「自然」に生きることのススメ [和道 Wha-Dho 哲学]
ファストフードやコンビニ食(食品添加物)を辞めて10年以上、玄米食になって5年くらい。日常の食事は有機野菜中心にして、できるだけ添加物はとらないようにもしている。有機畑で働いたり、味噌も手作りして、限りなく自然に近いものを採る生活を心がけている。歯磨き粉やシャンプー、コスメも無添加。髪のカラーリングやパーマも辞めて久しい。緑あふれる自然が好きだから、環境を破壊しすぎないようにはしたい。(既に都会生活でいろんなところで自然を犠牲にはしているけれど・・・)
と言っても、そんなストリクトになっているわけではなく、ただ、日常生活で自然に近いものに触れている方が、毎日の体調が良いと思うから続けているだけ。何でもやりすぎる・やらなすぎると不調が出てくるけれど、上手い具合にバランスが取れているとずっと穏やかな体調でいられる。
しかも、現職で取り扱っている商品もできるだけ自然に近いもの。なので、ある意味、私で人体実験ができるわけです。私が使って何かの不調が出れば、それは改良の余地があるっていう基準にもなるから。
食生活に関しては、たとえ帰宅が遅くても、週末にある程度準備しておけば、1週間毎日手作りの食事(&お弁当)が食べられる。いわゆる粗食、だから調理時間もそんなに要らない。どんな食材を、どれくらいの量採ればいいかわかっていると、昼食後に眠くなるということもない。食作り時間の確保、食べる食材・内容、食べる時間帯・・・などなど、社会的に制限される部分もあるけれど、自分に合うライフスタイルや食生活を続けて元気な身体をつくることは、充実して生きるための大基盤だと思う。
そして心。心は身体のコンディションが良くなることをとても喜んでいる。身体がよくなってくれば、心が本当は「こうしたい」「あぁしたい」と常々思っていることを「私」に向けて発信してくれる。しかも、体調がよければ、その「声」を実行することも可能。
逆に体調がよくなければエネルギーが滞り、心も黙り込んでしまう。だから、食と同じくらい必要なのが、静寂の時間。身体のケアすると同時に、頭を休ませ、心を解放してあげることが必要ですね。頭で理詰めばかりにしていると、心の出番は全くなくなってしまう。自分の人生をどう生きるかのキー・ステーションは、心だというのに。。。
瞑想は、奇跡の地球に生まれた「人間」という生命体全体に与えられた「自然」に近づく大切な時間・・・だと一部の物理学者、ダライ・ラマやあらゆる成功者も話している。私もそう思う。
そもそも、自分はひとつで、身体と心を切り離すことはできない。身体と心が同調していないと、不具合が生じてくる。例えば、パソコンの電源を落としたいのに、「絶対電源は落とさせない」と言って無理に動かしていると不具合が生じるのに少し似ているかもしれない。でも、この不具合は、人の場合はもっとやっかい。だって、人は「心」を持っている生きものだから。
大切にしてあげないとね、心の声。
インドに修行に行かなくても、ハワイに逃避しなくても、仕事が終わった夜にできるんだよ。
それは、人生を変えるパワーを持っている・・・といっても、実は変わった後の人生が、本来あなたが歩むべき本当の人生だったりするんだけど。
キーワードは「瞑想」!
と言っても、そんなストリクトになっているわけではなく、ただ、日常生活で自然に近いものに触れている方が、毎日の体調が良いと思うから続けているだけ。何でもやりすぎる・やらなすぎると不調が出てくるけれど、上手い具合にバランスが取れているとずっと穏やかな体調でいられる。
しかも、現職で取り扱っている商品もできるだけ自然に近いもの。なので、ある意味、私で人体実験ができるわけです。私が使って何かの不調が出れば、それは改良の余地があるっていう基準にもなるから。
食生活に関しては、たとえ帰宅が遅くても、週末にある程度準備しておけば、1週間毎日手作りの食事(&お弁当)が食べられる。いわゆる粗食、だから調理時間もそんなに要らない。どんな食材を、どれくらいの量採ればいいかわかっていると、昼食後に眠くなるということもない。食作り時間の確保、食べる食材・内容、食べる時間帯・・・などなど、社会的に制限される部分もあるけれど、自分に合うライフスタイルや食生活を続けて元気な身体をつくることは、充実して生きるための大基盤だと思う。
そして心。心は身体のコンディションが良くなることをとても喜んでいる。身体がよくなってくれば、心が本当は「こうしたい」「あぁしたい」と常々思っていることを「私」に向けて発信してくれる。しかも、体調がよければ、その「声」を実行することも可能。
逆に体調がよくなければエネルギーが滞り、心も黙り込んでしまう。だから、食と同じくらい必要なのが、静寂の時間。身体のケアすると同時に、頭を休ませ、心を解放してあげることが必要ですね。頭で理詰めばかりにしていると、心の出番は全くなくなってしまう。自分の人生をどう生きるかのキー・ステーションは、心だというのに。。。
瞑想は、奇跡の地球に生まれた「人間」という生命体全体に与えられた「自然」に近づく大切な時間・・・だと一部の物理学者、ダライ・ラマやあらゆる成功者も話している。私もそう思う。
そもそも、自分はひとつで、身体と心を切り離すことはできない。身体と心が同調していないと、不具合が生じてくる。例えば、パソコンの電源を落としたいのに、「絶対電源は落とさせない」と言って無理に動かしていると不具合が生じるのに少し似ているかもしれない。でも、この不具合は、人の場合はもっとやっかい。だって、人は「心」を持っている生きものだから。
大切にしてあげないとね、心の声。
インドに修行に行かなくても、ハワイに逃避しなくても、仕事が終わった夜にできるんだよ。
それは、人生を変えるパワーを持っている・・・といっても、実は変わった後の人生が、本来あなたが歩むべき本当の人生だったりするんだけど。
キーワードは「瞑想」!
退屈な人生? [和道 Wha-Dho 哲学]
最近、数人から同じ言葉を聞きました。
「生きることが退屈。」
「同じ繰り返しの毎日にブチ鬱。」
「いつの間にか人生の意味を見失った。
だけど、いつなぜこうなったのかわからない」
一時期、これは「平和ボケ」と言われていたように思います。
しかし、戦火の土地に平和が訪れたら、ボケるわけがありません。心の中の恐怖や不安を克服したら、ボケるわけがありません。あるのは、喜びに満ちた輝きです。心の平安や静寂は、本来生きる意味をもたらすはずです。
なので、これは情報に溢れた社会の中で、心を疎かにしてしまったため、自分のコアを見失い、情報に翻弄されてしまっている状態ではないかと想像します。
生きることは無常。言いかえれば、常に新しい一瞬を生きています。
体は常に、呼吸をし、血液を循環させ、細胞分裂を繰り返し、五感は世界を知覚しています。外部では、風が吹き、太陽が照り、自然界と人工の音が流れ、そして、話したり、食べたり、コミュニケーションしたり・・・意識すると、人生は不思議な変化で溢れています。
ですが、もし人生に飽きていて、次の心躍る機会まで退屈な日常を凌ぐ、という想いがあるとすれば、それは気づかぬうちに、「変化を止めたい自分」を抱きしめている可能性があります。
原因は、時間がない、変化が怖い、執着している、向き合いたくない・・・等々。
自分の生を敬うことを忘れると、いつのまにかバランスを失ってしまいます。
自分が、自分の人生を生きるために、大切なこととは一体なんでしょう?
それは、心に向き合うことで気づき、取り戻すことができます。
自分自身を一度リセットすれば、変化に富んだ毎日に気づくことができます。
反対に、この「突破口」を外部へ求めれば求めるほど、さらなる混乱を招きます。
愛している人に囲まれているのに、何かが足りない?
毎日忙しいのに、心は退屈?
仕事に恵まれているのに、人生の意味を感じない?
どのような状況でも、中心をもう一度見直せば、今と同じ環境で人生は意味あるものへと変わります。
人は、退屈な人生を送るためや、暇をもてあますために生まれてきたわけではありません。
生きる意味を問い直せば、そこには豊かで輝いた人生があります
「生きることが退屈。」
「同じ繰り返しの毎日にブチ鬱。」
「いつの間にか人生の意味を見失った。
だけど、いつなぜこうなったのかわからない」
一時期、これは「平和ボケ」と言われていたように思います。
しかし、戦火の土地に平和が訪れたら、ボケるわけがありません。心の中の恐怖や不安を克服したら、ボケるわけがありません。あるのは、喜びに満ちた輝きです。心の平安や静寂は、本来生きる意味をもたらすはずです。
なので、これは情報に溢れた社会の中で、心を疎かにしてしまったため、自分のコアを見失い、情報に翻弄されてしまっている状態ではないかと想像します。
生きることは無常。言いかえれば、常に新しい一瞬を生きています。
体は常に、呼吸をし、血液を循環させ、細胞分裂を繰り返し、五感は世界を知覚しています。外部では、風が吹き、太陽が照り、自然界と人工の音が流れ、そして、話したり、食べたり、コミュニケーションしたり・・・意識すると、人生は不思議な変化で溢れています。
ですが、もし人生に飽きていて、次の心躍る機会まで退屈な日常を凌ぐ、という想いがあるとすれば、それは気づかぬうちに、「変化を止めたい自分」を抱きしめている可能性があります。
原因は、時間がない、変化が怖い、執着している、向き合いたくない・・・等々。
自分の生を敬うことを忘れると、いつのまにかバランスを失ってしまいます。
自分が、自分の人生を生きるために、大切なこととは一体なんでしょう?
それは、心に向き合うことで気づき、取り戻すことができます。
自分自身を一度リセットすれば、変化に富んだ毎日に気づくことができます。
反対に、この「突破口」を外部へ求めれば求めるほど、さらなる混乱を招きます。
愛している人に囲まれているのに、何かが足りない?
毎日忙しいのに、心は退屈?
仕事に恵まれているのに、人生の意味を感じない?
どのような状況でも、中心をもう一度見直せば、今と同じ環境で人生は意味あるものへと変わります。
人は、退屈な人生を送るためや、暇をもてあますために生まれてきたわけではありません。
生きる意味を問い直せば、そこには豊かで輝いた人生があります
父はアルツハイマー [和道 Wha-Dho 哲学]
父が喉頭ガンで声を失ったのは、もう5年か6年前のこと。
小さい頃からずっとパパっ子で、両親が離婚して母とは正反対の継母がお寺に来てからも、私は残って、お寺と父の世話をしていくつもりでいた。東京に引っ越しても、いつか京都のお寺に戻るつもりで・・・20代中盤まで。父の近くで父をサポートしたいと思っていた。
なんて傲慢だったんだろうと気づいたのは30歳前。父も必死に生きていただろうし、どうして私が一人の命を「救った」り、「助けた」りできるのだろう。だけどあの頃はお寺と父を何とかしたかった。何かに引き離されて東京に引っ越してきたのに、それでもやれること以上のことをやり続けた。
家族に相談し、檀家に応援を求め、本山へ出向き、大奥の応接間でその時を待ち・・・。そして、できることをすべてやりつくした時、お寺を継ぐことをあきらめた。それは私の使命じゃなかったんだと。自分の人生がお寺にない事を、神さまは私に教えてくれていたのに、長い間無視し続けたから心が苦しんでいたのだと思う。お寺は私の人生から去った、お寺でできること以上の事を、現世ですればいいと思った。
だけど、父との関係は終わっていない。
そう、5年か6年前に、風の便りで父のガンを知り、声帯摘出の手術を知った。
声がなくなる前に父に会いに行きなさいと誰かに言われて、ある日東京から新幹線で京都へ向かった。京大病院の病室へ行くと、父がお客さんを迎えるような顔でこちらを向いた。
「こんにちは。」
「こんにちは、久しぶりの再会ですね。元気でしたか?」
私が父に会いに行った目的は、やはり父が好きだったからだと思う。小さい時に一緒に遊んだこととか、いろんな場所に連れて行ってくれたこととか、やっぱり私は「お父さんの子」って思いたかったんだと思う。
他人みたいな会話をしてから、父が私に手紙を書きたいと言って紙とペンを持ったので、父に私の住所を告げた。
その後、彼は訊いた、
「名前は?」
父は私の名前を覚えていなかった。
涙をこらえるのに、少し震えた。
名付けてくれたはずの父が、私の名前も漢字も覚えてなかった。
父は、きっと手術のショックか検査や麻酔で、疲れているのかと思った。
今年、2011年7月、大阪へ出張ついでにお休みもらって、お墓参りへ行こうと思った。お墓参りはいつもするけれど、今回は何故かこのタイミングでお寺の中に入るしかないと不思議な感じがあった。去年、父が養子をとったと聞いていたので、私の6人目の初の男兄弟に挨拶してもいいかと思ったのもあるし、裏庭を見ながらゆっくり瞑想でもしてみたかったのかもしれない。
山門を入ってから感じたのは、雰囲気がまるで幽霊寺。小さい頃に感じた清らかなエネルギーを、もう全く感じられなかった。エネルギーが淀んで暗い。
お寺の玄関を入ると、継母に続いて父が出てきた。
彼はぺこぺこぺこぺこしていて、私のことを見てにこにこ笑っている。
私は久しぶりなので、近くに行って「こんにちは」といって目を見た。
でも、目の中の私は他人だった。彼は敬礼をしていて、私もなすすべがなく、ひたすらお辞儀をするしかなかった。
今回、父が声を失ったのは、もう心を外に出さないことが現実化してしまったように感じるし、記憶を失ったのは、彼が辛い人生を忘れたいと願ったからかもしれない。幼い頃に父が経験した孤独と寂しさを、きっとずっと一人で抱え込んだのかもしれないし、人がコントロールすることのできない何かが、彼の記憶を消し去ったのかもしれないと思う。わからない。でも、父は彼にしかできない方法で私にいろんなことを教えてくれたし、父が居たからこそ私は産まれてきたのだから、私は父に穏やかに感謝している。
不調や病気の原因は、確かに日常生活の乱れや栄養の不摂生が関係あるけれど、悲しみや孤独も立派に病気の原因になる。精神的な悩みは、いずれ積み重なって必ず表面化してくる。
私がお寺を立て直したい、父の人生を立ち直らせたいと思っていたのはエゴで、見直すべきだったのは私の心だった。それまでの私は、途上国支援や貧しい人の援助ばかりをしていて、自分の心を無視できるのなら、いくらでも人のお世話をした。人、場所、国、時代が持つカルマは大きすぎて、一人の力ではなんともできないのに。
過去世で、私と父は何度も近い場所で人生を共にしたかもしれない。今を生きる上で、彼とのカルマを昇華させなければならなかったのだと思う。長い時間がかかったけれど、私はこれで、本当の意味で、過去のカルマを終え、今回の人生のカルマに向き合えると感じる。
瞑想をすることで、様々な真実に気づく。
瞑想するだけではなく、実際に行動することで自分の人生が見えてくる。
-生まれてきた意味
-生きる目的
-与えられた人生の使命
-歩くべき道
-共に歩むパートナー
天を敬い、人を愛し、地面にしっかり足をつけて生きていれば、必要なこと与えられる。
だから私も、今に専心して生きていたいと思う。
心を無視してむやみに生きることはもうない。
執着もしない。不器用かもしれないけど真正面を向いて生きていく。
感謝と喜びを感じる「今」の連続が、真の幸せを運んでくるのがわかったから。
小さい頃からずっとパパっ子で、両親が離婚して母とは正反対の継母がお寺に来てからも、私は残って、お寺と父の世話をしていくつもりでいた。東京に引っ越しても、いつか京都のお寺に戻るつもりで・・・20代中盤まで。父の近くで父をサポートしたいと思っていた。
なんて傲慢だったんだろうと気づいたのは30歳前。父も必死に生きていただろうし、どうして私が一人の命を「救った」り、「助けた」りできるのだろう。だけどあの頃はお寺と父を何とかしたかった。何かに引き離されて東京に引っ越してきたのに、それでもやれること以上のことをやり続けた。
家族に相談し、檀家に応援を求め、本山へ出向き、大奥の応接間でその時を待ち・・・。そして、できることをすべてやりつくした時、お寺を継ぐことをあきらめた。それは私の使命じゃなかったんだと。自分の人生がお寺にない事を、神さまは私に教えてくれていたのに、長い間無視し続けたから心が苦しんでいたのだと思う。お寺は私の人生から去った、お寺でできること以上の事を、現世ですればいいと思った。
だけど、父との関係は終わっていない。
そう、5年か6年前に、風の便りで父のガンを知り、声帯摘出の手術を知った。
声がなくなる前に父に会いに行きなさいと誰かに言われて、ある日東京から新幹線で京都へ向かった。京大病院の病室へ行くと、父がお客さんを迎えるような顔でこちらを向いた。
「こんにちは。」
「こんにちは、久しぶりの再会ですね。元気でしたか?」
私が父に会いに行った目的は、やはり父が好きだったからだと思う。小さい時に一緒に遊んだこととか、いろんな場所に連れて行ってくれたこととか、やっぱり私は「お父さんの子」って思いたかったんだと思う。
他人みたいな会話をしてから、父が私に手紙を書きたいと言って紙とペンを持ったので、父に私の住所を告げた。
その後、彼は訊いた、
「名前は?」
父は私の名前を覚えていなかった。
涙をこらえるのに、少し震えた。
名付けてくれたはずの父が、私の名前も漢字も覚えてなかった。
父は、きっと手術のショックか検査や麻酔で、疲れているのかと思った。
今年、2011年7月、大阪へ出張ついでにお休みもらって、お墓参りへ行こうと思った。お墓参りはいつもするけれど、今回は何故かこのタイミングでお寺の中に入るしかないと不思議な感じがあった。去年、父が養子をとったと聞いていたので、私の6人目の初の男兄弟に挨拶してもいいかと思ったのもあるし、裏庭を見ながらゆっくり瞑想でもしてみたかったのかもしれない。
山門を入ってから感じたのは、雰囲気がまるで幽霊寺。小さい頃に感じた清らかなエネルギーを、もう全く感じられなかった。エネルギーが淀んで暗い。
お寺の玄関を入ると、継母に続いて父が出てきた。
彼はぺこぺこぺこぺこしていて、私のことを見てにこにこ笑っている。
私は久しぶりなので、近くに行って「こんにちは」といって目を見た。
でも、目の中の私は他人だった。彼は敬礼をしていて、私もなすすべがなく、ひたすらお辞儀をするしかなかった。
今回、父が声を失ったのは、もう心を外に出さないことが現実化してしまったように感じるし、記憶を失ったのは、彼が辛い人生を忘れたいと願ったからかもしれない。幼い頃に父が経験した孤独と寂しさを、きっとずっと一人で抱え込んだのかもしれないし、人がコントロールすることのできない何かが、彼の記憶を消し去ったのかもしれないと思う。わからない。でも、父は彼にしかできない方法で私にいろんなことを教えてくれたし、父が居たからこそ私は産まれてきたのだから、私は父に穏やかに感謝している。
不調や病気の原因は、確かに日常生活の乱れや栄養の不摂生が関係あるけれど、悲しみや孤独も立派に病気の原因になる。精神的な悩みは、いずれ積み重なって必ず表面化してくる。
私がお寺を立て直したい、父の人生を立ち直らせたいと思っていたのはエゴで、見直すべきだったのは私の心だった。それまでの私は、途上国支援や貧しい人の援助ばかりをしていて、自分の心を無視できるのなら、いくらでも人のお世話をした。人、場所、国、時代が持つカルマは大きすぎて、一人の力ではなんともできないのに。
過去世で、私と父は何度も近い場所で人生を共にしたかもしれない。今を生きる上で、彼とのカルマを昇華させなければならなかったのだと思う。長い時間がかかったけれど、私はこれで、本当の意味で、過去のカルマを終え、今回の人生のカルマに向き合えると感じる。
瞑想をすることで、様々な真実に気づく。
瞑想するだけではなく、実際に行動することで自分の人生が見えてくる。
-生まれてきた意味
-生きる目的
-与えられた人生の使命
-歩くべき道
-共に歩むパートナー
天を敬い、人を愛し、地面にしっかり足をつけて生きていれば、必要なこと与えられる。
だから私も、今に専心して生きていたいと思う。
心を無視してむやみに生きることはもうない。
執着もしない。不器用かもしれないけど真正面を向いて生きていく。
感謝と喜びを感じる「今」の連続が、真の幸せを運んでくるのがわかったから。
それは「地球学校」だから 2 of 2 [和道 Wha-Dho 哲学]
「地球学校」Part 1.では、瞑想によって魂の声を聴くことができれば、引き寄せの法則へとつながっていくのだ、というお話しでした。
引き続き、私の世界をご堪能ください(笑)。
現代社会は経済の上に成り立っている社会で、実際に地に足つけて生きるにはまずはお金が必要です。前回述べた内容を理解したうえで、それらを現実社会に活かしたならば、お金は運ばれてくる。だから引き寄せの法則やザ・シークレットに出てくる人たちは決まって、お金持ちなのです。スピリチュアリティを趣味にしておく人は、まるでもったいない。それを現実社会で力強く実践してこそ、全体で(肉体的にも魂的にも経済的にも)より豊かに生きていけるのです。
この実践哲学を24年前(私何歳?)から提唱しているのがインド人だがネイティブアメリカンのようなポール。
「身体、心、魂を統合した上で、
自分自身の内に強さを見出し、
今生きている現実社会と調和する」
少し前の時代であれば、その日の食糧を得ることや、国に年貢を納めることや、豊作を願って祈ることが現実だったでしょう。その時代の現実と、統合された自分自身を調和させて生きることが重要です。
ライフスタイルの多様化した現代であれば、その中から自分のライフスタイルに合った生き方を見つければいいのです。あなたがどんな生活をしていようとも、上記の3行を当てはめれば、自分だけの道が、自分自身の力で見つけられるのです。
近くにいる、リーダシップを持っている力強い方を見てください。
たとえ時代が変わったとしても、その人はやはり社会を導く力強さを持っていると思いませんか?
例えば転職活動をする時や結婚相手を探す時にも、この考え方を応用できます。
方法は、本には書いてありません。それはご自身の心の内にあります。
まずは心の声を聴くことが大事。座禅や瞑想ですね。
身体も心も同じ方向に進むことに合意したら、今現在置かれている状況に自分自身を調和させるのです。すると、今何が欲しいかが見えてくる。就職先や転職先を探したり、結婚相手を選ぶというよりは、自分の描いたその場所やその人と自然的に巡り合えるようになります。そう、その瞬間に、自分にぴったりな道が与えられるのです。
現代社会は経済社会なので、ある程度以上の経済力がなければ豊かな暮らしはでいことは既成事実です。そして経済においてもこの考え方は成り立ちます。インド哲学を基礎としたこの考え方を提唱しているポールも、ビジネスコンサルタントとしてアメリカの企業や経営者を力強く導いています。どのようにするか?は深い深いお話しですのでまた今度。
‐‐‐自分自身に無理な状況を敷いていると、身体・心理面にひずみが生じます。このひずみはあなただけの問題ではなく、実は全体の痛みです。ひずみが大きくなると、地球の「魂」にも響きます、と言ってもなんのこっちゃかもしれませんが、人々の心の痛みが増長していくと、自然界の傷も深まると思います‐‐‐
『インスパイアされた人はより豊かになり、お金を創りだす』
マスターはいつもこう言っていますが、それは本当です。The・秘密 じゃなくて、The・和道。
昨年一時期をオハイオとニューメキシコで過ごして、日本に帰国してから色んな人と出会うようになり、興味深いことに気づきました。既に長年、瞑想やヨガを実践されている人たちで、しかも若い世代の方々は、世界を変えるためには経済界が動かなくてはならないと感じていることです。(私が気づいたから、私が引き寄せているだけの話です。)
地球全体で経済不況や自然災害、環境破壊などのニュースが流れる中、私たち人間が先の見えない不安な世界を打破するには、一人一人がまず命の大切さを抱きしめ、それから全人類が協力して地球全体の自然環境に取り組んでいくことが必要だと思います。
まさに私もダライ・ラマ法王と同じ意見です。
世界が身近に感じる現代です。「それは他人の問題ね」、と言っていた時代はもう去ったのでしょう。「地球学校CSR部」は、環境保護活動の次に、きっと世界的な「アウェイクニング」を持ってくると勝手に思ってます。
著名なコトラーのマーケティング理論にも、今後スピリチュアル・マーケティングが重要になるとも書かれていますしね。
地に足着いていないスピリチュアルは「スッピー」ですが、本来スピリチュアリティとは、厳しくて強く、すべてを包み込むことのできる、私たちに与えられた共通意識の一部だと思います。
さて最後になりますが、「地球学校」にも「保健室」はあります!
その役割を担っている人は世界中で増え続けています。
「地球学校」。なんと奥深い世界でしょう・・・
引き続き、私の世界をご堪能ください(笑)。
現代社会は経済の上に成り立っている社会で、実際に地に足つけて生きるにはまずはお金が必要です。前回述べた内容を理解したうえで、それらを現実社会に活かしたならば、お金は運ばれてくる。だから引き寄せの法則やザ・シークレットに出てくる人たちは決まって、お金持ちなのです。スピリチュアリティを趣味にしておく人は、まるでもったいない。それを現実社会で力強く実践してこそ、全体で(肉体的にも魂的にも経済的にも)より豊かに生きていけるのです。
この実践哲学を24年前(私何歳?)から提唱しているのがインド人だがネイティブアメリカンのようなポール。
「身体、心、魂を統合した上で、
自分自身の内に強さを見出し、
今生きている現実社会と調和する」
少し前の時代であれば、その日の食糧を得ることや、国に年貢を納めることや、豊作を願って祈ることが現実だったでしょう。その時代の現実と、統合された自分自身を調和させて生きることが重要です。
ライフスタイルの多様化した現代であれば、その中から自分のライフスタイルに合った生き方を見つければいいのです。あなたがどんな生活をしていようとも、上記の3行を当てはめれば、自分だけの道が、自分自身の力で見つけられるのです。
近くにいる、リーダシップを持っている力強い方を見てください。
たとえ時代が変わったとしても、その人はやはり社会を導く力強さを持っていると思いませんか?
例えば転職活動をする時や結婚相手を探す時にも、この考え方を応用できます。
方法は、本には書いてありません。それはご自身の心の内にあります。
まずは心の声を聴くことが大事。座禅や瞑想ですね。
身体も心も同じ方向に進むことに合意したら、今現在置かれている状況に自分自身を調和させるのです。すると、今何が欲しいかが見えてくる。就職先や転職先を探したり、結婚相手を選ぶというよりは、自分の描いたその場所やその人と自然的に巡り合えるようになります。そう、その瞬間に、自分にぴったりな道が与えられるのです。
現代社会は経済社会なので、ある程度以上の経済力がなければ豊かな暮らしはでいことは既成事実です。そして経済においてもこの考え方は成り立ちます。インド哲学を基礎としたこの考え方を提唱しているポールも、ビジネスコンサルタントとしてアメリカの企業や経営者を力強く導いています。どのようにするか?は深い深いお話しですのでまた今度。
‐‐‐自分自身に無理な状況を敷いていると、身体・心理面にひずみが生じます。このひずみはあなただけの問題ではなく、実は全体の痛みです。ひずみが大きくなると、地球の「魂」にも響きます、と言ってもなんのこっちゃかもしれませんが、人々の心の痛みが増長していくと、自然界の傷も深まると思います‐‐‐
『インスパイアされた人はより豊かになり、お金を創りだす』
マスターはいつもこう言っていますが、それは本当です。The・秘密 じゃなくて、The・和道。
昨年一時期をオハイオとニューメキシコで過ごして、日本に帰国してから色んな人と出会うようになり、興味深いことに気づきました。既に長年、瞑想やヨガを実践されている人たちで、しかも若い世代の方々は、世界を変えるためには経済界が動かなくてはならないと感じていることです。(私が気づいたから、私が引き寄せているだけの話です。)
地球全体で経済不況や自然災害、環境破壊などのニュースが流れる中、私たち人間が先の見えない不安な世界を打破するには、一人一人がまず命の大切さを抱きしめ、それから全人類が協力して地球全体の自然環境に取り組んでいくことが必要だと思います。
まさに私もダライ・ラマ法王と同じ意見です。
世界が身近に感じる現代です。「それは他人の問題ね」、と言っていた時代はもう去ったのでしょう。「地球学校CSR部」は、環境保護活動の次に、きっと世界的な「アウェイクニング」を持ってくると勝手に思ってます。
著名なコトラーのマーケティング理論にも、今後スピリチュアル・マーケティングが重要になるとも書かれていますしね。
地に足着いていないスピリチュアルは「スッピー」ですが、本来スピリチュアリティとは、厳しくて強く、すべてを包み込むことのできる、私たちに与えられた共通意識の一部だと思います。
さて最後になりますが、「地球学校」にも「保健室」はあります!
その役割を担っている人は世界中で増え続けています。
「地球学校」。なんと奥深い世界でしょう・・・
それは「地球学校」だから Part.1 of 2 [和道 Wha-Dho 哲学]
人生は学びの連続。一つ一つが学びで、経験すべきことは尽きない・・・それは、この地球は学校だから、だと思ってます。それぞれの心や内面を成長させるための「地球学校」。
この言葉を、これまでも本で読んだことがあるので、聞いたことがある人もいるかもしれません。では本日は、私が思うところの根拠のない「地球学校」についてお話しします。
輪廻転生を続ける魂が、学びにくるこの地球は「地球学校」。魂は、様々な「容姿」を得てこの地球学校に学びにきます。国籍、肌の色、文化、風習、性別、ある種の才能、家族の中の位置、など。一人として同じものは与えられません。
「学校長」は、ビックバンを起こした創造主、または万物を司るエネルギーだと思ってます。私たちがどんな事をしても・・・楽しい事、恐ろしい事、哀しい事、嬉しい事、許せない事、、、(と言っても、こういう「感情」も、人間がつけるものですが)、学校長は、無為の境地でいつも私たちを見守ってくれています。「校長室」が存在する場所があるとすれば、それは、キリストやブッダの目指した先だろうと思っています。
この地球学校での課題は、「過去や未来を生きている私」に対してではなく、「今この瞬間の私」に対して与えられます。だから、過去のトラブルに執着したり、先の未来ばかりに心を向けていると、「今」与えられた課題に上手に取り組めなくなってしまう。こうして、苦労や悩みが増えていくのかと思います。
魂を持ってこの地球で生まれ、学んでいく過程には、家族や学校の基本的な社会単位の中で育つ時期、個人として誰かを愛し愛されて成長する時期、社会や国家の中での役割を持って仕事に励む時期、人生の意味を深く意識する時期、魂の再生に向けての準備の時期などが含まれます。その間にも、失敗、誕生、成功、合格、落第、昇進、別離、等々を経験して学びは続きます。魂がどのような過去(過去世)をたどってきたかによっても、授業で扱われるテーマは変わってきます。
ですので、他の魂さんと自分を比較をしたり競争したりすることに、それほどの意味はありません。違って当然なのです。人生の意味は、自分の中にしかないからです。一番してはならないことは、魂の差異に無意味な価値をつけて、同じ魂を痛めつけたり存在を否定することです。
一度魂の存在に気づけば、課題に取り組む姿勢や、課題に対する視点が変わります。課題を意識的に取り組めるようになれば、課題自体も変わってくるように見えることは興味深いことです。本来、地球学校では、心の声に従って生きれば生きるほど、社会で言われる「幸せで満たされた人生」を歩めるはずなのですが、現代は知識と情報が氾濫しているため、理性と知性のみに頼って生きていくことも容易です。だけど、魂の声や直感や第六感は、それらによって簡単に封じ込められてしまいます。すると、心の声は聞こえなってしまうのです。
学校長はあまりやかましく言いませんが、もし、何度も同じ失敗が繰り返されたなら、それは学校長の「見直す時だよ」サインです。心と体が別々の道へ進んだり、歩調が合わなくなると、次第に可視できる形で(身体的に)不調を起こし、文字どおり身体が悲鳴をあげはじめます。
しかし、どんな道を歩んでいようとも、地球学校の「校長」はいつも私たちを暖かく見守ってくれているはずです。彼の存在に気づいた日から一心に「感謝、感謝」と言っても、彼は突然こちらに気づいてはくれない・・・なんて思っていたら大間違いで、彼は偶然の一致(シンクロニシティ)や、私の魂の願いを忠実に再現してくれるようになります。これが一般的に言われる、引き寄せの法則。
だから、引き寄せの法則へ向かうための一番の方法は、心の曇りを晴らすこと、すなわち瞑想なのです・・・
瞑想なのですよ
次に続くのです。
この言葉を、これまでも本で読んだことがあるので、聞いたことがある人もいるかもしれません。では本日は、私が思うところの根拠のない「地球学校」についてお話しします。
輪廻転生を続ける魂が、学びにくるこの地球は「地球学校」。魂は、様々な「容姿」を得てこの地球学校に学びにきます。国籍、肌の色、文化、風習、性別、ある種の才能、家族の中の位置、など。一人として同じものは与えられません。
「学校長」は、ビックバンを起こした創造主、または万物を司るエネルギーだと思ってます。私たちがどんな事をしても・・・楽しい事、恐ろしい事、哀しい事、嬉しい事、許せない事、、、(と言っても、こういう「感情」も、人間がつけるものですが)、学校長は、無為の境地でいつも私たちを見守ってくれています。「校長室」が存在する場所があるとすれば、それは、キリストやブッダの目指した先だろうと思っています。
この地球学校での課題は、「過去や未来を生きている私」に対してではなく、「今この瞬間の私」に対して与えられます。だから、過去のトラブルに執着したり、先の未来ばかりに心を向けていると、「今」与えられた課題に上手に取り組めなくなってしまう。こうして、苦労や悩みが増えていくのかと思います。
魂を持ってこの地球で生まれ、学んでいく過程には、家族や学校の基本的な社会単位の中で育つ時期、個人として誰かを愛し愛されて成長する時期、社会や国家の中での役割を持って仕事に励む時期、人生の意味を深く意識する時期、魂の再生に向けての準備の時期などが含まれます。その間にも、失敗、誕生、成功、合格、落第、昇進、別離、等々を経験して学びは続きます。魂がどのような過去(過去世)をたどってきたかによっても、授業で扱われるテーマは変わってきます。
ですので、他の魂さんと自分を比較をしたり競争したりすることに、それほどの意味はありません。違って当然なのです。人生の意味は、自分の中にしかないからです。一番してはならないことは、魂の差異に無意味な価値をつけて、同じ魂を痛めつけたり存在を否定することです。
一度魂の存在に気づけば、課題に取り組む姿勢や、課題に対する視点が変わります。課題を意識的に取り組めるようになれば、課題自体も変わってくるように見えることは興味深いことです。本来、地球学校では、心の声に従って生きれば生きるほど、社会で言われる「幸せで満たされた人生」を歩めるはずなのですが、現代は知識と情報が氾濫しているため、理性と知性のみに頼って生きていくことも容易です。だけど、魂の声や直感や第六感は、それらによって簡単に封じ込められてしまいます。すると、心の声は聞こえなってしまうのです。
学校長はあまりやかましく言いませんが、もし、何度も同じ失敗が繰り返されたなら、それは学校長の「見直す時だよ」サインです。心と体が別々の道へ進んだり、歩調が合わなくなると、次第に可視できる形で(身体的に)不調を起こし、文字どおり身体が悲鳴をあげはじめます。
しかし、どんな道を歩んでいようとも、地球学校の「校長」はいつも私たちを暖かく見守ってくれているはずです。彼の存在に気づいた日から一心に「感謝、感謝」と言っても、彼は突然こちらに気づいてはくれない・・・なんて思っていたら大間違いで、彼は偶然の一致(シンクロニシティ)や、私の魂の願いを忠実に再現してくれるようになります。これが一般的に言われる、引き寄せの法則。
だから、引き寄せの法則へ向かうための一番の方法は、心の曇りを晴らすこと、すなわち瞑想なのです・・・
瞑想なのですよ
次に続くのです。
心と身体の健康(転職しました編) [和道 Wha-Dho 哲学]
報告が遅れましたが、年明けに転職をいたしまして、現在は自然派化粧品と健康食品を開発・販売する企業にて、営業のお仕事をしています。何をしているのだと不思議がっている皆さん、今私は日本国内で働いています。
この年になって、と言われて英語講師となり、この年でやるの?と言われ今回は初の営業職。(どの世代でもこういう人はいるのですね)もちろん、適当に生きているわけではありません。色々な人に支えられて学び、そして導かれた道を意識的に選択しています。
今回の転職後、3月、4月と中国にてお仕事をしてきました。以前の仕事で営業アシスタントとして資料は作ってはいましたが、自分がプレゼンテイタ―になるのは初めて。非常に刺激的なプレッシャーの中での良い経験となりました。
人生、何歳になっても初めてはあると思います。しかし、年を重ねるにつれて、何らかの(失敗する)怖さが増したり、プライドが邪魔したり、努力する気力が減ったりして、確かにやりにくいとも言えます。でもその「怖さ」の部分を敢えて手放して挑戦してみると、未知な能力に気づくことがあります。ということで、挑戦できる事が目の前に用意されていることは、すばらしいギフトなのです。
そもそも、ナゼ転職したのか?
ここ数年、アメリカで学んだ実践哲学を通して私自身がとても健やかに強くなりました。そしてここにきて、自分の頭と身体にあるもの(叡智)を実践することなくして、実践哲学を説くことは無理なのだと、ようやく気づきました。(じわりじわりと学んでおります)
エネルギーを認識している、自然の摂理について理解している、スピリチュアリティを体得している、人の悩みを聞いて解決のお手伝いができるとして・・・
・・・so what?
そう、学んだからといって教えられるということでは全くない。自分で体現せずして、どうして「実践的哲学」の話ができるでしょう。
実は去年から何かに背中を押されてはいたのですが、直感正解、ビジネスの世界に自然と押し出されました。新しいステージに出ることは、戸惑いがあり、慣れるまで時間が掛かるし、変化が大変・・・と、ネガティブなことをあげると腰は重いままですが、それさえも手放して目の前に提示された道を一歩踏みだしました。もちろん、生徒さんにこれまでと同じように英語を教えられないことを伝えるのは心苦しかったですが・・・。(週末のみ英語指導を再開する予定です)
現職では、栄養と健康について学んでいます。仕事だからではなく、それが私の心に求められているから。そして、転職した事をまわりに知らせたら、徐々に知り合いや元同僚から、健康相談に乗って欲しいとお声が掛かるからようになりました。みんなそれぞれに不調や悩み、ストレスを抱えて生きていて当然ですが、その悩みに一番的確に答えられるのは、健康という視点からだと気づきました。
病気の源をたどっていくと、そこには生活習慣がありますが、そのさらに根源には過去や記憶が関係していた・・・なんて言われても、それは本当に想像を絶する世界ですよね。まずは健康相談ということで、私もお役にたてる時がきました。
まずは自身の健康を維持しましょうね。
健康相談受付中
この年になって、と言われて英語講師となり、この年でやるの?と言われ今回は初の営業職。(どの世代でもこういう人はいるのですね)もちろん、適当に生きているわけではありません。色々な人に支えられて学び、そして導かれた道を意識的に選択しています。
今回の転職後、3月、4月と中国にてお仕事をしてきました。以前の仕事で営業アシスタントとして資料は作ってはいましたが、自分がプレゼンテイタ―になるのは初めて。非常に刺激的なプレッシャーの中での良い経験となりました。
人生、何歳になっても初めてはあると思います。しかし、年を重ねるにつれて、何らかの(失敗する)怖さが増したり、プライドが邪魔したり、努力する気力が減ったりして、確かにやりにくいとも言えます。でもその「怖さ」の部分を敢えて手放して挑戦してみると、未知な能力に気づくことがあります。ということで、挑戦できる事が目の前に用意されていることは、すばらしいギフトなのです。
そもそも、ナゼ転職したのか?
ここ数年、アメリカで学んだ実践哲学を通して私自身がとても健やかに強くなりました。そしてここにきて、自分の頭と身体にあるもの(叡智)を実践することなくして、実践哲学を説くことは無理なのだと、ようやく気づきました。(じわりじわりと学んでおります)
エネルギーを認識している、自然の摂理について理解している、スピリチュアリティを体得している、人の悩みを聞いて解決のお手伝いができるとして・・・
・・・so what?
そう、学んだからといって教えられるということでは全くない。自分で体現せずして、どうして「実践的哲学」の話ができるでしょう。
実は去年から何かに背中を押されてはいたのですが、直感正解、ビジネスの世界に自然と押し出されました。新しいステージに出ることは、戸惑いがあり、慣れるまで時間が掛かるし、変化が大変・・・と、ネガティブなことをあげると腰は重いままですが、それさえも手放して目の前に提示された道を一歩踏みだしました。もちろん、生徒さんにこれまでと同じように英語を教えられないことを伝えるのは心苦しかったですが・・・。(週末のみ英語指導を再開する予定です)
現職では、栄養と健康について学んでいます。仕事だからではなく、それが私の心に求められているから。そして、転職した事をまわりに知らせたら、徐々に知り合いや元同僚から、健康相談に乗って欲しいとお声が掛かるからようになりました。みんなそれぞれに不調や悩み、ストレスを抱えて生きていて当然ですが、その悩みに一番的確に答えられるのは、健康という視点からだと気づきました。
病気の源をたどっていくと、そこには生活習慣がありますが、そのさらに根源には過去や記憶が関係していた・・・なんて言われても、それは本当に想像を絶する世界ですよね。まずは健康相談ということで、私もお役にたてる時がきました。
まずは自身の健康を維持しましょうね。
健康相談受付中
心のお掃除。不安の手放し方 [和道 Wha-Dho 哲学]
不安や恐れはホコリと一緒。ホコリは旧いホコリや新しいホコリとくっついて、どんどん大きくなります。小さなホコリは簡単に処理できます。家の掃除だけでなく、心のお掃除もしてあげてください。
では、今日は不安の倍増方法とお掃除の仕方をご紹介します。
*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*・゚
不安や恐れを一人で抱きかかえていると、それらはどんどん倍増します。
問題を一人で抱えている間に、孤独は「寂しさ」を連れてきます。この種の孤独は、心を食い、膨張して、さらに自分を孤独に追いやります。これを放っておいて一人で居続けると、鬱の原因になってしまいます。
不安や恐れは自分から積極的に切り取らないと、去っていきません。
自分の意志がまだ確認できる時なら、ちょっと弱ったなと感じる時なら、自分で簡単に手放せます。
その時に不安を形成する要素が何かを考える必要はありません。本当にそれらを手放したいなら、その内容ではなく「感情」を手放すことに集中してください。
ただ、不安が嫌いとか、恐れが嫌いとか、そのように感じる必要もありません。もし不安を感じたり、何か恐れているなら、ドラマティックに過剰に反応する必要はなく、「あぁそうか今は不安なんだ、恐れているんだ」と、その事実だけを受け止めればいいのです。
さて、それを手放すために必要なことは何でしょう。
それは、「行動」です。
行動することは動くことだけを意味しません。
人と話すこと、誰かの近くに行くこと、誰かに手を差し伸べること、も行動の一つです。
「行動しよう」という心からの意志表示も、立派な行動です。
そして、あなたが誰かに手を差し伸べる時、援けられているのはあなただけではありません。相手も同時に援けられています。あなたの存在は、相手にとっても必要な存在なのです。
不安や恐怖は、孤独になることで解決しません。
小さな「行動」でもいいので、どうぞ小さな一歩を出して、心の内に在る不安や恐れを手放して下さい。
一歩を踏み出した途端、社会が自分を必要としていたことに気づくはずです。
そしてあなた自身がそのことに一番驚くことでしょう。
何が起こるかは、行動したあなただけがわかるのです
Wha-Dho(わどう)で学んだこの方法を、いつも活用しています。
では、今日は不安の倍増方法とお掃除の仕方をご紹介します。
*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*・゚
不安や恐れを一人で抱きかかえていると、それらはどんどん倍増します。
問題を一人で抱えている間に、孤独は「寂しさ」を連れてきます。この種の孤独は、心を食い、膨張して、さらに自分を孤独に追いやります。これを放っておいて一人で居続けると、鬱の原因になってしまいます。
不安や恐れは自分から積極的に切り取らないと、去っていきません。
自分の意志がまだ確認できる時なら、ちょっと弱ったなと感じる時なら、自分で簡単に手放せます。
その時に不安を形成する要素が何かを考える必要はありません。本当にそれらを手放したいなら、その内容ではなく「感情」を手放すことに集中してください。
ただ、不安が嫌いとか、恐れが嫌いとか、そのように感じる必要もありません。もし不安を感じたり、何か恐れているなら、ドラマティックに過剰に反応する必要はなく、「あぁそうか今は不安なんだ、恐れているんだ」と、その事実だけを受け止めればいいのです。
さて、それを手放すために必要なことは何でしょう。
それは、「行動」です。
行動することは動くことだけを意味しません。
人と話すこと、誰かの近くに行くこと、誰かに手を差し伸べること、も行動の一つです。
「行動しよう」という心からの意志表示も、立派な行動です。
そして、あなたが誰かに手を差し伸べる時、援けられているのはあなただけではありません。相手も同時に援けられています。あなたの存在は、相手にとっても必要な存在なのです。
不安や恐怖は、孤独になることで解決しません。
小さな「行動」でもいいので、どうぞ小さな一歩を出して、心の内に在る不安や恐れを手放して下さい。
一歩を踏み出した途端、社会が自分を必要としていたことに気づくはずです。
そしてあなた自身がそのことに一番驚くことでしょう。
何が起こるかは、行動したあなただけがわかるのです
Wha-Dho(わどう)で学んだこの方法を、いつも活用しています。
未曾有の大震災。時代を託された私たちの使命 [和道 Wha-Dho 哲学]
今回の大震災で、被害に遭われた方、そのご家族の皆さまに心からお見舞い申し上げます。
震災に伴う様々な災害や被害で、今も避難所で生活されている方に、心からの声援を送りたいと思います。
私が今の場所から出来ることは、物資や義援金をお届けし、祈りの言葉を送り続けること。
被災地の一日も早い復興と、皆さまの日常生活が戻ることをお祈りいたします。
また、震災直後から、私のもとへ様々な魂がお越しになりました。
鎮魂のためのお祈りを続けています。
魂たちが安らかに天に還られることをお祈りいたします。
私たちは、皆さんの想いを受け継いで、この世で精いっぱい生き続けます。
*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*・゚
地球の中心から揺さぶられ、宇宙全体がこの振動を感じています。
3月11日から一ヶ月経った今も、大きくて長い揺れが続いています。
人間がコントロールできない、自然界の偉大な力を感じずにはいられません。
私たち人間は自然界の一部なのであり、コントロールする側ではないことを見せつけられます。
大気中に出された放射線を含む空気。
その空気が大地に降りて、大地が汚染されて野菜が食べられない。
海に流れ出ている放射線で汚染された水で、私たちは魚が食べられないといいます。
原乳を廃棄したり、水が飲めないと嫌ったり・・・この1ヶ月様々ことが報道されました。
漁業や農業で生計を立てておられた方には、本当に辛い時期だと思います。
人間が食べても被害がないものだということを聴いています。
風評被害は私たちの想いと行動ひとつで防げますから、出来ることから協力したいと思います。
そして、今もまた、ここで考えさせられます。
「食」については、これまでもブログでいろいろと書いてきましたが、
まず私たち動物は、他の生物の生命をいただいき、その上で生きています。
生命を与え合って生きる、地球上の生物。
人間も地球上の生物の一種。
しかも頭脳と心を持っているのが人間・・・ならばもっと自然界と人類全体を慈しんで生きられないでしょうか。食は、「生命」であることを、人は忘れてはいけないなと感じます。
先程の、海に流れ出た放射線の水。
魚が食べれるか食べられないかの前に、海中でも大騒ぎでしょう。いつもは存在しない物質が流れ込んでいるのですから。人間のように報道番組があるとしたら、様々な生き物たちがそれぞれにコメントしているに違いありません。大地、大気中、植物や生き物たちも・・・自然界は大きく振動していると思います。
でも、騒ぐのは人間だけです。自然界は通常静かに対応しています。
また、この未曽有の大震災は、私たち一人一人に、それぞれの課題を提示していると思います。
それぞれがその問題に取り組む時が来ていることを感じます。この揺れは、通常ではあり得ないフォース(力)です。
それぞれの課題は、自然に感謝する気持ちを思い出したり、家族と助け合ったり、近くの人を思いやることや、自分の人生をどう生きるかということを感じることかもしれません。どういう人生を歩むのか、向き合っていない問題に直面したり、もう無視し続けられないことが目の前にあるかもしれません。
何であっても、つきつけられた課題に向き合う時でもあるでしょう。
そして、私たち人間が、国や個人や人種や出自など関係なく、人類としてみなが共働すればするほど、すなわち、愛を持った横のつながりが広がれば広がるほど、この震災の復興は早くなる気がするのです。それが、現実に今広がっている事に心から感謝し、私も参加し続けたいと思います。
天へ昇られた魂たちの生きた道を無駄にせず、私たち残された人間はしっかり生きなくてはと思います。
合掌
震災に伴う様々な災害や被害で、今も避難所で生活されている方に、心からの声援を送りたいと思います。
私が今の場所から出来ることは、物資や義援金をお届けし、祈りの言葉を送り続けること。
被災地の一日も早い復興と、皆さまの日常生活が戻ることをお祈りいたします。
また、震災直後から、私のもとへ様々な魂がお越しになりました。
鎮魂のためのお祈りを続けています。
魂たちが安らかに天に還られることをお祈りいたします。
私たちは、皆さんの想いを受け継いで、この世で精いっぱい生き続けます。
*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*.*・゚・*・゚・*・゚
地球の中心から揺さぶられ、宇宙全体がこの振動を感じています。
3月11日から一ヶ月経った今も、大きくて長い揺れが続いています。
人間がコントロールできない、自然界の偉大な力を感じずにはいられません。
私たち人間は自然界の一部なのであり、コントロールする側ではないことを見せつけられます。
大気中に出された放射線を含む空気。
その空気が大地に降りて、大地が汚染されて野菜が食べられない。
海に流れ出ている放射線で汚染された水で、私たちは魚が食べられないといいます。
原乳を廃棄したり、水が飲めないと嫌ったり・・・この1ヶ月様々ことが報道されました。
漁業や農業で生計を立てておられた方には、本当に辛い時期だと思います。
人間が食べても被害がないものだということを聴いています。
風評被害は私たちの想いと行動ひとつで防げますから、出来ることから協力したいと思います。
そして、今もまた、ここで考えさせられます。
「食」については、これまでもブログでいろいろと書いてきましたが、
まず私たち動物は、他の生物の生命をいただいき、その上で生きています。
生命を与え合って生きる、地球上の生物。
人間も地球上の生物の一種。
しかも頭脳と心を持っているのが人間・・・ならばもっと自然界と人類全体を慈しんで生きられないでしょうか。食は、「生命」であることを、人は忘れてはいけないなと感じます。
先程の、海に流れ出た放射線の水。
魚が食べれるか食べられないかの前に、海中でも大騒ぎでしょう。いつもは存在しない物質が流れ込んでいるのですから。人間のように報道番組があるとしたら、様々な生き物たちがそれぞれにコメントしているに違いありません。大地、大気中、植物や生き物たちも・・・自然界は大きく振動していると思います。
でも、騒ぐのは人間だけです。自然界は通常静かに対応しています。
また、この未曽有の大震災は、私たち一人一人に、それぞれの課題を提示していると思います。
それぞれがその問題に取り組む時が来ていることを感じます。この揺れは、通常ではあり得ないフォース(力)です。
それぞれの課題は、自然に感謝する気持ちを思い出したり、家族と助け合ったり、近くの人を思いやることや、自分の人生をどう生きるかということを感じることかもしれません。どういう人生を歩むのか、向き合っていない問題に直面したり、もう無視し続けられないことが目の前にあるかもしれません。
何であっても、つきつけられた課題に向き合う時でもあるでしょう。
そして、私たち人間が、国や個人や人種や出自など関係なく、人類としてみなが共働すればするほど、すなわち、愛を持った横のつながりが広がれば広がるほど、この震災の復興は早くなる気がするのです。それが、現実に今広がっている事に心から感謝し、私も参加し続けたいと思います。
天へ昇られた魂たちの生きた道を無駄にせず、私たち残された人間はしっかり生きなくてはと思います。
合掌
地球からのメッセージ [和道 Wha-Dho 哲学]
世界各地でのデモ勃発・・・。人々の「怒り」や「不安」が各地で爆発し、世界中が震撼しています。まずは、何よりも、皆さまのご無事をお祈りいたします。
家族、同僚、知り合いの方が被害に合われたかもしれません。私の知人も、エジプトでホテル内の銃撃戦に巻き込まれ、心に傷を負って帰国しました。その方が必要とするならば、どうか近くにいて声を聞いてあげてください。
火山の噴火や地震も発生しています。20歳の時に住んでいた街、クライストチャーチの大地震。以前働いていた大聖堂前のホテルも崩れてしまいました。人間がコントロールできない自然災害。同じ地球上で起こっていることです、他人事ではありません。
私は、この自然界の災害が、人間社会の紛争と繋がっているように感じます。地球が震えているように感じるのです。地球が私たちをつかんで、激しく揺さぶっているようにも...。これはメッセージではないでしょうか?私たちが目覚める時なのだという。
地球の叫び声を無視しないでください。
地球のメッセージ・・・それは、今自分の目の前にある事を手放して、被災地へ飛んで行くことではありません。それは、それぞれの人が、自分の生に向き合いなさい、というメッセージなのだと思います。
ストレスばかり、我慢ばかり、不満ばかり、意気消沈ばかり・・・、もしそういう状態であるならば、それは真の人生に向き合えていない証拠です。あなたの心の奥底では、あなたさえも気づいてあげられない、喜び、輝き、情熱が隠れているはずです。それは、取り戻すことができるのです。
『人を助ける前に、まず自分を助けなきゃ!』
これは、志野・デスーザ氏も書いた最近のウェブ記事ですが、地球や世界に対して観念的になる前に、まずは等身大の自分を知ることが必要です。
被災地や紛争地域には援助が必要で、援助をすることは立派なことだと思うでしょう。私も、自分の幸せな人生そっちのけで、途上国援助を長年してきました。ですが、それが自分から逃げる口実であるならば、その「援助」は、あなた自身の人生に意味を運んできません。よく知ってください、あなた自身を救うことも、同じ神聖な行いなのです。
真の意味で、地球(紛争や貧困)や宇宙(環境)、他者を救える時、あなたは喜びと情熱に溢れた人生で輝ていることでしょう。
あなたの今いる位置をもう一度見直して、地球からのメッセージを大きな意味で捉えてみてください。
地球を救うために今できることは、実はあなたの中に「今」あるのです。
家族、同僚、知り合いの方が被害に合われたかもしれません。私の知人も、エジプトでホテル内の銃撃戦に巻き込まれ、心に傷を負って帰国しました。その方が必要とするならば、どうか近くにいて声を聞いてあげてください。
火山の噴火や地震も発生しています。20歳の時に住んでいた街、クライストチャーチの大地震。以前働いていた大聖堂前のホテルも崩れてしまいました。人間がコントロールできない自然災害。同じ地球上で起こっていることです、他人事ではありません。
私は、この自然界の災害が、人間社会の紛争と繋がっているように感じます。地球が震えているように感じるのです。地球が私たちをつかんで、激しく揺さぶっているようにも...。これはメッセージではないでしょうか?私たちが目覚める時なのだという。
地球の叫び声を無視しないでください。
地球のメッセージ・・・それは、今自分の目の前にある事を手放して、被災地へ飛んで行くことではありません。それは、それぞれの人が、自分の生に向き合いなさい、というメッセージなのだと思います。
ストレスばかり、我慢ばかり、不満ばかり、意気消沈ばかり・・・、もしそういう状態であるならば、それは真の人生に向き合えていない証拠です。あなたの心の奥底では、あなたさえも気づいてあげられない、喜び、輝き、情熱が隠れているはずです。それは、取り戻すことができるのです。
『人を助ける前に、まず自分を助けなきゃ!』
これは、志野・デスーザ氏も書いた最近のウェブ記事ですが、地球や世界に対して観念的になる前に、まずは等身大の自分を知ることが必要です。
被災地や紛争地域には援助が必要で、援助をすることは立派なことだと思うでしょう。私も、自分の幸せな人生そっちのけで、途上国援助を長年してきました。ですが、それが自分から逃げる口実であるならば、その「援助」は、あなた自身の人生に意味を運んできません。よく知ってください、あなた自身を救うことも、同じ神聖な行いなのです。
真の意味で、地球(紛争や貧困)や宇宙(環境)、他者を救える時、あなたは喜びと情熱に溢れた人生で輝ていることでしょう。
あなたの今いる位置をもう一度見直して、地球からのメッセージを大きな意味で捉えてみてください。
地球を救うために今できることは、実はあなたの中に「今」あるのです。
リフレッシュの必要性 [和道 Wha-Dho 哲学]
同じ仕事をずっと突き詰めてやっていると、疲れて当然ですね。自分がそれをしている理由や意味がわからなかったり、不満やストレスを感じていては、疲れはいくらでも倍増していきます。
ベストなのは、人生のビジョンを捉えて、そこに向かって精進する時でしょう。現在行っている小さく思える一歩は、大きなビジョンを達成するための必要で確実な作業だとわかれば、この瞬間、大きな喜びは小さなストレスを消し去ります。
そんなんじゃなくて、とにかく今は少しでも楽な毎日を送りたい?
それなら、皆さんもよくご存じだと思いますが、こまめに息抜き(リフレッシュ)しましょう。これは心身にとても好いことです。
これはそんなに大層なことではありません。日常的には、椅子から立ち上がったり、手足を伸ばしたり、ゆっくり呼吸をしたり、お茶を飲んだりと、そんな些細な事も立派にリフレッシュです。少しでもいいから、穏やかな心を感じる時間をとるようにしてみてください。きっと数分あればできますよ。
もう少し時間があれば、屋内や屋外のお気に入りの場所に行ったり、新鮮な空気を吸ったりして、一瞬でもいいから仕事と自分を切り離して、落ち着いてみてください。また、笑いや笑顔は、神経や細胞をリラックスさせる効果がありますから、仲間と楽しくコミュニケーションを取ることも効果的です。
もしかすると、仕事場から私が抜けると困るのと思われるかもしれません。デスクを離れることは不安かもしれませんが、少しだけでもいいからホッとしてください。数分でもホッとできれば、ご自身がどれほどスッキリとした気分で業務に戻れるかに気づくでしょう。身体全体に酸素がまわれば、一段と集中力もアップします。休憩は、戻ったときにその効果を大発揮しますから、ぜひ試してみてくださいね。
一息もつく時間がなく一日を終えるとどうなるでしょう?休憩することなく一日を終えて、初めてひとつ深い呼吸をしたという状態は、長い間維持できない状態です。持続可能な人生の幸福や繁栄を得たいのに、持続可能ではない一日を積み重ねていては、後ろ向きな人生になってしまいます。
あなたが思い描く素晴らしい未来は、今この瞬間の積み重ねです。いつも言いますが、あなたの人生に起こることは、すべて意味があること。大きな視野で人生を見つめ、自分の生活で改善するところは改善し、仕事や人間関係、趣味に於いても、改善するところは前向きに改善していきましょう。
あなたの人生だけに与えられた人生の目的やビジョンを知りたくなったら、それは、あなたの心の中に既にあります。一瞬でも静寂の時間を持つことが、それを知るヒントです。ですから、どうぞリフレッシュを続けてください。本気でその声を聴きたくなったら、ぜひWha-Dho(わどう)を活用してみてください。
素敵な日常を送ってくださいね
ベストなのは、人生のビジョンを捉えて、そこに向かって精進する時でしょう。現在行っている小さく思える一歩は、大きなビジョンを達成するための必要で確実な作業だとわかれば、この瞬間、大きな喜びは小さなストレスを消し去ります。
そんなんじゃなくて、とにかく今は少しでも楽な毎日を送りたい?
それなら、皆さんもよくご存じだと思いますが、こまめに息抜き(リフレッシュ)しましょう。これは心身にとても好いことです。
これはそんなに大層なことではありません。日常的には、椅子から立ち上がったり、手足を伸ばしたり、ゆっくり呼吸をしたり、お茶を飲んだりと、そんな些細な事も立派にリフレッシュです。少しでもいいから、穏やかな心を感じる時間をとるようにしてみてください。きっと数分あればできますよ。
もう少し時間があれば、屋内や屋外のお気に入りの場所に行ったり、新鮮な空気を吸ったりして、一瞬でもいいから仕事と自分を切り離して、落ち着いてみてください。また、笑いや笑顔は、神経や細胞をリラックスさせる効果がありますから、仲間と楽しくコミュニケーションを取ることも効果的です。
もしかすると、仕事場から私が抜けると困るのと思われるかもしれません。デスクを離れることは不安かもしれませんが、少しだけでもいいからホッとしてください。数分でもホッとできれば、ご自身がどれほどスッキリとした気分で業務に戻れるかに気づくでしょう。身体全体に酸素がまわれば、一段と集中力もアップします。休憩は、戻ったときにその効果を大発揮しますから、ぜひ試してみてくださいね。
一息もつく時間がなく一日を終えるとどうなるでしょう?休憩することなく一日を終えて、初めてひとつ深い呼吸をしたという状態は、長い間維持できない状態です。持続可能な人生の幸福や繁栄を得たいのに、持続可能ではない一日を積み重ねていては、後ろ向きな人生になってしまいます。
あなたが思い描く素晴らしい未来は、今この瞬間の積み重ねです。いつも言いますが、あなたの人生に起こることは、すべて意味があること。大きな視野で人生を見つめ、自分の生活で改善するところは改善し、仕事や人間関係、趣味に於いても、改善するところは前向きに改善していきましょう。
あなたの人生だけに与えられた人生の目的やビジョンを知りたくなったら、それは、あなたの心の中に既にあります。一瞬でも静寂の時間を持つことが、それを知るヒントです。ですから、どうぞリフレッシュを続けてください。本気でその声を聴きたくなったら、ぜひWha-Dho(わどう)を活用してみてください。
素敵な日常を送ってくださいね