自分力アップ、おまけにアンチエイジング [浄化の瞑想・クリーニング・メディテーション]
暑い夏が去って、涼しい秋がやってきました。秋は「自分磨きの季節」ということで、様々なメディアで、お薦め本や、ヨガスタジオ、資格講座、出会いの場所などの特集が多く組まれています。落ち着いて何かをするにはいい気候ですね。
秋に限らず、現代は年間を通して多様な情報が入手可能ですし、資格やエクササイズをやると決めたら、すぐにスタートすることができます。特に都会では時間と費用さえ工面すればだいたい何でも手に入ります。
情報収集や自分磨きをするのは良いことだと思っています。「なんとなく好き」や「私に合うかも」という感情は、身体が喜ぶことをしてるというサインだと思うからです。私も、OL時代はある種の情報マニアで、通勤ではフリーペーパーを、毎日英日新聞を複数紙チェック、金曜のThe Japan Times や日曜の日経PLUS1で、街中の新しい情報を常に把握していました。また、体験講座やワークショップにも積極的に参加し、興味のあるものには何でも挑戦しました。自分の探している物・事・人・情報がいつか目の前に現れるのではないかと期待して、手を変え品を変えて挑戦していくわけです。
しかし、本当にしたいことかを考えずにやっていると、逆に疲れてきます。外へ出ていけば出ていくほど、時間もお金も体力も減っていく。仕事どころか趣味も休めなくなると、秋を満喫するどころか、紅葉を見ることもなく気づけば秋が終わっていたようなこともありました。
そうなのです。自分の中に判断基準がないと、いくら情報が大量に合っても、取捨選択の判断ができません。情報に振り回されるだけに終わってしまいます。利用者側が意識を持って情報を利用しないと、流されるだけになってしまいます。
では、自分の判断基準を明らかにするには、どうすればいいのでしょうか?
まずは静かに自分自身と向き合って、心の声を聴くことです。
え、瞑想?そうなのです。侍もやってた瞑想です。
お寺の前栽を眺めながら静かに座り、暖かい日差しの中ぼーっとするような感じを思い出して下さい。すこし湿った涼しい風が頬をかすめていったり、竹の葉がかすかに揺れる音を聴いたり・・・そんな風に、自分自身にたった今起こっていることにも耳を傾けるのです。あれやろうかなとか、あの人の声聞きたいなとか、いつもは気づかない自分の心の声が聞こえてきます。ただ気持ちいいと感じている自分や、イライラしている自分がいるかもしれません。これが瞑想の入り口です。
瞑想は家でもできます。新たな出費も、出掛ける必要もありません。
できるだけ静かな場所に座って、目を閉じます。夜だったら、もしかすると遠くで鈴虫の音が聴こえてくるかもしれません。と、言いたいところですが都会はどこも賑やかです。マンションの近隣がうるさい、電車や車がいつも通る、子どもがうるさい、など、だいたいの場所が静かではないでしょう。なので、まずは瞑想に良い時間帯を見つけることが必要かもしれません。みんながまだ寝ている早朝は、外の音も比較的静かです。または、休みの日などに自然のある場所へ出掛けたり、近所の小さな公園のベンチでもいいでしょう。
場所と時間を確保したら、ゆったりとした気持ちで座り、自分自身に向き合ってみましょう。すると、「目を閉じている」、「脚の裏が床に触れている」、「少し偏頭痛がある」、「お腹が鳴った」、など、いろんなことに気付き、様々な思いが頭をかすめます。それはそれで、ただそれだけのことと観察して、そのまま目を閉じて座るだけです。最初は5分程度でもいいと思います。
ちなみに、瞑想を始めたからといってすぐ僧侶やベジタリアンに変身しません。今日始めたからといって、死ぬまで毎日やらないと命にかかわるということも全くありません。たまにでいいから、周りのノイズを消してみようというだけのことです。私も、半信半疑で疑問ばかりの中、瞑想をはじめました。疑問がある時は聞いて解消し、無心で瞑想を続けました。
瞑想をすることで、内に穏やかな静寂の場があることを見つけられるようになります。人生に起こる様々なことを俯瞰的に見れるようになり、物事がよりクリアに観えてきます。意識力がアップすることで、取捨選択が容易になるわけです。
私は人をだましたりしませんけど、「だまされたと思ってちょっとやってみてください」とも言いません。もし、「瞑想」をきっかけに今こそ自分力を高める!と自ら決心したら、ぜひ始めてみてください。瞑想のことについては、いつでも聞いてください
それと、瞑想にはアンチエイジングの効果があるそうです。アメリカで行われた実験によると、瞑想を定期的に行っている人は、行っていない同年代の人より若く見えるのだそうです。心が穏やかであると、ストレスや不調を抱えにくいので、外見にも影響するのでしょう。
瞑想がなぜそのような効果をもたらすかというと、瞑想中の時間概念が、地球上のそれを超えるからだと思います。具体的には、アインシュタインの相対性理論を引っ張り出したらいいのでしょうか?・・・私自身も説明することができません。
言葉で説明するより自分でやって証明する方がわかりやすいので、50歳になったら自分の写真を公開しようと思ってます。それまで、私のブログ読んでてくださいね(笑)。
秋に限らず、現代は年間を通して多様な情報が入手可能ですし、資格やエクササイズをやると決めたら、すぐにスタートすることができます。特に都会では時間と費用さえ工面すればだいたい何でも手に入ります。
情報収集や自分磨きをするのは良いことだと思っています。「なんとなく好き」や「私に合うかも」という感情は、身体が喜ぶことをしてるというサインだと思うからです。私も、OL時代はある種の情報マニアで、通勤ではフリーペーパーを、毎日英日新聞を複数紙チェック、金曜のThe Japan Times や日曜の日経PLUS1で、街中の新しい情報を常に把握していました。また、体験講座やワークショップにも積極的に参加し、興味のあるものには何でも挑戦しました。自分の探している物・事・人・情報がいつか目の前に現れるのではないかと期待して、手を変え品を変えて挑戦していくわけです。
しかし、本当にしたいことかを考えずにやっていると、逆に疲れてきます。外へ出ていけば出ていくほど、時間もお金も体力も減っていく。仕事どころか趣味も休めなくなると、秋を満喫するどころか、紅葉を見ることもなく気づけば秋が終わっていたようなこともありました。
そうなのです。自分の中に判断基準がないと、いくら情報が大量に合っても、取捨選択の判断ができません。情報に振り回されるだけに終わってしまいます。利用者側が意識を持って情報を利用しないと、流されるだけになってしまいます。
では、自分の判断基準を明らかにするには、どうすればいいのでしょうか?
まずは静かに自分自身と向き合って、心の声を聴くことです。
え、瞑想?そうなのです。侍もやってた瞑想です。
お寺の前栽を眺めながら静かに座り、暖かい日差しの中ぼーっとするような感じを思い出して下さい。すこし湿った涼しい風が頬をかすめていったり、竹の葉がかすかに揺れる音を聴いたり・・・そんな風に、自分自身にたった今起こっていることにも耳を傾けるのです。あれやろうかなとか、あの人の声聞きたいなとか、いつもは気づかない自分の心の声が聞こえてきます。ただ気持ちいいと感じている自分や、イライラしている自分がいるかもしれません。これが瞑想の入り口です。
瞑想は家でもできます。新たな出費も、出掛ける必要もありません。
できるだけ静かな場所に座って、目を閉じます。夜だったら、もしかすると遠くで鈴虫の音が聴こえてくるかもしれません。と、言いたいところですが都会はどこも賑やかです。マンションの近隣がうるさい、電車や車がいつも通る、子どもがうるさい、など、だいたいの場所が静かではないでしょう。なので、まずは瞑想に良い時間帯を見つけることが必要かもしれません。みんながまだ寝ている早朝は、外の音も比較的静かです。または、休みの日などに自然のある場所へ出掛けたり、近所の小さな公園のベンチでもいいでしょう。
場所と時間を確保したら、ゆったりとした気持ちで座り、自分自身に向き合ってみましょう。すると、「目を閉じている」、「脚の裏が床に触れている」、「少し偏頭痛がある」、「お腹が鳴った」、など、いろんなことに気付き、様々な思いが頭をかすめます。それはそれで、ただそれだけのことと観察して、そのまま目を閉じて座るだけです。最初は5分程度でもいいと思います。
ちなみに、瞑想を始めたからといってすぐ僧侶やベジタリアンに変身しません。今日始めたからといって、死ぬまで毎日やらないと命にかかわるということも全くありません。たまにでいいから、周りのノイズを消してみようというだけのことです。私も、半信半疑で疑問ばかりの中、瞑想をはじめました。疑問がある時は聞いて解消し、無心で瞑想を続けました。
瞑想をすることで、内に穏やかな静寂の場があることを見つけられるようになります。人生に起こる様々なことを俯瞰的に見れるようになり、物事がよりクリアに観えてきます。意識力がアップすることで、取捨選択が容易になるわけです。
私は人をだましたりしませんけど、「だまされたと思ってちょっとやってみてください」とも言いません。もし、「瞑想」をきっかけに今こそ自分力を高める!と自ら決心したら、ぜひ始めてみてください。瞑想のことについては、いつでも聞いてください
それと、瞑想にはアンチエイジングの効果があるそうです。アメリカで行われた実験によると、瞑想を定期的に行っている人は、行っていない同年代の人より若く見えるのだそうです。心が穏やかであると、ストレスや不調を抱えにくいので、外見にも影響するのでしょう。
瞑想がなぜそのような効果をもたらすかというと、瞑想中の時間概念が、地球上のそれを超えるからだと思います。具体的には、アインシュタインの相対性理論を引っ張り出したらいいのでしょうか?・・・私自身も説明することができません。
言葉で説明するより自分でやって証明する方がわかりやすいので、50歳になったら自分の写真を公開しようと思ってます。それまで、私のブログ読んでてくださいね(笑)。
クリーニング・メディテーション【浄化の瞑想法】 [浄化の瞑想・クリーニング・メディテーション]
最近、「瞑想」という言葉をよく耳にしませんか?瞑想をしているという知り合いや、隣に居合わせた人の会話からもそれが聴こえたりすることもあるかもしれません。また、「瞑想って何?」という質問やコメントもいただくことが増えました。
みんな、実は、心の声の存在にはとうに気づいていて、それを聴きたいのかもしれない・・・その方法を知りたいんだ、そんな気がします。
私自身も、なんにも知らないところから、まさに以下にある方法に沿って始めました。
初める地点はみんな一緒。重要なのは、「始める決心」を行うことなのです。
瞑想と、その哲学については、
Funky Master のポール・デスーザ氏の言葉が翻訳されたものがあります。
ロハスクラブのインタビュー記事
http://www.lohasclub.org/800/800_18.html
「心の声=内なる声」を聞くための瞑想としてのクリーニング・メディテーション
・・・まず初めに、過去から現在に至るまでに、塵のように積もった不要なエネルギー
(不要な記憶、印象、問題、心身の不調など)を浄化するために、
クリーニングメディテーションと呼ばれる瞑想から始めます。
【クリーニング・メディテーションの方法】
瞑想をする際、あれこれ色々なことが頭によぎって集中できない方も多いでしょう。それは、まだ瞑想状態に入る準備が出来ていないためです。例えば美味しい水を飲もうとしても、グラスが汚れていたために水全体が濁ってしまうように、あなたが不要なエネルギーを抱えていると、いくら瞑想をしても余計に混乱してしまうばかりです。
この不要なエネルギーを含む心の記憶を、サンスクリット語で「Samskara:サンスカーラ」といいます。
あなたが誰かと話している時、あなたはその人を見て、その人の話す内容を聞いている、、こんな日常のささいな出来事がサンスカーラを作っています。
ですから人生にインパクトを与えるような体験が、どれだけ強いサンスカーラとなってその後の人生に影響を及ぼしているかは、なんとなく想像できますよね?
サンスカーラは、あなたの身体・心・魂、そしてオーラを始め、前世から背負っている不要なエネルギーをも含みます。特にあなたのハートチャクラには、前世からこれまでの人生経験で受けた膨大な感情の全てが記録されています。
「クリーニング・メディテーション」では、このハートチャクラに溜まった不要なサンスカーラを徹底的に浄化します。
「クリーニングメディテーション」のステップ
1、静かな場所で、楽な姿勢で座って下さい(バスルームやトイレは控えましょう)。
2、エネルギーの循環を良くするために、舌の先を前歯の裏に付けて下さい。
(これは、太極拳や気功でも同じことを行います。気を流します。)
3、胸の中心にあるハートチャクラに、片手または両手で触れて下さい。
(胸のあたりです。体中に血液が送られている中心部でもあります)
4、そしてハートチャクラのエネルギーを感じながら呼吸をして下さい。
(感じることは目に見えないから、できてるのかな?って思うかもしれません。
できてると思えばできているから、まずは信じて行ってみてください!)
5、吸う息とともに、胸の中へ美しく神聖なエネルギーが流れ込む様子を視覚化して下さい。
6、吐く息とともに、「私にとって不要な全てのエネルギーが出て行く」と心でつぶやき、
全ての不要なエネルギーが、背中から煙のように出て、どんどん去って行く様子を視覚化して下さい。
その際は具体的に不要なエネルギーの内容を考えるとエゴが働いてしまうので、
何も考えず、ただこの世を司る大いなる存在に身を任せて下さい。
瞑想の時間は5〜15分が目安ですが、長くなっても構いません。
また、瞑想は朝と晩の両方に行うのがベストですが、いつでもできる時で大丈夫です。
ストレスが溜まっている時、良く眠れない時、嫌なことがあった時はもちろん、
幼少期のトラウマの解消などにも効果を発揮します。
追記コメント
●まず座ること
まずは、何をおいても、静かな場所を選んで、とりあえず座りましょう。いつも座る時間がないと思っている方も、今は座りましょう。座って心地のいい場所に背を伸ばして座りましょう。
椅子であっても床であっても、猫背になりすぎたり、深く掛け過ぎたりせず、自然な格好で座りましょう。
お気に入りの場所が今はないかもしれませんが、そのうち、定位置やお気に入りの場所が見つかるかもしれません。
ご家族の方がいらっしゃらない時、またはご家族の方に少しだけ協力をしてもらって、時間を作りましょう。
●息をすって~、はいて~。すって~、はいて~・・・穏やかな呼吸とともに、落ち着いていきましょう。
スケジュールやすべきこと(と思っている事)を、脇に置いてみましょうね。今、あなた自身のために、穏やかな5分の休息時間をとっても、あなたの人生は急激に終りません。
●静寂を楽しむ
空白・無の時間には、想像以上の力が宿っています。でもきっと周囲に静寂はないですよね。普通に生活していたら、物音はするものです。もしも音がうるさかったら、「音がうるさい」などという感情をつけずに、音を「音」をひとまとめにしてみるのはどうでしょう。
近所の子どもが騒いでいても、バイクのエンジン音が聞こえても、単なる「音」だと流す。ただひとつの「音のかたまり」として、流してみてください。そのうちに、心の静寂がやってきます・・・。
さぁ、どうそ
「クリーニングメディテーション」で、あなたの心をどんどん浄化してあげましょう!
みんな、実は、心の声の存在にはとうに気づいていて、それを聴きたいのかもしれない・・・その方法を知りたいんだ、そんな気がします。
私自身も、なんにも知らないところから、まさに以下にある方法に沿って始めました。
初める地点はみんな一緒。重要なのは、「始める決心」を行うことなのです。
瞑想と、その哲学については、
Funky Master のポール・デスーザ氏の言葉が翻訳されたものがあります。
ロハスクラブのインタビュー記事
http://www.lohasclub.org/800/800_18.html
「心の声=内なる声」を聞くための瞑想としてのクリーニング・メディテーション
・・・まず初めに、過去から現在に至るまでに、塵のように積もった不要なエネルギー
(不要な記憶、印象、問題、心身の不調など)を浄化するために、
クリーニングメディテーションと呼ばれる瞑想から始めます。
【クリーニング・メディテーションの方法】
瞑想をする際、あれこれ色々なことが頭によぎって集中できない方も多いでしょう。それは、まだ瞑想状態に入る準備が出来ていないためです。例えば美味しい水を飲もうとしても、グラスが汚れていたために水全体が濁ってしまうように、あなたが不要なエネルギーを抱えていると、いくら瞑想をしても余計に混乱してしまうばかりです。
この不要なエネルギーを含む心の記憶を、サンスクリット語で「Samskara:サンスカーラ」といいます。
あなたが誰かと話している時、あなたはその人を見て、その人の話す内容を聞いている、、こんな日常のささいな出来事がサンスカーラを作っています。
ですから人生にインパクトを与えるような体験が、どれだけ強いサンスカーラとなってその後の人生に影響を及ぼしているかは、なんとなく想像できますよね?
サンスカーラは、あなたの身体・心・魂、そしてオーラを始め、前世から背負っている不要なエネルギーをも含みます。特にあなたのハートチャクラには、前世からこれまでの人生経験で受けた膨大な感情の全てが記録されています。
「クリーニング・メディテーション」では、このハートチャクラに溜まった不要なサンスカーラを徹底的に浄化します。
「クリーニングメディテーション」のステップ
1、静かな場所で、楽な姿勢で座って下さい(バスルームやトイレは控えましょう)。
2、エネルギーの循環を良くするために、舌の先を前歯の裏に付けて下さい。
(これは、太極拳や気功でも同じことを行います。気を流します。)
3、胸の中心にあるハートチャクラに、片手または両手で触れて下さい。
(胸のあたりです。体中に血液が送られている中心部でもあります)
4、そしてハートチャクラのエネルギーを感じながら呼吸をして下さい。
(感じることは目に見えないから、できてるのかな?って思うかもしれません。
できてると思えばできているから、まずは信じて行ってみてください!)
5、吸う息とともに、胸の中へ美しく神聖なエネルギーが流れ込む様子を視覚化して下さい。
6、吐く息とともに、「私にとって不要な全てのエネルギーが出て行く」と心でつぶやき、
全ての不要なエネルギーが、背中から煙のように出て、どんどん去って行く様子を視覚化して下さい。
その際は具体的に不要なエネルギーの内容を考えるとエゴが働いてしまうので、
何も考えず、ただこの世を司る大いなる存在に身を任せて下さい。
瞑想の時間は5〜15分が目安ですが、長くなっても構いません。
また、瞑想は朝と晩の両方に行うのがベストですが、いつでもできる時で大丈夫です。
ストレスが溜まっている時、良く眠れない時、嫌なことがあった時はもちろん、
幼少期のトラウマの解消などにも効果を発揮します。
追記コメント
●まず座ること
まずは、何をおいても、静かな場所を選んで、とりあえず座りましょう。いつも座る時間がないと思っている方も、今は座りましょう。座って心地のいい場所に背を伸ばして座りましょう。
椅子であっても床であっても、猫背になりすぎたり、深く掛け過ぎたりせず、自然な格好で座りましょう。
お気に入りの場所が今はないかもしれませんが、そのうち、定位置やお気に入りの場所が見つかるかもしれません。
ご家族の方がいらっしゃらない時、またはご家族の方に少しだけ協力をしてもらって、時間を作りましょう。
●息をすって~、はいて~。すって~、はいて~・・・穏やかな呼吸とともに、落ち着いていきましょう。
スケジュールやすべきこと(と思っている事)を、脇に置いてみましょうね。今、あなた自身のために、穏やかな5分の休息時間をとっても、あなたの人生は急激に終りません。
●静寂を楽しむ
空白・無の時間には、想像以上の力が宿っています。でもきっと周囲に静寂はないですよね。普通に生活していたら、物音はするものです。もしも音がうるさかったら、「音がうるさい」などという感情をつけずに、音を「音」をひとまとめにしてみるのはどうでしょう。
近所の子どもが騒いでいても、バイクのエンジン音が聞こえても、単なる「音」だと流す。ただひとつの「音のかたまり」として、流してみてください。そのうちに、心の静寂がやってきます・・・。
さぁ、どうそ
「クリーニングメディテーション」で、あなたの心をどんどん浄化してあげましょう!
俯瞰する・・・一歩引いて見る力。 [浄化の瞑想・クリーニング・メディテーション]
私も今より若い頃は、色々なことに厳しかったのです。特に自分に対して。10年くらい前から、性格がまるくなってきたと言われるようになったけれど、それは、「他人には厳しくなくなった」から。
でも自分に厳しくすることは、なかなか許せない。「あなたはいいけど、私はダメ。私はがんばらなくちゃ。」
こういう時は、突っ走るエネルギーが、良かれ悪しかれどんな状況もアドバイスも弾いてしまう。そうなると、もう走るしかないのかも。
一所懸命に何かに取り組むことは素晴らしいことですが、信じて取り組むのと、ガムシャラに取り組むというのは違います。
どんな人にも、心の中に「無意識の方程式」がある。頭ではナゼかはわからないのだけど、とにかく自分を無意識にそうさせてしまう何か。本当にしたいか、欲しているのかわからないまま、(どちらかというと、本当はしたくないような気がするのに、)どうしてもある行動が避けられない。
私の場合のこの厳しさは、「厳しくすることは愛情の大切な一面」という経験や知識に基づいた私の固定観念から生まれたもので、それは=(イコール)大切なものに厳しくする=自分が一番大切、という「無意識の方程式」だった。
「無意識の方程式」は、過去の記憶、育った家庭の風習、社会のルール、学校の規則、先生の性格、などで形成されていく。これが強くなれば強くなるほど、個と個の違いが明らかになる。すべての人間は平等に尊い、と言われても、社会集団の中で育ち、そういった方程式が強固になれば、優劣や善悪というものがついてくる。例えば、容姿、性格、成績、キャリア、身につける物、情報、結婚相手・・・なんでもそうでしょう。こういった外部からの情報のみで自分の歩む人生を判断すると、本来欲しているものに気づきにくくなる。
この、ガムシャラがんばりを、客観的に見れるだろうか?
客観的に見ることができたら、落ち着いて状況を把握し、その時時のベストな答えが出せ、より充実した一歩を進むことができるだろう。経験することで、自分の内側から学習することができる。
この「ベスト」というのは、知識やロジックが出す「ベスト」じゃなくて、自分の生にとって「ベストな答え」のこと。本来ここを通って人生を進めていけば、魂の生き方に逆らわないので、満たされる人生となります。現世で呼ばれるところの「幸せな人生」です。
私の場合のお話です。
誰かが多忙で健康を損なっている時、
「身体が No サインを送っている、少しでも休めばいいのに。」と思う。
同じく忙しい自分に、休むという選択肢はない。
「…(A)...だけど、...(B)... しないでおく」
と誰かが言うと、その人の本心と言い訳が、AかBのどちらであるかがわかる。
ところが、自分のこととなるとそういう分析ができない。
自分のことは客観的に見れないものだ。
確かに、他人を見るように自分を見る、というのは難しい・・・
では、一歩引いて、自分を見てはどうだろう。
一歩引いてみる・・・
それは、例えば、不調と感じる時に、「ここが不調だ」と観察してみたり、
苦しい状況を乗り越えられない時、「乗り越えられないでいる自分がいる」とただ見つめること。
・・・できない=辛い=ムリの式を頭でつくる前に、
なぜできないのかを考えてみる。
できるためには、何をするべきなのか。
できるためには、何を手放すべきなのか。
そもそも、それをしたいのか?
できた場合に、何を期待しているのだろう?それは得られるのか?
できない場合、得るものはなんだろう。
いろんな角度から自分を見つめてみる。
自分がしようとしていることを分析してみると、思わぬ方向に答えが見えたりする。
苦しい状況にいる時は、苦しい=嫌いだ=ダメの式は横に置いて、
どうして苦しいのかと考える。
何が自分を苦しくさせているのか。
なぜ、苦しいと感じるのか。
自分は本心では何がしたいのか。
何に対抗して苦しがっているのか。
苦しみを回避するための選択肢はあるのか。
誰かにそれを説明する必要があるのか、
一度そこから離れたほうがいいのか・・・
実際、窮地で一歩ひくというのは簡単でないように思われる。
私も同じく、何度も大嵐のど真ん中、吹き飛ばされてきた。
その時の自分がいるから、今の自分がいるんだから
何も逸れちゃいないんだけどね。
ただ、今、このことに気付いて思うのは、
出来事や行為に、自分の感情を癒着させないこと。
がんばることや、休息すること、厳しくすること、許すことなどに、最初から良し悪しはない。
あるのは経験から生まれた幻想的な思い込みや偏見だけ。
物事にくっつきたがる感情は、意識的に離せる。
私の場合はというと、ちょっとわかってきた。
厳しくする必要が、最初からなかったってことに・・・。
あるがまま
ガムシャラ・スギカエル・・・(タオのプーをご参照!)
自分を見つめる一番の方法は、瞑想すること・・・
でも自分に厳しくすることは、なかなか許せない。「あなたはいいけど、私はダメ。私はがんばらなくちゃ。」
こういう時は、突っ走るエネルギーが、良かれ悪しかれどんな状況もアドバイスも弾いてしまう。そうなると、もう走るしかないのかも。
一所懸命に何かに取り組むことは素晴らしいことですが、信じて取り組むのと、ガムシャラに取り組むというのは違います。
どんな人にも、心の中に「無意識の方程式」がある。頭ではナゼかはわからないのだけど、とにかく自分を無意識にそうさせてしまう何か。本当にしたいか、欲しているのかわからないまま、(どちらかというと、本当はしたくないような気がするのに、)どうしてもある行動が避けられない。
私の場合のこの厳しさは、「厳しくすることは愛情の大切な一面」という経験や知識に基づいた私の固定観念から生まれたもので、それは=(イコール)大切なものに厳しくする=自分が一番大切、という「無意識の方程式」だった。
「無意識の方程式」は、過去の記憶、育った家庭の風習、社会のルール、学校の規則、先生の性格、などで形成されていく。これが強くなれば強くなるほど、個と個の違いが明らかになる。すべての人間は平等に尊い、と言われても、社会集団の中で育ち、そういった方程式が強固になれば、優劣や善悪というものがついてくる。例えば、容姿、性格、成績、キャリア、身につける物、情報、結婚相手・・・なんでもそうでしょう。こういった外部からの情報のみで自分の歩む人生を判断すると、本来欲しているものに気づきにくくなる。
この、ガムシャラがんばりを、客観的に見れるだろうか?
客観的に見ることができたら、落ち着いて状況を把握し、その時時のベストな答えが出せ、より充実した一歩を進むことができるだろう。経験することで、自分の内側から学習することができる。
この「ベスト」というのは、知識やロジックが出す「ベスト」じゃなくて、自分の生にとって「ベストな答え」のこと。本来ここを通って人生を進めていけば、魂の生き方に逆らわないので、満たされる人生となります。現世で呼ばれるところの「幸せな人生」です。
私の場合のお話です。
誰かが多忙で健康を損なっている時、
「身体が No サインを送っている、少しでも休めばいいのに。」と思う。
同じく忙しい自分に、休むという選択肢はない。
「…(A)...だけど、...(B)... しないでおく」
と誰かが言うと、その人の本心と言い訳が、AかBのどちらであるかがわかる。
ところが、自分のこととなるとそういう分析ができない。
自分のことは客観的に見れないものだ。
確かに、他人を見るように自分を見る、というのは難しい・・・
では、一歩引いて、自分を見てはどうだろう。
一歩引いてみる・・・
それは、例えば、不調と感じる時に、「ここが不調だ」と観察してみたり、
苦しい状況を乗り越えられない時、「乗り越えられないでいる自分がいる」とただ見つめること。
・・・できない=辛い=ムリの式を頭でつくる前に、
なぜできないのかを考えてみる。
できるためには、何をするべきなのか。
できるためには、何を手放すべきなのか。
そもそも、それをしたいのか?
できた場合に、何を期待しているのだろう?それは得られるのか?
できない場合、得るものはなんだろう。
いろんな角度から自分を見つめてみる。
自分がしようとしていることを分析してみると、思わぬ方向に答えが見えたりする。
苦しい状況にいる時は、苦しい=嫌いだ=ダメの式は横に置いて、
どうして苦しいのかと考える。
何が自分を苦しくさせているのか。
なぜ、苦しいと感じるのか。
自分は本心では何がしたいのか。
何に対抗して苦しがっているのか。
苦しみを回避するための選択肢はあるのか。
誰かにそれを説明する必要があるのか、
一度そこから離れたほうがいいのか・・・
実際、窮地で一歩ひくというのは簡単でないように思われる。
私も同じく、何度も大嵐のど真ん中、吹き飛ばされてきた。
その時の自分がいるから、今の自分がいるんだから
何も逸れちゃいないんだけどね。
ただ、今、このことに気付いて思うのは、
出来事や行為に、自分の感情を癒着させないこと。
がんばることや、休息すること、厳しくすること、許すことなどに、最初から良し悪しはない。
あるのは経験から生まれた幻想的な思い込みや偏見だけ。
物事にくっつきたがる感情は、意識的に離せる。
私の場合はというと、ちょっとわかってきた。
厳しくする必要が、最初からなかったってことに・・・。
あるがまま
ガムシャラ・スギカエル・・・(タオのプーをご参照!)
自分を見つめる一番の方法は、瞑想すること・・・
心の声が聴こえる時-直感を知る [浄化の瞑想・クリーニング・メディテーション]
尊敬する師匠はヒーラー、二人も居てくれます
彼らを信じて、自分を信じて、進んでいるSpiritual Journey。
信じることほどシンプルなことはないけれど、
何の疑念もなくただ「信じる」ことが難しいと思った時もあった。
でも、難しくするのは誰でもなく私の心で、
疑念というのは私次第で簡単に取り払える。
「心の声を聴き続けなさい」
この言葉を心の奥底から、全身で信じて、毎朝晩の瞑想をやっている。
月日で換算すると8カ月。
それは何の指標にもならないけれど、
心の声は確かに聴こえてきた。
それは、間違いなく私の中にいる大きな存在の声。
これまで様々なビジョンが目の前や頭の中を通り過ぎたけど、
そこにエネルギーが使われようとされるものなら喝!!
「それが、なにか?」
それを語ることにエネルギーを費やすのではなく、
その直感を、力強く今この瞬間に送ることの方が重要ですから。
私が本当に私らしく生きるための第一歩
いつも、少しずつ、前進していくよ。
Respect Wha-Dho
彼らを信じて、自分を信じて、進んでいるSpiritual Journey。
信じることほどシンプルなことはないけれど、
何の疑念もなくただ「信じる」ことが難しいと思った時もあった。
でも、難しくするのは誰でもなく私の心で、
疑念というのは私次第で簡単に取り払える。
「心の声を聴き続けなさい」
この言葉を心の奥底から、全身で信じて、毎朝晩の瞑想をやっている。
月日で換算すると8カ月。
それは何の指標にもならないけれど、
心の声は確かに聴こえてきた。
それは、間違いなく私の中にいる大きな存在の声。
これまで様々なビジョンが目の前や頭の中を通り過ぎたけど、
そこにエネルギーが使われようとされるものなら喝!!
「それが、なにか?」
それを語ることにエネルギーを費やすのではなく、
その直感を、力強く今この瞬間に送ることの方が重要ですから。
私が本当に私らしく生きるための第一歩
いつも、少しずつ、前進していくよ。
Respect Wha-Dho
心騒がしい時こそ、瞑想をする。 [浄化の瞑想・クリーニング・メディテーション]
ここしばらく、心騒がしいことがあった。
考えたいから考えているのだけれど、実のところは考える必要がないような気がしてた。
日々の瞑想をしていれば、真に必要なことが残って、
必要なじゃないことは、心から取り除かれるだろうと、瞑想は欠かすことなく続けた。
何を考えていたか・・・
Funky Master が書いた本、"The Market Has Changed, Have You? "
を読んでから、パワフルに生きるとはどういうことか、と考えていたところから始まる。
この本、読むだけで「私もセールスの仕事でいけるんじゃなぃ!」と思わせる力がある。
SellingPower のPaul D'Souza 氏インタビューを見たら、
おぅっっと心に矢を射られるような感じになる。
・・・のは、私だけ?
ともかく年収を上げたいなら、すぐにこの本を実践するといいです
さて、セールスの仕事をしていれば、当然成績や数字をあげることが必要になる。
セールスパーソンじゃなくても、生きていくために多少なりとも銭が必要になる。
現代社会で、無一文でやっていくのは、明らかに無理があるし、
やはりお金をフローさせる(動かす)ことはエネルギッシュなことだと思う。
(貯め込んでうっはっはな小金持ちや、必要なことにもお金を差し出せないケチは論外)
本にも書かれていたが、マザー・テレサの営業センスは
平和と愛をもたらすエネルギーに満ち溢れていた
また、この本には、単に数字をあげるためのアグレッシブな戦略は描かれていない。
自分のターゲットをより明確にして、現在の自分を取り巻くミクロ~マクロの環境を
じっくりとリサーチして、そこから飛躍する方法を教えてくれる。
しかも、手取り、足取り。
読み進めるうち、ひとつひとつの人・物・事に意識を向けることが大切だということがわかる。
それらに意識を向けているか否かで、どれほど大きな違いがあるかということも。
本を読んだ後で、自分を鑑みた。
仕事をする上だけではなく、今生を生きる上で、
各人に備わった素質や使命を知ろうとする姿勢は必要・・・というよりも責任と思っている。
その使命をこの世に生かして一生を終えるにはエネルギーがいることもわかる。
そして私はそれを見つける途中。
だけど、目の前にあることを一所懸命するということは、
すでに知っていることで、間違いなく意味のあることだから、
それに対して真剣に向き合う。
それに加えて、Funky Masters の本に書いてあることに沿って、
個人レベルで、人と話したり、マーケットリサーチをしてみた。
「バジェットのことを考えるのは好きじゃない」という甘えたところがあって、
考えたくないけど、考えないと、というわけで心が騒いだのだ。
けれど、人と話したり、リサーチをしていると、方向性がはっきりした。
ここに瞑想がセットになればもうしめたもんだ。
瞑想をしていると、心が穏やかになる。欲がさらになくなっていく。
また、身体と心が無理して逆行することがなくなる。
今という瞬間を真摯に生き、瞑想をしている日々に、
「パワフル」のエッセンスが一滴広がって、心のざわめきは去った。
今日も穏やかでいられることに感謝します
考えたいから考えているのだけれど、実のところは考える必要がないような気がしてた。
日々の瞑想をしていれば、真に必要なことが残って、
必要なじゃないことは、心から取り除かれるだろうと、瞑想は欠かすことなく続けた。
何を考えていたか・・・
Funky Master が書いた本、"The Market Has Changed, Have You? "
を読んでから、パワフルに生きるとはどういうことか、と考えていたところから始まる。
この本、読むだけで「私もセールスの仕事でいけるんじゃなぃ!」と思わせる力がある。
SellingPower のPaul D'Souza 氏インタビューを見たら、
おぅっっと心に矢を射られるような感じになる。
・・・のは、私だけ?
ともかく年収を上げたいなら、すぐにこの本を実践するといいです
さて、セールスの仕事をしていれば、当然成績や数字をあげることが必要になる。
セールスパーソンじゃなくても、生きていくために多少なりとも銭が必要になる。
現代社会で、無一文でやっていくのは、明らかに無理があるし、
やはりお金をフローさせる(動かす)ことはエネルギッシュなことだと思う。
(貯め込んでうっはっはな小金持ちや、必要なことにもお金を差し出せないケチは論外)
本にも書かれていたが、マザー・テレサの営業センスは
平和と愛をもたらすエネルギーに満ち溢れていた
また、この本には、単に数字をあげるためのアグレッシブな戦略は描かれていない。
自分のターゲットをより明確にして、現在の自分を取り巻くミクロ~マクロの環境を
じっくりとリサーチして、そこから飛躍する方法を教えてくれる。
しかも、手取り、足取り。
読み進めるうち、ひとつひとつの人・物・事に意識を向けることが大切だということがわかる。
それらに意識を向けているか否かで、どれほど大きな違いがあるかということも。
本を読んだ後で、自分を鑑みた。
仕事をする上だけではなく、今生を生きる上で、
各人に備わった素質や使命を知ろうとする姿勢は必要・・・というよりも責任と思っている。
その使命をこの世に生かして一生を終えるにはエネルギーがいることもわかる。
そして私はそれを見つける途中。
だけど、目の前にあることを一所懸命するということは、
すでに知っていることで、間違いなく意味のあることだから、
それに対して真剣に向き合う。
それに加えて、Funky Masters の本に書いてあることに沿って、
個人レベルで、人と話したり、マーケットリサーチをしてみた。
「バジェットのことを考えるのは好きじゃない」という甘えたところがあって、
考えたくないけど、考えないと、というわけで心が騒いだのだ。
けれど、人と話したり、リサーチをしていると、方向性がはっきりした。
ここに瞑想がセットになればもうしめたもんだ。
瞑想をしていると、心が穏やかになる。欲がさらになくなっていく。
また、身体と心が無理して逆行することがなくなる。
今という瞬間を真摯に生き、瞑想をしている日々に、
「パワフル」のエッセンスが一滴広がって、心のざわめきは去った。
今日も穏やかでいられることに感謝します
ボディクリーニングメディテーション伝授! [浄化の瞑想・クリーニング・メディテーション]
以前に書いたものです↓
【ハートクリーニングメディテーション伝授!】
(2009年11月20日記事)
http://awalatina.blog.so-net.ne.jp/2009-11-20-1
Funky Master, Ms. Shino による、ハートクリーニングメディテーションの解説です。
私自身の経験から言うと、とりあえず座ってみてメディテーションをしてみるよりは、
然るべき人から方法を聞いてやるほうがやりやすいと思う。
それは、禅僧だったり、ヒーラーさんやヨギであったり。
その方が、不安や疑問があった時にちゃんと答えてくれる。
なので、このハートクリーニングメディテーションは非常に役に立ちました!
*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*・゚・
さて今回は、ボディクリーニングメディテーション。
Funky Master が連載しているマイスピに紹介されてます
『人生において、周囲の環境や人々に余計な影響を受けることなく、
内なる静けさ、内なる愛、内なる力、
そして内なる平和を持って生きていけることにも繋が・・・』
そんなこと、自分一人でできるの?
えぇぇ、、。
それはこちらから
【オーラや細胞レベルの大掃除!? ボディクリーニングメディテーションのメソッド】
http://www.myspiritual.jp/2009/12/post-910.html
参考になりまーす
【ハートクリーニングメディテーション伝授!】
(2009年11月20日記事)
http://awalatina.blog.so-net.ne.jp/2009-11-20-1
Funky Master, Ms. Shino による、ハートクリーニングメディテーションの解説です。
私自身の経験から言うと、とりあえず座ってみてメディテーションをしてみるよりは、
然るべき人から方法を聞いてやるほうがやりやすいと思う。
それは、禅僧だったり、ヒーラーさんやヨギであったり。
その方が、不安や疑問があった時にちゃんと答えてくれる。
なので、このハートクリーニングメディテーションは非常に役に立ちました!
*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*・゚・
さて今回は、ボディクリーニングメディテーション。
Funky Master が連載しているマイスピに紹介されてます
『人生において、周囲の環境や人々に余計な影響を受けることなく、
内なる静けさ、内なる愛、内なる力、
そして内なる平和を持って生きていけることにも繋が・・・』
そんなこと、自分一人でできるの?
えぇぇ、、。
それはこちらから
【オーラや細胞レベルの大掃除!? ボディクリーニングメディテーションのメソッド】
http://www.myspiritual.jp/2009/12/post-910.html
参考になりまーす
日常の中の瞑想 [浄化の瞑想・クリーニング・メディテーション]
お米の計量カップと思って使っていたのが、パン屋のプリンカップだったもののけです。
今日、量ってみたらピッタリ一合だった
Funky Spiritual Program (瞑想)を始めて3ヶ月経ちました。気づいたことを書きます。
自然に対して、ますます身近に感じるようになった。
渓谷や公園に頻繁行き、道を歩く時は天を仰いだり、道端の木や花をじっくり見る。
生花を家に飾っているけれど、瞑想を一緒にしているからか、いつまでも瑞々しくいてくれる。
この間、バラが3週間も咲いてくれた。ダリアもずーっと眺めていられるほど美しく咲いてくれた。
ポトスやアイビーがどんどん増えている(彼らの意思で勝手に増えている気もする…)。
食に対して今まで以上に意識する。
近くの畑で採れるものを買ったり、例えば買う時に直感を使ったりする。
あ、あなた逞しいサツマイモさんね、みたいな。
調理にかける時間が長くなり、レシピの幅も急に広がった。
(食べるものへの強いこだわりや執着がなくなった)
粉から手り出すようになった。味覚も変わった。
赤見の肉を食べるようになり、香辛料も食べられるようになった。
食パンや白米は食べなくなり、オートミールと玄米や胚芽米をよく食べるようになった。
掃除・クリーニングは以前からよくするけど、奇麗にすることに対して無理がなくなった。
あらゆる場所をくまなく完全にピカピカに、疲れていても掃除するのではなく、
時間がなければ、ただ食器を洗うことだけでもいいから、
一日一回、必ずどこかの汚れを取り除くようにする。その行為をただ、やる。
ヘアスタイルは、ストレート黒ロングから茶メッシュのショートになり、
もうすぐパーマをあてる気がする…
したいヘアスタイルどんぴしゃりな人に、最近2人もあった。
一人はマイケルの映画の中、もう一人は自由が丘。つまり、ほとんどいない(笑)
ブログを始めることは、リトリートで決心して年内には取りかかろうと思ってたけど、
勝手に手が動いて、いつのまにか書いている。Energy follows thoughts.
エネルギーがいっぱいで、手が勝手に書いている状態
人や場所と会うことに関しては、
嵐のような変革の日々は、誰かに会うとひっぱられそうになり怖かったけど、
今は軸が天から地にドーンと一本伸びている感覚があって、しっかりしている。
また、輝く薄い透明の皮膜のようなもので包まれている意識もある。
自分が付き合うべきでない空気や魂や場所というのも、今ははっきり感じる。
人と話す時は、丁寧に会話(魂と対峙)しようと気をつけている。
数日前から、またさらに落ち着いてきたので、魂ともっと丁寧なお付き合いしようと思う。
瞑想する時間が、当たり前の時間になった。
たくさんの夢を見て起きる朝は、瞑想しないと朝食は採る気にならず、
一日の終わりは、お風呂で汚れを落として、瞑想で心の汚れも落とさないと、寝る気にもならない。
瞑想することで、自分がここにいることを確かめられる。魂の在り処が確認できる。
魂を感じ、命をいただいて生かされていることに気づく。
自分に不要なことはよせつけないで(悩みもストレスも消えて)、
ただ幸せで満たされた気持ちになれる。
何しろ、心が軽くて、気持ちが楽で、いつも心地よい。
そういえばモト彼が初めて買った唯一の清水焼のお湯呑は、 『我唯足知』。
その状態になれる。
趣味や喜びを外部から取りこまなくても、自分の中にすでに満たされているものがあり、
それを感じることによって、自分は完全になれる。
魂は知ることしかできない。魂は考えることができない。だから瞑想をして魂を感じる。
それは、仕事をしたり、勉強をしたり、知識を得ることとは、全く別のところにある。
幸せが在るのは、魂の中
瞑想により、スピリチュアリティや魂の神聖さを感じられれば、心をしなやかに強く保てる。
瞑想をするのは、現実から逃げるためではなく、より強く地に足付けて生きるため。
悩み、痛み、恐怖、執着、迷い、怒り、妬み、強欲、勝敗・・・
それらのことから解き放たれて、確かな足取りで人生を歩んでいくこと。
これは私にだってできたのだから、難しいことじゃない。
この状態があれば、日常の一つ一つのことを、意識を持って行える。
この人生で、どこを、どう歩いていくのか、何を目指すのか、今何を得て、何を除くのか。
その根底にあるのは、幸せで満ち足りた魂。
土から離れて3週間以上経ったとは思えないバラ。
今日、量ってみたらピッタリ一合だった
Funky Spiritual Program (瞑想)を始めて3ヶ月経ちました。気づいたことを書きます。
自然に対して、ますます身近に感じるようになった。
渓谷や公園に頻繁行き、道を歩く時は天を仰いだり、道端の木や花をじっくり見る。
生花を家に飾っているけれど、瞑想を一緒にしているからか、いつまでも瑞々しくいてくれる。
この間、バラが3週間も咲いてくれた。ダリアもずーっと眺めていられるほど美しく咲いてくれた。
ポトスやアイビーがどんどん増えている(彼らの意思で勝手に増えている気もする…)。
食に対して今まで以上に意識する。
近くの畑で採れるものを買ったり、例えば買う時に直感を使ったりする。
あ、あなた逞しいサツマイモさんね、みたいな。
調理にかける時間が長くなり、レシピの幅も急に広がった。
(食べるものへの強いこだわりや執着がなくなった)
粉から手り出すようになった。味覚も変わった。
赤見の肉を食べるようになり、香辛料も食べられるようになった。
食パンや白米は食べなくなり、オートミールと玄米や胚芽米をよく食べるようになった。
掃除・クリーニングは以前からよくするけど、奇麗にすることに対して無理がなくなった。
あらゆる場所をくまなく完全にピカピカに、疲れていても掃除するのではなく、
時間がなければ、ただ食器を洗うことだけでもいいから、
一日一回、必ずどこかの汚れを取り除くようにする。その行為をただ、やる。
ヘアスタイルは、ストレート黒ロングから茶メッシュのショートになり、
もうすぐパーマをあてる気がする…
したいヘアスタイルどんぴしゃりな人に、最近2人もあった。
一人はマイケルの映画の中、もう一人は自由が丘。つまり、ほとんどいない(笑)
ブログを始めることは、リトリートで決心して年内には取りかかろうと思ってたけど、
勝手に手が動いて、いつのまにか書いている。Energy follows thoughts.
エネルギーがいっぱいで、手が勝手に書いている状態
人や場所と会うことに関しては、
嵐のような変革の日々は、誰かに会うとひっぱられそうになり怖かったけど、
今は軸が天から地にドーンと一本伸びている感覚があって、しっかりしている。
また、輝く薄い透明の皮膜のようなもので包まれている意識もある。
自分が付き合うべきでない空気や魂や場所というのも、今ははっきり感じる。
人と話す時は、丁寧に会話(魂と対峙)しようと気をつけている。
数日前から、またさらに落ち着いてきたので、魂ともっと丁寧なお付き合いしようと思う。
瞑想する時間が、当たり前の時間になった。
たくさんの夢を見て起きる朝は、瞑想しないと朝食は採る気にならず、
一日の終わりは、お風呂で汚れを落として、瞑想で心の汚れも落とさないと、寝る気にもならない。
瞑想することで、自分がここにいることを確かめられる。魂の在り処が確認できる。
魂を感じ、命をいただいて生かされていることに気づく。
自分に不要なことはよせつけないで(悩みもストレスも消えて)、
ただ幸せで満たされた気持ちになれる。
何しろ、心が軽くて、気持ちが楽で、いつも心地よい。
そういえばモト彼が初めて買った唯一の清水焼のお湯呑は、 『我唯足知』。
その状態になれる。
趣味や喜びを外部から取りこまなくても、自分の中にすでに満たされているものがあり、
それを感じることによって、自分は完全になれる。
魂は知ることしかできない。魂は考えることができない。だから瞑想をして魂を感じる。
それは、仕事をしたり、勉強をしたり、知識を得ることとは、全く別のところにある。
幸せが在るのは、魂の中
瞑想により、スピリチュアリティや魂の神聖さを感じられれば、心をしなやかに強く保てる。
瞑想をするのは、現実から逃げるためではなく、より強く地に足付けて生きるため。
悩み、痛み、恐怖、執着、迷い、怒り、妬み、強欲、勝敗・・・
それらのことから解き放たれて、確かな足取りで人生を歩んでいくこと。
これは私にだってできたのだから、難しいことじゃない。
この状態があれば、日常の一つ一つのことを、意識を持って行える。
この人生で、どこを、どう歩いていくのか、何を目指すのか、今何を得て、何を除くのか。
その根底にあるのは、幸せで満ち足りた魂。
土から離れて3週間以上経ったとは思えないバラ。
瞑想するときに炊くお香 [浄化の瞑想・クリーニング・メディテーション]
昨日、1ダース届いた
Nag Champa SATYA SAI BABA.
通称、サイ・ババ香です。
〔Funky Master 記事抜粋〕
(2001年)ノーベル賞の選考機関はサイ・ババをノーベル平和賞候補とするも、
かつて受賞を固辞し続けた「インド独立の父」マハトマ・ガンジーと同様に、
サイ・ババもまたそれを辞退しています。
御存じでしたでしょうか、私も知りませんでした。
Funky Masters に教えてもらい、小さいタイプを買っていたが、
毎朝・晩炊くので、あっという間になくなる。
なので、お得サイズを注文したのが早速届いのです!
大きな箱の特徴は、とってもかわいいパッケージ。
女の子ですもの・・・
〔記事抜粋〕
ほのかに甘い白檀の香りは
クラウンチャクラ(頭頂部)と第三の目のチャクラ(両目の間)を活性させ、
邪念を断って心に静けさをもたらし、より充実した瞑想をするのに役立っています。
うちには、アロマキャンドル、その他のお香がたくさんあるけれど、
瞑想するときには必ずこれを炊いているよ
記事はまたもやこちらトァァーーー
インドの聖者 " サイ・ババ "のお香で・・・
http://www.myspiritual.jp/2009/11/post-767.html
Nag Champa SATYA SAI BABA.
通称、サイ・ババ香です。
〔Funky Master 記事抜粋〕
(2001年)ノーベル賞の選考機関はサイ・ババをノーベル平和賞候補とするも、
かつて受賞を固辞し続けた「インド独立の父」マハトマ・ガンジーと同様に、
サイ・ババもまたそれを辞退しています。
御存じでしたでしょうか、私も知りませんでした。
Funky Masters に教えてもらい、小さいタイプを買っていたが、
毎朝・晩炊くので、あっという間になくなる。
なので、お得サイズを注文したのが早速届いのです!
大きな箱の特徴は、とってもかわいいパッケージ。
女の子ですもの・・・
〔記事抜粋〕
ほのかに甘い白檀の香りは
クラウンチャクラ(頭頂部)と第三の目のチャクラ(両目の間)を活性させ、
邪念を断って心に静けさをもたらし、より充実した瞑想をするのに役立っています。
うちには、アロマキャンドル、その他のお香がたくさんあるけれど、
瞑想するときには必ずこれを炊いているよ
記事はまたもやこちらトァァーーー
インドの聖者 " サイ・ババ "のお香で・・・
http://www.myspiritual.jp/2009/11/post-767.html
ハートクリーニングメディテーション伝授! [浄化の瞑想・クリーニング・メディテーション]
って、もう紹介済みだったわ、みたいな
Funky Masters are Mr. Paul D'Souza & Ms. Shino D'Souza!!
私がShino-san、つまり志野さんと出会ったのは、本当に不思議な巡り合わせ。今となってはもう所属していない[ミクシ]の国際結婚コミュニティで、志野さんが絶好のタイミングで各種のトラブルに対して、ピンポイントな解答を残されているのを何回も目撃したのが始まりでした。
私はモト彼と結婚にかかるビザの情報収集を始めていたので、このコミュに大変お世話になっていたのです。コミュの人たちは複雑に絡みあった問題に直面していたりして、掲示板でアドバイスを求めたものの、逆にわからなくなってしまう人が少なからずいました。
そこへ登場したのが志野さん。
私は全く口が出せないことにも、志野さんはぴしゃりと回答。光っていました
既にコミュは退会したけれど、まるで志野さんに出会うために入ったようなコミュでした。
その頃、今は想像できないほど、私は「怒り」に満ちていました。
人生に対する怒り、過去に対する怒り、地元に対する怒り、宗教に対する怒り、
医者に対する怒り、彼に対する怒り、仕事に対する怒り・・・・
それはもう何もかもが怒り!怒りが怒りのお友達を読んで、怒りの大パーティ!!
(ほんとトンデモナイ話。)
そんな時、彼女がヒーラーでも、コンサルタントとも知らず、ご相談させてくださいませんか、
と短いメッセージを送ったあと、
これもかあれもかという超長いメッセージを書き綴った()のが始まり。
まだ顔も見たことがない人から、こんなことって困惑でしょうね。。。
でも他に、どこにも行きようがなかったんです。志野さんは私の最後の光、
そして、それは最初の光になりました!!(←比喩。もう書かなくていい?)
私は、まず徹底的にクリーニングメディテーションをするように勧められた。
その時、私は何も知らない状態。瞑想することで何が得られるのか、よくわからない。
ただ、彼女の教えてくれる通りの手順で、心の浄化を毎日、欠かさず行ったのです。
するとどう!!私はすっかりブッダのように
(す・・・すみません、、、)
ただ、このハートクリーニングメディテーション、残念ながら私からうまく説明することができません。
なので志野さんから直伝していただきましょう!
志野さんが掲載されている、連載記事の一つです。
リンクいっちゃっていいんですね!?
しかも記事には、Mr. Paul D'Souza の写真も掲載されています
OKay, here ~~~ we go!!
マイスピ読者限定!! 「ハートクリーニング・メディテーション」の伝授
http://www.myspiritual.jp/2009/09/post-508.html
(ご本人の言葉に、編集者がアレンジすることもあるのだそうです。
なので、ご本人直接の言葉はブログで↓↓)
Shino D'Souza's Blog
http://blog.shino-dsouza-blog.com/
Paul D'Souza's HP
http://www.pauldsouza.com/wordpress/
(本を出版されました!)
和道HP
http://www.pauldsouza.com/index.php
師匠、早く日本に来てくれないかしらっ
Funky Masters are Mr. Paul D'Souza & Ms. Shino D'Souza!!
私がShino-san、つまり志野さんと出会ったのは、本当に不思議な巡り合わせ。今となってはもう所属していない[ミクシ]の国際結婚コミュニティで、志野さんが絶好のタイミングで各種のトラブルに対して、ピンポイントな解答を残されているのを何回も目撃したのが始まりでした。
私はモト彼と結婚にかかるビザの情報収集を始めていたので、このコミュに大変お世話になっていたのです。コミュの人たちは複雑に絡みあった問題に直面していたりして、掲示板でアドバイスを求めたものの、逆にわからなくなってしまう人が少なからずいました。
そこへ登場したのが志野さん。
私は全く口が出せないことにも、志野さんはぴしゃりと回答。光っていました
既にコミュは退会したけれど、まるで志野さんに出会うために入ったようなコミュでした。
その頃、今は想像できないほど、私は「怒り」に満ちていました。
人生に対する怒り、過去に対する怒り、地元に対する怒り、宗教に対する怒り、
医者に対する怒り、彼に対する怒り、仕事に対する怒り・・・・
それはもう何もかもが怒り!怒りが怒りのお友達を読んで、怒りの大パーティ!!
(ほんとトンデモナイ話。)
そんな時、彼女がヒーラーでも、コンサルタントとも知らず、ご相談させてくださいませんか、
と短いメッセージを送ったあと、
これもかあれもかという超長いメッセージを書き綴った()のが始まり。
まだ顔も見たことがない人から、こんなことって困惑でしょうね。。。
でも他に、どこにも行きようがなかったんです。志野さんは私の最後の光、
そして、それは最初の光になりました!!(←比喩。もう書かなくていい?)
私は、まず徹底的にクリーニングメディテーションをするように勧められた。
その時、私は何も知らない状態。瞑想することで何が得られるのか、よくわからない。
ただ、彼女の教えてくれる通りの手順で、心の浄化を毎日、欠かさず行ったのです。
するとどう!!私はすっかりブッダのように
(す・・・すみません、、、)
ただ、このハートクリーニングメディテーション、残念ながら私からうまく説明することができません。
なので志野さんから直伝していただきましょう!
志野さんが掲載されている、連載記事の一つです。
リンクいっちゃっていいんですね!?
しかも記事には、Mr. Paul D'Souza の写真も掲載されています
OKay, here ~~~ we go!!
マイスピ読者限定!! 「ハートクリーニング・メディテーション」の伝授
http://www.myspiritual.jp/2009/09/post-508.html
(ご本人の言葉に、編集者がアレンジすることもあるのだそうです。
なので、ご本人直接の言葉はブログで↓↓)
Shino D'Souza's Blog
http://blog.shino-dsouza-blog.com/
Paul D'Souza's HP
http://www.pauldsouza.com/wordpress/
(本を出版されました!)
和道HP
http://www.pauldsouza.com/index.php
師匠、早く日本に来てくれないかしらっ
メディテーション=瞑想することは? [浄化の瞑想・クリーニング・メディテーション]
Funky Masters と出会い、リトリートをしてから物事の奥深さに気づくことができた。すべての新しい出会いに扉があり、いや、今まで出会ったものにも扉はあったが、そこから未知なるわたしを探す旅に出ています。
どの扉をたたいても、その向こう側へ踏み出す方法は、自分の魂と向き合うこと。向き合わなかったら、いつまでもノックしてはまた出直すことの繰り返し。自分の魂と向き合う時間の大切さに、最近気づいたけれど、一旦気づいてしまうと、こんなに大切な時間を今まで持っていなかったことが不思議・・・。
それは、僧侶や侍をはじめ、昔から多くの人が実践している瞑想。
初めてのメディテーションとの出会いは、マウイ島で突然降ってきたスコールの中。ビーチの木陰にあったボロボロの小屋で、雨宿りをしていたらおじさんが駆け込んだ。おじさんは、波の音でメディテーションをするといいんだよ、って話してくれた後、3日間毎日ロミロミをしてくれた。彼はロミロミで人を癒すことを仕事にしている人だった。
その日記↓
タイトルが、「マウイ島で生き返る」・・・確かに仕事で半死にだった
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=622049558&owner_id=560403
間違いない、あれは瞑想への最初の一歩だった。私の心が自分の状態を把握しようとして、よくわからないまま終わってしまったけれど。
それから、テーラワーダ仏教の藤川和尚の講和を聞いて落ち着き、それから毎日瞑想するようになったが、瞑想している間に呼吸を忘れるのは何故だろうと思っていた。
http://mixi.jp/edit_diary.pl?id=1114146514
瞑想をするのにガイドがいるんだけど、って感じていたら、Funky Masters が現れた。それからは、朝晩必ず、毎日瞑想をしている。
瞑想を始めると、やはりいろんな疑問が出てくる。小さな事や、大きなこと。霊性が高まることで、今までにない経験もある。瞑想を始めた時は、まだマスター達と顔を合わせていなかったけど、遠距離なのでメールで様々なことについて教えてもらった。瞑想の種類ややり方、どのような姿勢で向きあうのか、その他たくさんの貴重なアドバイスをもらった。
瞑想すればどうなるかなんて知る由もないが、初めて自分自身が宇宙の星になった時は、一体私、どうなっちゃうの!?って、思ったものです。今思うと、それは、ホントの自分、本来の人生を歩むことの準備が出来たサインだったのかもしれない。
マスター達が、遠くからでも温かく見守っていてくれるから、信念と愛を持って瞑想を続けられた。現在、すでに瞑想はなくてはならないものになりました。
私がいるのは、入口のドアを開けたところ。これからも正しい方向に導かれながら、見守られながら、魂の旅を続けていきます!
どの扉をたたいても、その向こう側へ踏み出す方法は、自分の魂と向き合うこと。向き合わなかったら、いつまでもノックしてはまた出直すことの繰り返し。自分の魂と向き合う時間の大切さに、最近気づいたけれど、一旦気づいてしまうと、こんなに大切な時間を今まで持っていなかったことが不思議・・・。
それは、僧侶や侍をはじめ、昔から多くの人が実践している瞑想。
初めてのメディテーションとの出会いは、マウイ島で突然降ってきたスコールの中。ビーチの木陰にあったボロボロの小屋で、雨宿りをしていたらおじさんが駆け込んだ。おじさんは、波の音でメディテーションをするといいんだよ、って話してくれた後、3日間毎日ロミロミをしてくれた。彼はロミロミで人を癒すことを仕事にしている人だった。
その日記↓
タイトルが、「マウイ島で生き返る」・・・確かに仕事で半死にだった
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=622049558&owner_id=560403
間違いない、あれは瞑想への最初の一歩だった。私の心が自分の状態を把握しようとして、よくわからないまま終わってしまったけれど。
それから、テーラワーダ仏教の藤川和尚の講和を聞いて落ち着き、それから毎日瞑想するようになったが、瞑想している間に呼吸を忘れるのは何故だろうと思っていた。
http://mixi.jp/edit_diary.pl?id=1114146514
瞑想をするのにガイドがいるんだけど、って感じていたら、Funky Masters が現れた。それからは、朝晩必ず、毎日瞑想をしている。
瞑想を始めると、やはりいろんな疑問が出てくる。小さな事や、大きなこと。霊性が高まることで、今までにない経験もある。瞑想を始めた時は、まだマスター達と顔を合わせていなかったけど、遠距離なのでメールで様々なことについて教えてもらった。瞑想の種類ややり方、どのような姿勢で向きあうのか、その他たくさんの貴重なアドバイスをもらった。
瞑想すればどうなるかなんて知る由もないが、初めて自分自身が宇宙の星になった時は、一体私、どうなっちゃうの!?って、思ったものです。今思うと、それは、ホントの自分、本来の人生を歩むことの準備が出来たサインだったのかもしれない。
マスター達が、遠くからでも温かく見守っていてくれるから、信念と愛を持って瞑想を続けられた。現在、すでに瞑想はなくてはならないものになりました。
私がいるのは、入口のドアを開けたところ。これからも正しい方向に導かれながら、見守られながら、魂の旅を続けていきます!