、いや、一番はじめに在るべき状態なのだと気づいた。

人間が自然を敬い、日々いのちを感じられるのなら、これらを特に意識しなくても生きられるだろうが、現代の時間のスピードの中では、知らない間に流されてしまっている。流されているのが自分の奥底からくる流れの上であればいいが、社会が人間用に作り上げたレールの上に、知らず知らずのうちに流されているというのであれば疑問がある。

今回経験したことから、もののけ流にリトリートを説明すると、

わたしのいのちを取り戻し

この大地に足をつけて生きていくための

小さなきっかけ


大丈夫、祈り、願えば、その時は来るようになってるんだから![かわいい]




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