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『ノーザンライツ』 in 星野道夫著作集5 [おすすめ本]

星野道夫さんの本を読んでいると、思ってもみない記憶がよみがえってくる。

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この間、母に「この箇所を読んでみて・・・」と星野さんの本を手渡したら、
そのまま寝るまで読んでいた。
気に入った本を何度も読むと、ある時を境に、得る印象や感覚が変わる。
ただ時間だけが過ぎただけで、という理由じゃなく、何かがすっかり違う。
当然のことながら、今の私が読む感覚と、今の母が読む感覚も全然違う。
本も深いし、人生もまた深いな、なんて思って母を眺めていた。

星野さんは、山での親友の遭難を通して、人間の一生がいかに短いものなのか、
そしてある日突然断ち切られるものなのかを知った、と書いている。
そしてその事故は、日々を生きる中、
生と死の接点と言う感覚を持ち続けることを教えてくれたと言う。

いろんな本で(『ババジ』『インド流!』等)、
人間が生きる上で忘れてはいけないのは、自然への畏怖だ、とあった。
日々を暮らしていく上で、自然は征服できない、ということを忘れずにいること。
信仰や感謝の想いは、だからそこから生まれてくるのだろう。

  「自分の持ち時間が限られていることを本当に理解した時、
   それは生きる大きなパワーに転化する可能性を秘めていた。」

人は死期を感じると、こういう思いになるのかもしれない。
生きている自己が、突然消えてしまう恐怖、その向こうの感覚・・・
生死をさまよった人は、きっとこれを急激に感知するのだろう。
悟った、というように解釈されるのだろうか。

彼の友人の死の悲しみは、星野さんをアラスカに向かわせたとある。
彼の生き方にかかわった、親友の死・・・。
そして、彼自身の死・・・。

  「クマだって人間を襲いたいわけではなく、できることなら避けたいのである。
   そもそもクマの事故の危険度は、都会における交通事故より低いのだと思う。
   アラスカの自然の中で野営をする夜、どこかにクマの存在を感じ、
   僕は少し緊張している。
   それはクマを通した、自然に対するとても原始的な畏怖なのだと思う。」

龍村監督も本に書いて、講演でも話していたけれど、
星野さんの魂は、選ばれた、ただ一つの道のりを旅し続けているように思える。


ひとつ、思い出話がある。
NZにいた学生時代、病気で急死した男の子がいた。16歳だったかな。
彼は寡黙なフィジー生まれのインディアン(インド人)。
彼が亡くなった後、彼のクラスメイトで親友だった、同じく寡黙でまっすぐな日本人の親友が、
彼の専門科目を受け継いで Polytech を卒業した。
その彼は、今日本の大手電機メーカーでロボット技術の最先端を担っている。
大きな力になった。

人の死とは、もちろん大きな悲しみと痛みをともなうけど、
星野さんの言う、「漠然として、脆い、生命の時間」として眺めると、
何かは消えることなく、たゆまず続いていくのかも。

「そいういうことなのかな・・・」

と、ふと思わせる星野道夫さんのストーリーです。



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『ギーターの世界』欲望とは? [おすすめ本]

前回から始まりました(突然終わりそうな気配の)『バガヴァッド・ギーターの世界』
(以下『ギーター』)について。

さて、某外資金融FPが尋ねてきた、「欲望」を制御するには?

勇士アルジュナは、クリシュナに問う。
「人間は何に命じられて悪を行うのか。望みもしないのに。まるで力ずくで駆り立てられたように。」

するとクリシュナは答える。
   「それは欲望(カーマ)である。 
    それは怒りである。
    激質(ラジャス)という要素(グナ)から生じたものである。 
    それは大食で非常に邪悪である。
    この世で、それが敵であると知れ。

    火が煙に覆われ、鏡が汚れに覆われ、胎児が羊膜に覆われるように、
    この世はそれ(欲望、怒り)に覆われている。
    知識ある者の知識は、この永遠の敵に覆われている。
    アルジュナよ、欲望という満たし難い火によって。」

欲望を制御するためには、まず感覚器官(目など)を制御する。
そして(…中略…)瞑想する。
仏教でいう般若の智が、『ギーター』で知性(ブッディ)と呼ばれるものだが
それは瞑想によってあわられてくる直感的な叡知であると言う。

瞑想するのだ[かわいい]

しかし、『ギーター』では、社会を捨ててはいけないと強調し、
あくまでも現実の社会生活をまっとうすべきだと主張する。

   「苦楽・得失・勝敗を平等(同一)のものと見て、戦いに専心せよ。
    そうすれば罪悪感を得ることはない。」
    そうすれば、行為の結果に束縛されることがない。


続く・・・



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『バガヴァッド・ギーターの世界』上村勝彦著 [おすすめ本]

筑摩書房のHPより
  
  古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』の中の一編
  同族同士が戦うことに深く悩み、戦意を喪失している勇士アルジュナへ、
  御者を務めていた賢者クリシュナ(実は最高神の化身)が、
  彼を鼓舞するために説いた教えが、バガヴァッド・ギーター(神の歌)である。
  人間存在のむなしさを描き、現世の義務をはたしつつ
  解脱に達する道を説く信仰の書をわかりやすく解き明かす。
  さらに帝釈天、弁才天、大黒天、毘沙門天、鬼子母神などのルーツを解説し、
  宗派を超えて愛誦されてきた最高聖典が、
  仏教や日本の宗教文化、日本人のものの考え方に与えた影響を明らかにする労作。

抜粋以上。

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『バガヴァッド・ギーター』に書かれている思想とは、
絶対者、すなわち最高神がすべてに遍満し、個々のもののうちにも入り込んでいる。
そして我々個々人のうちに神の性質があるというもの。
また、それは、ある時期に日本の大乗仏教に大きな影響を与えたと言われる。

著者の上村勝彦氏は、インド研究者であり、またサンスクリット語のすぐれた使い手でもあった。
浅草寺の僧侶の家系でその資格を持っていたが、僧であることを煩悶した時期もあった。
彼は、「ギーターを通読しても理解できない箇所が多い」理由で翻訳を渋っていたが、
あるきっかけで、彼は神がかり的に翻訳し出版した。
2003年、逝去。

この『バガヴァッド・ギーターの世界』は、彼の注釈を元に、日本仏教とのつながりを挙げながら
わかりやすく書かれている。
すぐに読めるので、最初の一冊目としてよかった。

『バガヴァッド・ギーター』を読む前に、ここから気になる文言を
少し挙げていこうかと思っております[本]


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『リトル・トリー』 【援助とは】 [おすすめ本]

前出、フォレスト・カーター著『リトル・トリー』は、出版後に絶版となる。

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彼の思想をめぐり、論争が起こったと言われる。
が、その後NY Timesでベストセラーになる。
それは、人種差別の根強いアメリカではあるが、拡大する環境破壊に対する危惧が、
自然と共生するインディアン(敢えてこの言葉が使われている)の知恵へ向けさせたと、言われる。

力強くメッセージを送ってくる作品だが、確かに繊細な内容がちりばめられている。

チェロキー・インディアンが、強制的に移住を強いられた話がある。
1983年からの1年で、13,000人がオクラホマ保留地まで1,300kmを移動させられた。
死者は4,000人を超え、「白人」はこれを「涙の旅路」と呼んだが、チェロキーは誇りを持ち歩き続けた。
『リトル・トリー』で語り部となる人々は、この時代を経験した人たちであり、
先祖からの言葉を受け継いで行く人たちだ。
(沖縄戦を生き抜き、戦後兵庫に移住した人たちが、幼いふうちゃんに語る『太陽の子』に被る・・・)

宗教についてはコテンパンに書かれているところもあり・・・
そこは書かないことにします。

さて、祖父母とリトル・トリーが毎週日曜に何時間もかけて教会へ行くのは、
同じく何時間もかけて教会へ来るウィロー・ジョーンに会うため。
そして、祖父は着飾る祖母を見たかっただけ。
ウィロー・ジョーンは厳しい時代を生き抜いた人で、あまり話そうとしない。
4人はいつも一緒に、教会の一番後ろの席に座った。
うさん臭い牧師の説教に、祖父はこう言った。

  「人はただなにかを与えるよりも、そのつくりかたを教えてあげられたらなおいい。
  そうすれば、相手は自分の力でうまくやってゆくだろう。
  与えるばかりで教えなければ、一生与え続けることになりかねない。
  それでは親切のつもりがあだになる。
  相手はすっかり依存心を起こし、結局自分自身を失ってしまう。
 
  ある人たちはずっと与え続けることを好む。
  なぜなら、そうすることによって自分の見栄と優越感を満たすことができるからだ。
  本当は相手の自立を助けるようなことを教えてあげるべきなのに。
  ところが、それが人間の妙な所で、一方では、
  見栄っ張りで偉ぶりたがっている人を嗅ぎつけて、自分からすりよっていくやからもいる。
  他人の犬になり下がってしまう情けない連中がこの世にはいるのだ。
  ひとりの人間であるよりも、見栄っ張りに仕える一匹の犬であるほうがいいというわけだ。  
  欲しいものがあればキャンキャン鳴きたてる。
  本当は彼らに必要なのは、ブーツでお尻を思いっきり蹴飛ばされること、
  それによって目を開かされることなのだ。」
 
祖父は、すっかり興奮して話し続ける。

  「国の中にも同じように見栄っ張りで偉ぶりたがるのがある。
  大盤ぶるまいをして、それが大国のしるしだとうぬぼれている。
  まっとうな考え方からすれば、与えるかわりに、
  相手の国の人々が自力で道を切り開く意志を持つように助けるべきであるのに。
  ところが彼らはけっしてそうはしない。
  というのも、中には彼らに逆らって独立心を起こす連中が現れるからだ。
  国家の権力者たちが最初からもくろんでいるのは、
  相手国の民衆に彼らへんお依存心を植え付けて骨抜きにすることなのだ。」
  
  
相手、相手国を尊重しよう。
1970年代に『パパラギ』や『リトル・トリー』で、彼らが語っていたことを、
私たちは聴いていたのだろか。
同じことを繰り返していていいのだろうか。

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私の中でぐらぐら何かがうごめいている・・・
だけどそれは来年のお話です[次項有]



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『リトル・トリー』【Spirit Mind と Body Mind】 [おすすめ本]

フォレスト・カーター著の『リトル・トリー』

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この本を教えてくれたのは、今年の年末をNZで過ごしている親友。
彼女の実家に泊まりに行った時、彼女が「この本えぇねんで~」と薦めてくれた。
今から10年近く前なのかな・・・

今回、もう一度読んでみようと思い読み始めたが、
『太陽の子』くらい、最後の部分で大泣きしてしまった[小雨]

リトル・トリーは、両親を亡くして祖父母に引き取られた5歳の少年。
彼は、チェロキー・インディアンの祖父母とともに、10歳まで山の中で暮らす。
国家が彼らの土地を奪い去る時代、痛みを愛で覆い力強く生きた人々。
この話は作者フォレスト・カーター氏の実話に基づいている。
彼らの間で継承された物語やしきたり、山での暮らしの智恵や、愛について書かれている。
作者は6年の間にわずか4作の大作を書き遺し、54歳で亡くなった。
今作品は1976年に書かれた(ゲド戦記と同じ年だ・・・)

祖母が、リトル・ツリーに語った言葉・・・

 「だれでも二つの心を持ってるんだよ。
  ひとつの心はね、からだの心 (Body Mind) 、
  つまりからだがちゃんといきつづけるようにって、働く心なの。
  からだを守るためには、家とか食べ物とか、いろいろ手にいれなくちゃならいだろう?
  ・・・
  人間はもうひとつの心を持ってるんだ。
  それは霊の心 (Spirit Mind) なの。
  いいかい、リトル・トリー、
  もしもからだを守る心を悪い方に使って、欲深になったり、
  ずるいことを考えたり、人を傷つけたり、相手を利用してもうけようとしたりしたら、
  霊の心はどんどん縮んでいって、ヒッコリーの実よりも小さいくなってしまうんだよ。
 
  からだが死ぬときにはね、からだの心もいっしょに死んでしまう。
  でもね、霊の心だけは生き続けるの。
  そして人間は一度死んでも、またかならず生まれ変わるんだ。
  ところが生きている間、ヒッコリーの実みたいに
  ちっぽけな霊の心しか持ってなかったらどうなると思う?
  生まれ変わっても、やっぱりヒッコリーの実の大きさの霊の心しか持てない。
  だから、なにも深く理解することはできないんだ。
  それで、からだの心がますますのさばるから、
  霊の心はますます縮んじゃって、しまいには豆粒ぐらいになって、
  見えなくなっちゃうかもしれない。
  もうスピリットをなくしちゃったのとおんなじだよね。
  そうなったら、生きてるくせに死んでる人ってことになるの。いくらでも見つかるわ。
  そういう人はね、女の人を見るといやらしいことしか考えない。  
  他人を見ると、なんでもケチをつけたがる。
  木をみると、材木にしたらいくらもうかるかってことしか考えない。  
  きれいなことなんかちっとも頭に浮かばないのさ。
 
  霊の心ってものはね、ちょうど筋肉みたいで、使えば使うほど大きくなっていくんだ。
  どうやって使うかっていうと、ものごとをきちんと理解するのに使うのよ。
  それしかないの。 
  からだの心の言うままになって、欲深になったりしないこと。
  そうすれば、ものごとがよーく理解できるようになる。
  いいかい、リトル・トリー、理解というのは愛と同じものなの。

  霊の心が大きく力強くなってきたら、
  昔自分のからだに宿っていた命も全部見とおせるようになるの。
  そこまで行くとね、からだが死ぬなんてことはもうないのとおんなじになっちゃうの。」

祖母は、祖母の父の話をして、自然にも霊が宿っていることを伝える。
リトル・トリーは
  「初めてわかった。暖炉のたきぎとして、枯れた木しか使わないわけを。
  それは精霊が立ち去ってしまったぬけがらだからだ。
  このとき森の命、山の命を僕は知ったんだ。」


年老いた彼らがからだを去るとき、いつもこう言って静かに去っていく。
  「次に生まれてくるときは、もっとよくなるでしょう・・・」





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ガイアシンフォニー第三番 [おすすめ本]

写真家、星野道夫さんの全集を半分ほど読んだところ。
彼の写真集も、見れば見るほど心惹かれていく。
そして、彼のための作品とも言うべく、ガイアシンフォニー第三番を観てきた。

彼が書く文章は、常に立ち止まるように読み止まり、
本から顔をあげて、うん、とか、はぁ、とか、まったくだ、というようなジェスチャーがつく。
理解しながら読む本もあれば、体得するような気分になる本もあるのだなと思う。

アラスカに行ったことはないけれど、彼の本を読んでいくうちに、
数万頭のカリブーの大移動、コバック川の流れ、オーロラの神秘、ザトウクジラの舞いなどが、
まるで目の前で繰り広げられるように、思い描くことができる。
彼の描写が、ただ詳細で美しいだけじゃないんだと思う。
ファインダーの向こうに見えない世界を見ている、という意見に母も私も賛同した。

星野道夫さんは、アラスカの原風景を写真におさめることで、私たちに何かを語りかけた。
でも、語りかけるために写真を撮り続けたのではない。
彼自身が何かを探し求めていて、私(たち)もそこに何かを見るのだと思う。何かがあるから。

各土地に、固有のしきたりや、時節の祀りごとがあり、自然の恩恵を感謝し、暮らす生活がある。
アラスカの場合も、極めて過酷な自然環境がつくりあげる独自性がある。
ある一つの権威(政府や団体)が、そこをその他の土地(これらの土地にも固有のものが存在する)と同じように
統合もしくは融和させるというのは、至って無理な話なのだ・・・
ということを、私は星野道夫さんの写真や文章から感じる。
アラスカの話を読みながら、私は世界の先住民族を想った。
アメリカの先住民族、マオリ族やアボリジニ族、太平洋島嶼国に代々暮らす人々たち。
西洋から流れてきたキリスト教や、新しいライフスタイルを、どうやって受け入れているのだろうかと想った。
例えば開発と銘打って土足で入っていく「北の人間」は、
彼らに彼らの暮らしを守り続けるための当然の権利を託していたのかと。
先進国、途上国、後進国、新興国・・・
いったいどこを基準にしてこれらの言葉はあるのかしら。
そして私は、また世界中のあらゆるところに静かに想いを馳せていく・・・

今回の第三番で最も心に響いたのは、ボブ・サムの低く厳かに響く、
"Don't be afraid to talk about the spirits..."
という声。

だけど、やはり見えない事を描いた映像だった。
それぞれの心に違う何かを残していく・・・[台風]



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あるヨギの自叙伝-パラマハンサ・ヨガナンダ [おすすめ本]

現代の聖人である、パラマハンサ・ヨガナンダの書いたこの長編の自叙伝は、
1946年に発売され、日本では1983年に翻訳された。
すでに18カ国で訳されている、世界のベストセラー。

ビートルズのジョージ・ハリスン、エルビス・プレスリーなども影響されていたようで、
アップルコンピュータの創始者スティーヴ・ジョブズ氏も、
一年に一度読むほど愛読されていたそうです。

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この本の中には、偉大な師匠、聖人、神人やアヴァター(神の化身)が数多く登場する。
そのいくつかついてご紹介します・・・。

パラマハンサの「パラマ」は最高の、「ハンサ」は白鳥という意味で、
この名前は師匠のスリ・ユクテスワにより与えられた(白鳥にも神話上深い意味がある)。
1893年インドで生まれ、1952年サンフランシスコでマハサマディに入られた。
マハサマディは、ヨギが意識的に肉体を脱ぎ捨てること。)
その後20日以上、生きていた状態の姿を保たれたということです。

スリ・ユクテスワはヨガナンダの師匠で、バガヴァッド・ギーターの最もすぐれた注釈者の一人と言われる。
スリ・ユクテスワの師匠は、ラリヒ・マハサヤ。

ラリヒ・マハサヤは33歳の時に、ヒマラヤでババジと出会って神の道を見出した。
35年間、インドの役所で勤めながら、現代の一般人にも実際に役立つ福音をもたらさし、
バガヴァッド・ギーターをやマハーバーラタの多くの深遠な意味を秘めた表現を、
比喩的表現を解き明かし、ヴェーダ信仰の科学的根拠を明らかにした。

ババジはヒマラヤにすむ神人と呼ばれる。
ババジは、数千年もの間ヒマラヤの・・・





この本の素晴らしい箇所をいつも通り引用したいのだけれど、
1日1ページとしても、524日間は毎日書き続けないといけないので・・・
これはもう、ぜひぜひぜひぜひ、読まれることをお勧めします[本]




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神話の根底にあるものとは [おすすめ本]

その(どの!!)、『宇宙意識 ~神話的アプローチ~』についてです。
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原題は、"The Inner Reaches of Outer Space"
素敵なタイトル[ぴかぴか(新しい)]

この世にはたくさんの神話や創世記というようなものがあるけれど、
それらはどのようにつながっているんだろう、という疑問があって、この本を手に取った。

著者は神話学者のジョーゼフ・キャンベル氏(1904-1987)で、
12年かけてインド哲学や神話を中心とするシリーズ4巻を執筆するなど膨大な文献を残された。
この書は、彼がこの世を去る数年前に書かれた論文を中心に構成されたもので、
彼の人生をかけた研究がここに集約されているといっても過言ではない、と訳者が書いている。


       多くの人が「私たちは神を信頼する」という格言の「神」が       
       キリスト教の「神」をさすと思っているほどです。
       しかし、それは違います。
       ・・・
       神の観念は、最初から人間の精神に内在しています。
       ・・・その根源的基盤と究極的な意味において、
       あらゆる宗教は一つ 
       ―ちょうど人類が一つであるのと同じように― 
       だからです。


この文章を読んだとき、この難しい本を最後まで読んでよかったと思った。
この文章を、彼の言葉で読めて、本当に良かった!


===さて、実際に本を読もうと思う方は、以下は読まないで[手(パー)]===

神話や感覚を語ることは極めて難しい。
・・・ゆえに、かなりの単語とその意味(歴史)がわからない。
これまで学んだ英文学、物理学、美術など、できることなら再度短時間で復習したい。
だけど、すっかりお手上げ状態じゃなくて、内容を理解できてしまうのは、
きっと私たちが既に持っている何かを説いているからなんだろう。

キャンベル氏は、世界各地で誕生した歴史上の神話をひもといていく。
ひもといていく・・・なぜなら、神話は隠喩で語られているからだ。
(原題のサブタイトル: Metaphor as Myth and as Religion)
インダス文明、シュメールやアステカの神話の共通性をあげ、
一ドル紙幣のピラミッドや鷲の絵、ナバホ族の絵などの隠喩を説く。
ユング派の彼が研究するところには、心理学の三から四の移行が、
第三チャクラから第四チャクラへの移行と一致するなど、非常に興味をそそられるが、
まだよく意味がわかりません(あら)。

世界中に存在する、大小さまざまな部族(グル―プ)が伝える神話は、
年代、地域、地理的環境、習慣の違いで神話の内容は異なるとしても、
根底にあるものは同じものなのだそうだ。
その神話の根底にあるものを、「モナド」と定義し、それは神話に隠喩的に影響するのだそうです。
さて神話は、いつも隠喩で語られるがゆえに、それを正しく理解しない大馬鹿ものがいる!
と、さすがに研究者、言葉が激しく厳しい。

そして、神話の「モナド」から起源をたどるっていくと・・・チャクラにたどり着く。
私としては、「なんと、チャクラにたどり着く」と書きたいくらい。
この本、半分以上はインド神話とチャクラに関するものだった。
チャクラについては知識としては少しだけれど、この本から出会うとは思ってなかった。

神話学者的観点で、ビッグバンや銀河系を半永久的な数字の羅列(目が回る)で説明した後、
この地球は、「宇宙のフケ」ほど微小だと言い放つ。
それほどちっさい地球上の、それはちっさい一人の人間にも神が宿っているとは、
神様とはなんと寛大なのだろうと感動する。
神が、ふって息を吹いただけで(←隠喩)、きっと地球はすぐ氷河期になる。
万物に生死をもたらせるのは、この偉大なる神しかいないんだから。

この莫大な宇宙と、宇宙意識の中で、生命の神聖さを感じる。
だからいうも感謝と愛をもち、今を生きていたい。

          まわる世界の静止点。肉でも肉でないものでもなく。
          そこからでもなく、そこへでもなく、その静止点に踊りがある。
          しかし停止でもなく、運動でもない。それを固定制と呼んではいけない。
          そこに過去と未来が集まる。そこからの運動でもなく、そこへの運動でもなく、
          登りでも、降りでもない。静止点、その点がなければ
          踊りはないのだ、あるのはただ踊りだけだ。
          わたしたちは、そこへ行ってきたといえるだけで、何処へとはいえない。
          どのくらい長くともいえない、そんなことをいえば、
          時間のなかに、それを置くことになるからだ。
          実際的な欲望からときはなたれた内面的な自由、
          行為と苦しみから解放され、内面的と外面的な
          強制から解放されながら、しかも恩寵感につつまれて
          静止しながら動く白い影・・・

(cf. buddhacarita 2-10 ブッダの言葉)




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洋書カバー、画がすてき!


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物事はうまくいくようにできている、『ザ・シークレット』 [おすすめ本]

最近、興味ある本は片っぱしから読んでいるけれど、
新たに出会う本、再び出会う本、それに読むタイミングが、非常に興味深い。

その本がどのように影響するのかは、自分では読んだら終わりって感じで意識していないけど、
間違いなく残っているはずだろう。

いつもと同じく、深くは考えずに並行でいろんな本を読んでいる。
(深く取りかかるべきことは別にある!!)
『ザ・シークレット』 ロンダ・バーン著

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これはDVDなのですね、本は1時間ほどで読めた。

この本をふと読もうと思った日、別件でふと大分の友達に電話して話した。
年に数回しか話さないけど長い付き合いの友だちで、
特に話もないしそろそろ切ろうかと思った時に、
彼女が突然『ザ・シークレット』の話をし始めた。
今ベストセラーでもないのに、不思議なこともあるものだなぁと思った。

自宅では、ちょうど親友の地元で採れる、美味しい緑茶が切れてしまっていた。
私が求めるお茶ってスーパーにはないんだよなぁと思ってたら、
その大分の友だちがお茶を送ってくれた。
それも、半年間茶畑で、汗水流してマムシと闘いながら作ったという、
エコファームの無農薬の新茶。
彼女は数年病気をしていたけど、土を触ったことで益々健康を取り戻したんだって。
涙が出るほど美味しかった。

『ザ・シークレット』の中に、「宇宙のひとつの意識」というチャプターがあって、
この章をもう少し知りたいなと思ったら、
リビングに置きっぱなしにされていた『宇宙意識』(ジョーゼフ・キャンベル著)がすべて説明してくれた。
(次のブログにて)

物事はうまくいくようにできている[るんるん]

そして、もっと不思議な事が今日は起こった。
昨夜、あることを真剣に思い浮かべていた。
ちょうと昨日読み始めた本を手に取って、ある地図をじーっと見て、そこに出てくる人の名前を呼んだ。
本を開いたまま寝て、あまり眠らず朝起きてから、またその地図を見た。
そして、誰かに会う、その土地に行く、と文字に書いた。
そしたら起こった。
日曜なので人の多い等々力渓谷で、こんな起こり得ない事が起こるのかと言う事が起こった。
今はまだ、言わないけど(笑)

そう考えた時、『ザ・シークレット』に、このようなことも書かれていたなと思い出した。


     「今、一番思っていること、もっとも焦点を合わせていこうとすることが、
     あなたの人生に形となって現れます。」
   
     「(思考は現実化する)」


したいことに照準を合わせたら、決して外さないということです[かわいい]


ただし、瞑想をすること。愛を持つこと。感謝すること・・・
その内容は、『ザ・シークレット』(秘密)に書かれてる通りです[本]



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いただいた大分のお茶だよ♬
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『ブッダ』 ディーパック・チョプラ著 [おすすめ本]

ディーパック・チョプラ師についても、リトリート中に Funky Masters から紹介してもらった。
最初に、『迷った時は運命を信じなさい』を読んで、言葉にしにくいはずの言葉が、
体系的にわかりやすく書かれていて、ビックリしたものです。

が、もっとびっくりしたことは、
リトリートが終わって帰国してから、日本でもう一度読むと、
全然ページが進まないのです。どういうことか?
それは、書かれていることの意味が、既に全身(全体)で理解できているから、
安易に文字だけを追うということができなくなってしまった、ということです。
…えぇ。

それで、ブッダの本はないかとまた探していたら、彼の書いた小説を発見。

『ブッダ』
~BUDDHA: A Story of Enlightment~

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446ページのなかなかの厚みと読み応えで、お値段以上(ニトリ)の素晴らしい作品でした。
一つ前の『シッダールタ』(ヘルマン・ヘッセ)が、美しく優しい感じで進んでいくのであれば、
これは私の心を、まっすぐに突き刺してくるような、そんな手ごたえのある本です。

物語って、こんなに前後左右(天国・地獄?宇宙全体!)に揺さぶられるものでしょうか!
シッダールタ王子が生まれる章では、新しい生命を授かる母を想い、
弱者を見捨ててまでも国を繁栄させていくシュッドーダナ王には、わが子と理解しあえない孤独な父を想う。
消したくても消えないマーラ(悪魔)が存在し、それが見せる世の果ての地獄に恐れ、
しかし、犯罪を犯すものにも苦しみとカルマが存在することを知り、
ゴータマとして旅を続けるその姿に、一人で重荷を背負う現代人の姿を重ね、
そしてブッダが悟りを得た瞬間、一緒にその輝く光を感じることができる。

マーラ(悪魔)は言う。

    「現実などもろいものであり、想像力と思いこみという目に見えない手によって、
     簡単にでっちあげられる。」

マーラは、心の中の忘れられたトラウマや、小さな恐怖心のすき間にたやすく忍び込む。
マーラが吹きかける、ほんの小さな風さえあれば、小さな怒りから火が生まれる。
すると、その人の持つ恐怖心が、その火をひとりでに激しく燃え立たせる。

托鉢僧のガナカは言う。

    「…私たちを陥れる経験はすべてこの世の中が与えるものだ。
     この世の中は魅惑的で、その本当の姿を理解するのは難しい。
     しかしまた、この世界はまさに欲望そのものであり、
     わたしたちはあらゆる欲望を追い求めてしまう。
     …
     欲望は幻影であり、その影に死神のほくそ笑みを隠している。」

だから、「現実の世の中から学べ」、そして「分別を働かせろ」と。

修行僧アララは言う。

    「この世は幻想であり、幻想を作り出しているのは我々の心なのだ。   
     心が生み出した幻想を取り除けるのは、心だけなんだ。」

修行中のゴーダマは執着を持つなと言う。

    「あらゆる事柄に関心を持たない態度は、カルマの偉大な治療薬となる。」

ブッダが幼いころから、姿かたちを変えて現れ続けたマーラ。
消そうとするためにもがき苦しんだブッダに、マーラは力を増していった。
しかし悟りを開いたブッダは、もはや何の関心もない。

彼はそのまま、菩提樹の下にとどまることができたけれど、
それでもわたしたちのところへ戻ってきたのは、

    「過去のさまざまな自分の集合として生きることができると伝えるためだ。
     ・・・
     修行の道などない。善と悪の戦いもない。罪も救いもない。
     そのどれもが、あなたにとっては意味のないものばかりだ。
     ところが、偽のあなた、
     つまり今生きている自分を自分のすべてだと信じている者にとっては、
     それらは非常に重要なのだ。」

悩みと心配事ばかりの人生は、自分が創りだした幻想に足をとられているようなもんだ。
Funky Masters もいつも言う Non Attachment.
幻想だと気づけば、人生をかけてまでその幻想と闘う必要はない。
執着しなければ、幻想は消え去るのだから。

この本の最大の魅力は、ブッダの生涯とともに自分自身の心も読めてしまうこと。



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