日常の中の瞑想 [浄化の瞑想・クリーニング・メディテーション]
お米の計量カップと思って使っていたのが、パン屋のプリンカップだったもののけです。
今日、量ってみたらピッタリ一合だった
Funky Spiritual Program (瞑想)を始めて3ヶ月経ちました。気づいたことを書きます。
自然に対して、ますます身近に感じるようになった。
渓谷や公園に頻繁行き、道を歩く時は天を仰いだり、道端の木や花をじっくり見る。
生花を家に飾っているけれど、瞑想を一緒にしているからか、いつまでも瑞々しくいてくれる。
この間、バラが3週間も咲いてくれた。ダリアもずーっと眺めていられるほど美しく咲いてくれた。
ポトスやアイビーがどんどん増えている(彼らの意思で勝手に増えている気もする…)。
食に対して今まで以上に意識する。
近くの畑で採れるものを買ったり、例えば買う時に直感を使ったりする。
あ、あなた逞しいサツマイモさんね、みたいな。
調理にかける時間が長くなり、レシピの幅も急に広がった。
(食べるものへの強いこだわりや執着がなくなった)
粉から手り出すようになった。味覚も変わった。
赤見の肉を食べるようになり、香辛料も食べられるようになった。
食パンや白米は食べなくなり、オートミールと玄米や胚芽米をよく食べるようになった。
掃除・クリーニングは以前からよくするけど、奇麗にすることに対して無理がなくなった。
あらゆる場所をくまなく完全にピカピカに、疲れていても掃除するのではなく、
時間がなければ、ただ食器を洗うことだけでもいいから、
一日一回、必ずどこかの汚れを取り除くようにする。その行為をただ、やる。
ヘアスタイルは、ストレート黒ロングから茶メッシュのショートになり、
もうすぐパーマをあてる気がする…
したいヘアスタイルどんぴしゃりな人に、最近2人もあった。
一人はマイケルの映画の中、もう一人は自由が丘。つまり、ほとんどいない(笑)
ブログを始めることは、リトリートで決心して年内には取りかかろうと思ってたけど、
勝手に手が動いて、いつのまにか書いている。Energy follows thoughts.
エネルギーがいっぱいで、手が勝手に書いている状態
人や場所と会うことに関しては、
嵐のような変革の日々は、誰かに会うとひっぱられそうになり怖かったけど、
今は軸が天から地にドーンと一本伸びている感覚があって、しっかりしている。
また、輝く薄い透明の皮膜のようなもので包まれている意識もある。
自分が付き合うべきでない空気や魂や場所というのも、今ははっきり感じる。
人と話す時は、丁寧に会話(魂と対峙)しようと気をつけている。
数日前から、またさらに落ち着いてきたので、魂ともっと丁寧なお付き合いしようと思う。
瞑想する時間が、当たり前の時間になった。
たくさんの夢を見て起きる朝は、瞑想しないと朝食は採る気にならず、
一日の終わりは、お風呂で汚れを落として、瞑想で心の汚れも落とさないと、寝る気にもならない。
瞑想することで、自分がここにいることを確かめられる。魂の在り処が確認できる。
魂を感じ、命をいただいて生かされていることに気づく。
自分に不要なことはよせつけないで(悩みもストレスも消えて)、
ただ幸せで満たされた気持ちになれる。
何しろ、心が軽くて、気持ちが楽で、いつも心地よい。
そういえばモト彼が初めて買った唯一の清水焼のお湯呑は、 『我唯足知』。
その状態になれる。
趣味や喜びを外部から取りこまなくても、自分の中にすでに満たされているものがあり、
それを感じることによって、自分は完全になれる。
魂は知ることしかできない。魂は考えることができない。だから瞑想をして魂を感じる。
それは、仕事をしたり、勉強をしたり、知識を得ることとは、全く別のところにある。
幸せが在るのは、魂の中
瞑想により、スピリチュアリティや魂の神聖さを感じられれば、心をしなやかに強く保てる。
瞑想をするのは、現実から逃げるためではなく、より強く地に足付けて生きるため。
悩み、痛み、恐怖、執着、迷い、怒り、妬み、強欲、勝敗・・・
それらのことから解き放たれて、確かな足取りで人生を歩んでいくこと。
これは私にだってできたのだから、難しいことじゃない。
この状態があれば、日常の一つ一つのことを、意識を持って行える。
この人生で、どこを、どう歩いていくのか、何を目指すのか、今何を得て、何を除くのか。
その根底にあるのは、幸せで満ち足りた魂。
土から離れて3週間以上経ったとは思えないバラ。
今日、量ってみたらピッタリ一合だった
Funky Spiritual Program (瞑想)を始めて3ヶ月経ちました。気づいたことを書きます。
自然に対して、ますます身近に感じるようになった。
渓谷や公園に頻繁行き、道を歩く時は天を仰いだり、道端の木や花をじっくり見る。
生花を家に飾っているけれど、瞑想を一緒にしているからか、いつまでも瑞々しくいてくれる。
この間、バラが3週間も咲いてくれた。ダリアもずーっと眺めていられるほど美しく咲いてくれた。
ポトスやアイビーがどんどん増えている(彼らの意思で勝手に増えている気もする…)。
食に対して今まで以上に意識する。
近くの畑で採れるものを買ったり、例えば買う時に直感を使ったりする。
あ、あなた逞しいサツマイモさんね、みたいな。
調理にかける時間が長くなり、レシピの幅も急に広がった。
(食べるものへの強いこだわりや執着がなくなった)
粉から手り出すようになった。味覚も変わった。
赤見の肉を食べるようになり、香辛料も食べられるようになった。
食パンや白米は食べなくなり、オートミールと玄米や胚芽米をよく食べるようになった。
掃除・クリーニングは以前からよくするけど、奇麗にすることに対して無理がなくなった。
あらゆる場所をくまなく完全にピカピカに、疲れていても掃除するのではなく、
時間がなければ、ただ食器を洗うことだけでもいいから、
一日一回、必ずどこかの汚れを取り除くようにする。その行為をただ、やる。
ヘアスタイルは、ストレート黒ロングから茶メッシュのショートになり、
もうすぐパーマをあてる気がする…
したいヘアスタイルどんぴしゃりな人に、最近2人もあった。
一人はマイケルの映画の中、もう一人は自由が丘。つまり、ほとんどいない(笑)
ブログを始めることは、リトリートで決心して年内には取りかかろうと思ってたけど、
勝手に手が動いて、いつのまにか書いている。Energy follows thoughts.
エネルギーがいっぱいで、手が勝手に書いている状態
人や場所と会うことに関しては、
嵐のような変革の日々は、誰かに会うとひっぱられそうになり怖かったけど、
今は軸が天から地にドーンと一本伸びている感覚があって、しっかりしている。
また、輝く薄い透明の皮膜のようなもので包まれている意識もある。
自分が付き合うべきでない空気や魂や場所というのも、今ははっきり感じる。
人と話す時は、丁寧に会話(魂と対峙)しようと気をつけている。
数日前から、またさらに落ち着いてきたので、魂ともっと丁寧なお付き合いしようと思う。
瞑想する時間が、当たり前の時間になった。
たくさんの夢を見て起きる朝は、瞑想しないと朝食は採る気にならず、
一日の終わりは、お風呂で汚れを落として、瞑想で心の汚れも落とさないと、寝る気にもならない。
瞑想することで、自分がここにいることを確かめられる。魂の在り処が確認できる。
魂を感じ、命をいただいて生かされていることに気づく。
自分に不要なことはよせつけないで(悩みもストレスも消えて)、
ただ幸せで満たされた気持ちになれる。
何しろ、心が軽くて、気持ちが楽で、いつも心地よい。
そういえばモト彼が初めて買った唯一の清水焼のお湯呑は、 『我唯足知』。
その状態になれる。
趣味や喜びを外部から取りこまなくても、自分の中にすでに満たされているものがあり、
それを感じることによって、自分は完全になれる。
魂は知ることしかできない。魂は考えることができない。だから瞑想をして魂を感じる。
それは、仕事をしたり、勉強をしたり、知識を得ることとは、全く別のところにある。
幸せが在るのは、魂の中
瞑想により、スピリチュアリティや魂の神聖さを感じられれば、心をしなやかに強く保てる。
瞑想をするのは、現実から逃げるためではなく、より強く地に足付けて生きるため。
悩み、痛み、恐怖、執着、迷い、怒り、妬み、強欲、勝敗・・・
それらのことから解き放たれて、確かな足取りで人生を歩んでいくこと。
これは私にだってできたのだから、難しいことじゃない。
この状態があれば、日常の一つ一つのことを、意識を持って行える。
この人生で、どこを、どう歩いていくのか、何を目指すのか、今何を得て、何を除くのか。
その根底にあるのは、幸せで満ち足りた魂。
土から離れて3週間以上経ったとは思えないバラ。
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