異なる2つの世界を【調和】して生きる〔後編〕 [和道 Wha-Dho 哲学]
異なる2つをつなげるもの。それは『調和』。
私なりに今思うところです。
霊性という特殊な技能を仕事にしている人は、例えば、
『オーラの泉』の江原さん、霊能者アリソン・デュボア、元世銀のヒーラー中野裕弓さんとか。
彼らは、霊性と理性、外と内、静と動、それらの相反するものを調和させる仕事をされている。
「在る」魂に、体と性をつけ生まれ、姓名をつけ知識やキャリアをつけていくとするならば、
すべてがスタートしたところは、魂の存在。
この神聖さを忘れることで、人は道を踏み外す。そうならないためには、
相反することを調和させて受け入れていくことが大事。
悩まない人もいるだろう、別にここまで深く考えなくたっていいのさ。
でも私は長年悩み続けている・・・
でも今朝、メディテーションをしているときに感じた。
調和して生きること、それこそが私を導くヒントになるんだと。
答えは、昔からいつもそこらじゅうで使いこなされている、この新しい言葉だった。
そして、今やっているスピリチュアル・プログラムの根底にあるのも、、、調和!
*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*・゚・*.
華道、茶道、合気道、居合道、柔道・・・『道』がつくものはたくさんある。
フラワーアレンジメント、ティーセレモニー、マーシャルアーツというだけではなく、
『道』には、伝統的な哲学が存在する。技術の鍛練とともに、心もしなやかに鍛える。
スピリチュアル・プログラムも『和道』という哲学に沿って行っている。
Yogaは日本語でヨガになってしまったけど、ヨガは間違いなく『ヨガ道』。
寺で育った私は、『道』と『宗教』をこうとらえる。
(日本仏教の影響が濃い私ですが、いろんな宗教を学びました。)
『道』や『宗教』には、愛を持って(優しさ、時には厳しさ)導く者が必ずいる。
その者は、強くやわらかい魂を持ち、それは真理とつながっている故、決してぶれない。
生・命を魂レベルで探求する者を、魂の奥深い場所、生命が戻るべき場所、宇宙の真理へと、
愛と理性で導いていく。
しかしその者はあくまでも導く者で、億人いれば億個ある人の生き方の答えを持っていない。
『宗教』というと、どうも一番上に立つものが答えを持っているように思うけど、それはない。
『道』において、師匠(Master)は弟子が歩むべき方向を、厳しく、しかし照らしながら導く。
そこにあるのは、天に向かって逃げないで、人生に足をつけて確実に進む、一対一の関係。
今まで多くの人々(宗教者も含め)に会ったけれど、必然にも今同じ時を過ごすFunky Masters は、
中でも最も力強く道を照らすことのできる、数少ない人々だと感じる。
魂同士の響き合いがあるのならば、私はそれを見つけたのかもしれない。
天下に始あり。以て天下の母となる。すでにその母をしれば
以てその子を知る。すでにその子を知ってまたその母を守れば
身は没するまであやうからず。
(天下の母は道である。
道の如何がわかれば道の子たる人の心の如何を知ることができる。
その子たる心をしって母たる道を守れば一生涯窮地におちいることはない。)
(タオ 原典第52章)
生きること自体が道。
その荒波(日本の開祖もよく使った言葉だ)を確実に通っていくための手助けをしてくれるのが
『道』のガイド。そして『道』には、宗教の壁がない。
二つの相反することの本質は、『道』に立つことで見えてくるのだろう。
「道という大きな観点に立てば善だ悪だ 是だ非だといっても本質的な違いは無い。」
(荘子)
これも忘れないようにしよう。
「道の道とすべきは、常の道にあらず。名の名とすべきは、常の名にあらず。」
(タオ)
既にたどり着いていたこの場所を、今、はっきりと認識した。
しかし、なんて意味のある、長くて、遠く、確かな道のりだったんだろう・・・
- 和道 - http://www.wha-dho.com/
私なりに今思うところです。
霊性という特殊な技能を仕事にしている人は、例えば、
『オーラの泉』の江原さん、霊能者アリソン・デュボア、元世銀のヒーラー中野裕弓さんとか。
彼らは、霊性と理性、外と内、静と動、それらの相反するものを調和させる仕事をされている。
「在る」魂に、体と性をつけ生まれ、姓名をつけ知識やキャリアをつけていくとするならば、
すべてがスタートしたところは、魂の存在。
この神聖さを忘れることで、人は道を踏み外す。そうならないためには、
相反することを調和させて受け入れていくことが大事。
悩まない人もいるだろう、別にここまで深く考えなくたっていいのさ。
でも私は長年悩み続けている・・・
でも今朝、メディテーションをしているときに感じた。
調和して生きること、それこそが私を導くヒントになるんだと。
答えは、昔からいつもそこらじゅうで使いこなされている、この新しい言葉だった。
そして、今やっているスピリチュアル・プログラムの根底にあるのも、、、調和!
*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*・゚・*.
華道、茶道、合気道、居合道、柔道・・・『道』がつくものはたくさんある。
フラワーアレンジメント、ティーセレモニー、マーシャルアーツというだけではなく、
『道』には、伝統的な哲学が存在する。技術の鍛練とともに、心もしなやかに鍛える。
スピリチュアル・プログラムも『和道』という哲学に沿って行っている。
Yogaは日本語でヨガになってしまったけど、ヨガは間違いなく『ヨガ道』。
寺で育った私は、『道』と『宗教』をこうとらえる。
(日本仏教の影響が濃い私ですが、いろんな宗教を学びました。)
『道』や『宗教』には、愛を持って(優しさ、時には厳しさ)導く者が必ずいる。
その者は、強くやわらかい魂を持ち、それは真理とつながっている故、決してぶれない。
生・命を魂レベルで探求する者を、魂の奥深い場所、生命が戻るべき場所、宇宙の真理へと、
愛と理性で導いていく。
しかしその者はあくまでも導く者で、億人いれば億個ある人の生き方の答えを持っていない。
『宗教』というと、どうも一番上に立つものが答えを持っているように思うけど、それはない。
『道』において、師匠(Master)は弟子が歩むべき方向を、厳しく、しかし照らしながら導く。
そこにあるのは、天に向かって逃げないで、人生に足をつけて確実に進む、一対一の関係。
今まで多くの人々(宗教者も含め)に会ったけれど、必然にも今同じ時を過ごすFunky Masters は、
中でも最も力強く道を照らすことのできる、数少ない人々だと感じる。
魂同士の響き合いがあるのならば、私はそれを見つけたのかもしれない。
天下に始あり。以て天下の母となる。すでにその母をしれば
以てその子を知る。すでにその子を知ってまたその母を守れば
身は没するまであやうからず。
(天下の母は道である。
道の如何がわかれば道の子たる人の心の如何を知ることができる。
その子たる心をしって母たる道を守れば一生涯窮地におちいることはない。)
(タオ 原典第52章)
生きること自体が道。
その荒波(日本の開祖もよく使った言葉だ)を確実に通っていくための手助けをしてくれるのが
『道』のガイド。そして『道』には、宗教の壁がない。
二つの相反することの本質は、『道』に立つことで見えてくるのだろう。
「道という大きな観点に立てば善だ悪だ 是だ非だといっても本質的な違いは無い。」
(荘子)
これも忘れないようにしよう。
「道の道とすべきは、常の道にあらず。名の名とすべきは、常の名にあらず。」
(タオ)
既にたどり着いていたこの場所を、今、はっきりと認識した。
しかし、なんて意味のある、長くて、遠く、確かな道のりだったんだろう・・・
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