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感動することで開くハート [和道 Wha-Dho 哲学]

「感動した」、というと「感性が鋭いんだね」、という人がいるけれど、
「感性」ってもともと鋭くて、きっと誰もが持っていると思うから、みんな感性は鋭いはず。
ただ、感動することが少なくなると、心が感じた時に、感性が鋭くなったと思うのかも。

「好きなものがあれば、突きつめればいい」
好きならばそれをやっていれば、必ず心に触れる。感動するものがある。
だから極端な話、好きならずっとそれをしてればいい。
写真が好きなら撮ればいいし、音楽が好きなら聴いたり、本が好きなら読みまくればいい。
それに身を任せて、心が震え、心がきゅ~っとなるのを楽むのがいい。
その感動は心を揺さぶり、するとハートがひとりでに開き、その先は天にお任せ[るんるん]

「創造する仕事はすばらしい」
建造物や、表現や、料理や、サービスが、心を揺さぶることがある。
それは、心を揺さぶるものという点で本当に素晴らしいけれど、
それが必ずしもその人の人生を変えたり、劇的な変化をもたらさない。
創造的なものやことは、玄関のドアを開ける作業のようなことだと思う。心のドア。
ドアがノックされ、扉が開かれ、ハートの中に入ってくる。
ドアさえ開いてしまえば、あとはまた天にお任せでしょう[るんるん]
何かを創りだす人と言うのは、そういう意味で大きな影響力を持っていると思う。

ハートを開くのが難しい、と言われるかもしれないけど、
心を澄ましていればハートは開く(メディテーションがポイント!)。
私たちの心は、何から守られることなく前に向いて開いているから、
大地と天に向かって背筋をピンと伸ばしていれば、
心揺さぶるものはストレートに心に入ってくると信じてる。
 
「自然 (Nature) に感動する」
私、今はこう書いているけど、以前はハイヒールやよそ行きの服しか持ってなかった。
ひと昔前、キャンプに誘われて渋々行ったけど、何一つ興味がなかった。
今思うと、自然とかけ離れたところで、「自分一人で生きてく!」って姿勢で生きてた。

とりあえず今はできるだけ渓谷に足を運ぶ。なぜ毎日行くのか?
自然そのものが感動を与えてくれるから。

朝日が輝く日、水面の光が緑の葉に反射して、キラキラと流れるように光っている。
パチンコなどでキラキラしてる変なネオン、あれを自然風にするとこれか~って反対発想か。
自然が作り出す風景の美しさに感動する。

太古の昔から、厚く積み上げられた層が、剥き出しに出ている所がある。
この、力強く、荒々しく、生命力にあふれた、この土の上に、私たちは立っている。
コンクリートのビル、日々の暮らし、愛憎、私たちはこの上に立っている。
すべての始まりは自然。母なる大地、降り注ぐ太陽。

感動は、今この人生において、なすべきことを知り、生きていくためのヒントに違いない!
感動するものが目の前にあるなら、在るものを、在るがままに受け入れてみる。
そうすれば、心が揺さぶられ、自然にハートが開く。
ハートがそれを感じれば、あとはまた、例の天にお任せコース[るんるん]

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